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中沢新一著『レンマ学』『精神の考古学』『構造の奥』などを読む

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中沢新一氏の著作『レンマ学』『精神の考古学』『構造の奥』などを読み解きます。
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#深層意味論

「何も生まない空」と「生産性を持った空」ー中沢新一著『レンマ学』を精読する(13)

(このnoteは有料に設定していますが、全文無料で公開しています) ◇ 中沢新一氏の『レンマ学』を精読する連続note。本編に続く「付録」を読んでみる。付録と言っても100ページくらいある。 第一の付録「物と心の統一」に次の一節がある。 「言語学をモデルとしてつくられた構造主義が、そのことによって文化的なものと自然過程に属するものとを分離してしまい、物質過程とこころ過程の統一的理解を、逆に阻んでしまっているように思われた。」(中沢新一『レンマ学』p.340) 言語と

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”心”の意味分節システムを発生させる鍵は”両義的媒介項”にあり -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(13)

4歳になる下の子を保育園に送る途中のこと。犬が石畳の道を歩いていた。 犬の四本の足が、それぞれいそがしく宙に持ち上げられては石畳に降ろされる。そのとき、パタパタというか、パシパシというか、パラパラというか、冬の空気にぴったりな音がする。 その、わたしにとっては ”犬 の 足音” である音。 その音を聞いて、下の子がいう。 「足あとの、声がする!」 + 足跡の声 私: 犬 / の / 足音 / 子: 足跡 /の / 声 / が / する ”歩行する犬の足裏と石畳と

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中沢新一氏の新著『精神の考古学』を読み終える

中沢新一氏の新著『精神の考古学』を読む。 三日間かけて最後のページまで読み終わる。 というわけで、これから二回目を読み始めよう。 前の記事にも書いた通り、わたしは中沢新一氏の著作のファンで、これまでもいろいろな著書を拝読してきたが、この『精神の考古学』も鮮烈な印象を残す一冊でありました。 最後のページから、本を閉じた後も、いろいろとめくるめく言葉たちが伸縮する様が浮かんでは消えていく。 この『精神の考古学』の読書感想文だけで100万字くらい書けそうな気がするが(1万字

人類の”心”のアルゴリズムを解き明す神話論理×十住心論 -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(44_『神話論理2 蜜から灰へ』-18)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第44回目です。 これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 この一連の記事では、レヴィ=ストロース氏の神話論理を”創造的に誤読”しながら次のようなことを考えている。 則ち、神話的思考(野生の思考)とは、Δ1とΔ2の対立と、Δ3とΔ4の対立という二つの対立が”異なるが同じ”ものとして結合する、と言うために、β1から

意味分節理論は大学入学共通テスト「情報」の範囲に入るか??

大学入学共通テストが行われているということで、意味分節理論と絡めて書いてみる。意味分節理論は近い将来新たな試験科目になる「情報」に、深いところで関連すると思われる。 ◇ ◇ さて、意味分節理論というのは何かといえば、意味ということの発生の仕方を考える理論である。 といったところで、さっそく迷路の入り口に落とし穴が開いている感じになる。 第一に、意味分節理論でいう”意味”とは、「もの」ではなく「こと」である。第二に、意味分節理論で言う”意味”は、止まったり固まったりして

意味分節理論は「書く」と「読む」の役に立つ

意味分節理論などというと、”いかにも抽象的で、現実離れして、とても何かの役に立つとは思えない感じがする”といった印象を持たれることも多い。 ちなみに、意味分節理論というのは意味(意味する)ということの発生を、次のようなモデルで考えるものである。 * まず、ある二つのシンボルの二項対立関係を二つ重ね合わせ、そこに第三の二項対立を直交させる。この第三の二項対立を軸にして、最初の二つの二項対立の重なりがくるくると回転するようにしておく。 これが「意味する」ということのエンジ

月は、紐を使わずにどうやって海を引っ張るのか? -カルロ・ロヴェッリ著『世界は「関係」でできている』とレンマの論理

* 「月は、紐が無いのにどうやって海を引っ張っているんだ??」 * 忙しい朝の保育園への登園の途上、不意に長男がこんなことを訊ねてきた。潮汐の話を、おそらく園で聞いたのだろう。 紐がないのに引っ張る。 月と海 月と地球 二つの物体が存在する。 二つの物体が引っ張り合う、綱引きする。 綱はどこに行った? * 子どもの質問だからと言って、子供扱いしてはならない。 いや、子供とか大人とか、そういうことを区別している場合ではない。 言葉による質問と応答は、全

意味分節理論とは(4) 中間的第三項を象徴するモノたち -中沢新一著『アースダイバー神社編』を読む

(本記事は有料に設定していますが、全文「立ち読み」できます!) ◇ 中沢新一氏の『アースダイバー神社編』を引き続き読む。 (前回、前前回の続きですが、今回だけでお楽しみいただけるはずです) 『アースダイバー神社編』には、諏訪大社、大神神社、出雲大社、そして伊勢神宮といった極めて古い歴史を持つ神社が登場する。 中沢氏はこれらの神社に今日にまで伝わる神話や儀礼やシンボル(象徴)たちを媒にして、その信仰の「古層」へと「ダイブ」する。 そうしていにしえの日本列島に暮らした

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『ホモ・デウス』×『レンマ学』を読む−「知能」と「意識」と「知性」。進化するシンボル体系=意味発生装置の場所

(このnoteは有料に設定していますが、最後まで無料でご覧いただけます) 『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、この本を通じて一貫して、人類の歴史における「虚構」の力に注目をしている。サピエンスの歴史は、虚構の使い方の歴史と言い換えてもよいくらいである。 虚構の力というのは、私たちが、目の前に存在しないもののことを想像・創造し、それについて言葉でしゃべったり、イメージを描いたり=物質化したりして、仲間と共有することができる力である。 そうして共有された虚構

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ロゴスの生成変容をレンマでモデル化する科学へ -中沢新一著『レンマ学』を精読する(12)

中沢新一氏の『レンマ学』を精読する連続note。今回は「第十二章 芸術のロゴスとレンマ」と「エピローグ」を読んでみる。 ◇ 今回のところに直結する一つ前のnoteはこちらです。 喩の力、相即相入『レンマ学』305ページに次の一説がある。 「ホモサピエンスとしての人間に特有な「喩的」言語が発生する。それまではどの生物もコミュニケーションのためにある種の「言語」を用いていたが、そこにはまだ「相即相入」の原理が十分な自在さを持って組み込まれていないので、表現と内容が分離して

ソシュールからチョムスキーまで「相即相入」で、ことばの不思議を解明する -中沢新一著『レンマ学』を精読する(10)

中沢新一氏の『レンマ学』を読む連続note、今回は276ページからの第十一章「レンマ派言語学」を読んでみる。 言語、ことば個人的に、この第十一章は『レンマ学』の中でも一番盛り上がるところである。 何がおもしろいかと言えば、言語ということ、それも「言葉が意味する」ということを、ソシュールからチョムスキーまでの一見相反することを主張しているかのように見える理論を華厳的に相即相入させて、レンマ学の”論理”で統一してしまうところである。 ※ 言葉はことば、「こと」の「は」であ

ユングの「変容」ー言語的無意識(アーラヤ織)のさらに先へ 中沢新一著『レンマ学』を精読する(9)

ひきつづき中沢新一氏の『レンマ学』を読んでいる。 今回は第八章「ユング的無意識」である。 無意識と言えばフロイトとユングである。 中沢氏はフロイトの無意識とユングの無意識を、「レンマ学」の言葉で次のように言い換える。 「フロイトの無意識もユングの無意識も、同一のレンマ的知性の働きに根ざしているものであるが、それが混合態で現れるか(フロイトの場合)、純粋態であらわれるか(ユングの場合)の違いがある。」『レンマ学』p.182 フロイトの無意識は「レンマ的知性」の混合態で

アーラヤ識とは? −中沢新一著『レンマ学』を精読する(5)

ひきつづき、中沢新一氏の『レンマ学』を読む。今回は88ページの「大乗起信論による補填」を紐解いてみよう。この節は「レンマ学」の構想の核心部分であると思われる。 今回のキーワードはアーラヤ識である。 アーラヤ識とは何だろうか? アーラヤ識アーラヤ識とは、人間の心の構造、運動のパターンが形成される場である。アーラヤ識という言葉を用いて、人間の心の不思議に探りを入れることができるのである。 人間の心、私たちが日常的に実感として経験している人間である自分自身の心とは、次のよう

「レンマ」とは −中沢新一著『レンマ学』を精読する(4)

中沢新一の『レンマ学』を引き続き読んでいる。今回は50ページから80ページあたりまでを読んでみたい。 『レンマ学』で中沢新一氏はロゴス的な知性とは異なる「レンマ的な知性」の姿を描き出す。 知性というとロゴス的な知性とイコールで考えられることが多いようである。ロゴスを超えたところ、ロゴスの「外」に知性などあるのだろうか?というわけだ。 ここで出てくるのが「粘菌」である。粘菌は脳を持たないし、ロゴス的な言語も喋らないが、しかし栄養源を見つけそこに向かって集合体となって移動し