- 運営しているクリエイター
記事一覧
おばあちゃんに夢で会えた♡在宅緩和ケアを終えて
おばあちゃん(姑)の夢
「おばあちゃん、その紫のワンピースええね、似合ってるよ。」
「あれ?おばあちゃん、元気になったんやね~!」
嬉しくて思わず姑に抱きついた。
姑はもとのふくよかな体になっていた。
...夢だった。
最高に穏やかな最期
その日の午後、私の疲れは限界を超えていたように思う。睡眠不足でちょっとフラフラだった。
姑はその時、すでに何も食べたり飲んだりできなくなっていたが、
「私が死ぬこと、誰にも言わんといてな!!」
(声をふりしぼって)明るい声で、
お友達と電話をしていた姑。
電話を切ったあと、
ベッドの上から私に言いました。
「私が死ぬこと、誰にも言わんといてな!!」
4月末、
7ヶ月間の在宅緩和ケアの後、姑は静かに息を引きとりました。
亡くなったことを知らない
遠方に住んでいる姑のお友達から、
高級そうなブドウが箱一杯に送られてきました。
今度こそは言わないといけません。
高齢のお体に触らなけれ
亡き父をしのんで三世代おうち映画鑑賞会
めずらしく息子から提案がありました。
「家でみんなで(本人&祖母&私)映画でも観いひん?」
同居の80代義母は糖尿病の持病を抱えています。
コロナの件がありますので、できるだけ外出を避けています。
そんな中、息子は良い提案をしてくれました。映画鑑賞会の始まりです。
リビングのカーテンを閉めて部屋を暗くし、
三世代が、テーブルの上のノートパソコンに向かいました。
鑑賞するのは、義母が生まれる
亡くなる前の接し方に答えはない?末期癌と知らずに逝った母
母が50代で亡くなってから、今年で丸25年私自身が母の年齢に近づいてきました。
会えるものなら幽霊の姿でもいいから会いたいです。そして、心からお礼が言いたい!
お嬢様育ちで、のんびりした性格の母だったそうです。
お見合いの席で父が一目惚れだったとか……
(「笑顔がかわいかった」と父が言っていました)そして結婚しました。
結婚後、母の生活が一変!
私の祖父が社長で、父の姉夫婦と一緒に商売をする家
水餃子で祝う母の実家のお正月♪ひいおじいちゃんの話
母の実家は、親戚が集まる日には必ず「水餃子」を作って食べる家でした。
お正月は日本のおせちも少しはありましたが、やはりみんなで水餃子を作りました。
母方の曾祖父が、中国のお友達から習ったのだそうです。
曾祖父は南満州鉄道(満鉄)の駅長をしていました。
静かで優しいおじいちゃん、目ヂカラはとても強いひとだったと、子ども心に記憶しております。
==================
曾祖父が