「正しいか正しくないか」で他人や自分をジャッジするのは、他人軸で苦しさが伴う。その二元論を「自分が好きか嫌いか」に移行すると、自分への信頼度が増すし、振り回されなくなって穏やかになる。物事はいつもニュートラルで、ただそこにあるだけだし、ただ起こっているだけ。絶対の正解はない。
現実感は、今まさに自分の思い通りのところに達しつつあって、それを自分がどの様に捉えるのかに焦点が当たっている。善悪の二元論を今更どうこうしようとするのは意味のない捉え方なのだ。両方の中間地点辺りがどちらでもない部分となる。陰陽を捉えればそれは当然の起結である。
対立する思考は物質的で三次元ならではのもの。排除するという思考も同じこと。この二元論の枷からの解放がこれから起こることで、それは三次元的思考からの脱却を意味する。