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声なき声と無知の無知

「分かる」とは物事を分けてみることから始まります。 心と体を分けることで医学が発達しました。 自分と他人を分けるから個性も生まれます。 人と大自然を分けるから都市が生まれました。 「分かった」ことの積み重ねが科学の歴史でもあります。 「分かる」ことはとてもうれしく楽しくもあります。 「分からないこと」と「分かったこと」を比べてみると、 「分からないこと」の方が多い。 逆にすべてが分かってしまったら、知的快楽も行き場を失う。 アリストテレスは「無知の知」を言った。 自分が無

    • 逆さま常識

      太陽の周りを地球が回っているというのが科学の常識。 でも、太陽は東から昇り西へ沈む。太陽は動いていると実感している。 逆さま常識で生きている。 w 風が吹くから木々が揺れる。因果律の常識。 では、誰が風を見たか? 誰も見たことない。 でも、風に吹かれると、涼しくなったり、寒くなったりするから、風を感知する。 ある台風の日、「日本中の木を全部切ったら風もなくなるね」と言ったのは、ノーベル物理学者の朝永振一郎博士の幼き頃の息子さん。 うちわをあおいでもらうと風が

      • 早田ひな選手の発言をきっかけに知覧特攻平和会館へ行った日のことを思い出しました

        南九州池田湖の南に位置する開聞岳。決死の青少年兵たちが知覧の特攻隊基地から飛び立ち最後に見た「大日本」が開聞岳でした。開聞岳は薩摩富士とも呼ばれ、彼らが開聞岳に日本の象徴「富士山」を心に描いていたかもしれないと想像すると、切なくなります。 私が鹿児島南九州市にある知覧の特攻平和会館に訪れたのは、雨がしとしと降る2022年3月のある日。 それまで戦争を知らない私にとって、衝撃的で心の中から離れない場所は、埼玉県東松山市にある「原爆の図」が見ることができる丸木美術館でした。私

        • オリンピック選手に感謝を込めて

          日本の英雄物語といえば「桃太郎」でしょうか。日本の英雄は、欧米型の英雄のように突出した存在でもありませんし、全知全能感もありません。それに、一人勝ち的な展開というよりも、チーム戦で問題解決をしていきます。 桃太郎は、イヌ・サル・キジを伴って、鬼ヶ島に行って、鬼を退治しますし、水戸黄門(英雄ではないか?)は、助さん・格さんがいないと世直しができません。アンパンマンもジャムおじさんやバタコさんとのチーム戦です。 大谷翔平選手のように、チームプレーのなかで、ボトムアップ型で結果

        声なき声と無知の無知

          季節感よ、いずこへ

          今日8月2日全国で梅雨が明けました。でも、梅雨明けという感じがしないのは、梅雨時の独特の季節感がないからだと思っています。 子供の頃の私は、梅雨は憂鬱な気分になるので、あまり好きではありませんでした。しとしとした雨が続き、じとじとした部屋で過ごしてばかりで、外に遊びにいくこともできないので、退屈で退屈で、早く梅雨が明けないかなと思ったこともありました。 そんな私の憂鬱な気分を象徴するかのように、実家の近所には青紫の紫陽花が静かに咲いていました。紫陽花にもアジサイらしい風情

          季節感よ、いずこへ

          連日酷暑日(note更新が滞る言い訳にならない言い訳)

          見出しの写真は、ゲリラ雷雨のあとの夕空。いつになく、積乱雲と青空のコントラストが、写真ではわからないかもですが、リアル空でなく、油絵のようでした。 体温が40度を超えたら悲鳴をあげたくなりますが、気温が40度を超えるとテレビの気象情報の尺が長くなります。それにゲリラ豪雨や洪水など気象状況が気になる日々です。 「酷暑日」は最高気温が40度以上の日のことで、2022年夏に日本気象協会が発表した言葉ですが、酷暑日が連日続いています。 翻ると、地球温暖化の影響から35度以上の日

          連日酷暑日(note更新が滞る言い訳にならない言い訳)

          「刹那主義者」と「今を生きる人」

          ビジネスに「邁進」していたかつての私は、将来のために時間を効率よく使いたいと思っていたし、時間の価値にこだわったりもしていました。そして「今さえよければそれでいい」という刹那主義者を非難もしていたし軽蔑さえしていました。 刹那主義は、将来のことは考えずに、とにかく今の快楽がすべてという態度です。刹那は、サンスクリット語の「kṣaṇa」がベースとなっている用語で、「瞬間」を意味する言葉です。「刹那主義者」は直訳すると瞬間主義者となりそうですが、「燃え尽き症候群」ともニュアンス

          「刹那主義者」と「今を生きる人」

          夜の帳

          夜の帳が下り来たりて 万物の息吹が己を包み込む 何処を見上げようともあまねく闇夜 闇夜に失望する旅人たち 何処を見上げようともあまねく闇夜 闇夜に心安らぐ人たちは 遠く離れた故郷の匂いを感じている 夜幕之下的安宁 夜幕之下 万物都是我 黑夜让哪里看上去都差不多 这让一些旅者失望 却让另一些心安 让他们感觉到从未远离家乡

          今日の夕方、雨上がりの東の空に虹が見えました。 この写真はお借りしたものです。写真におさめようとスマホを虹に向けましたが、あっという間に空に散ってしまいました。 虹は大気中の水滴が太陽に反射して起こるものなので、夕方の虹は東の空に見え、明け方の虹は西の空に見えます。 生まれてから何度虹を見たのだろうと思い返してみましたが、想像もつきません。それでも数えておけばよかったと今でも思うのは、虹を見るとちょっと幸せな気分になれるからでしょう。 私は小さい頃から頭のなかで と

          遠藤周作「沈黙」

          村上春樹が次こそはノーベル文学賞を受賞するのではと期待していますが、遠藤周作もノーベル文学賞候補と目されるも、この「沈黙」も含むいくつかの小説の「テーマと結論」が選考委員の一部に嫌われ、受賞には至らなかったらしいです。 しかしながら、嫌われるのも作家としてのひとつの能力だと積極的にとらえてもいいと思うし、実際のところ、彼の小説の賛否の議論は世界中に広がっており、影響力のあった小説家であったと言っても過言ではありません。 この小説「沈黙」は1971年と2016年に2度ほど映

          遠藤周作「沈黙」

          グローバル化の時代こそ日本語が武器になる

          夏至まであと10日ほど。朝4時くらいになると空も明るくなり始め、ベランダ越しに三日月が見えます。ちなみに、三日月は夜中に見ることはできず、夕方か明け方にしか見ることができません。 語彙の豊富さから日本語表現を考察してみる 夕方に見える三日月を「上弦の月」と言い、明け方の三日月を「下弦の月」と言います。また、半月のことを弦月と言います。このように日本語には、満月に向かって満ちかけた月の表現として「三日月」「上弦の月」「下弦の月」「弦月」などがありますが、英語では「Cres

          グローバル化の時代こそ日本語が武器になる

          「アリとキリギリス」を恣意的に改編する

          物語にはそれぞれに テーマやメッセージ、世界観があり、 登場人物(イソップ寓話の場合は動物や虫)や場面の設定、 ストーリー展開の順序など、 作者による恣意性がつきものだ。 これらの恣意性を排除したものが、ドキュメント(記録)であり論文である。ドキュメントや論文では、時間の流れを表現するのは難しい。仮にいつどこで何が起こったかを時系列に並べてもただの記録にしかならず、時間の流れは感覚的に伝わらない。 歴史の教科書(ドキュメント)と歴史小説の面白さの違いは、そこに時間が流れて

          「アリとキリギリス」を恣意的に改編する

          スマホを捨てよ、散歩に出よう

          このタイトルは、寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」をもじった、何のひねりもない、ただカッコつけたいだけなのがバレバレのちょっとアジテイト気味なタイトルだ。カッコつけついでに、ちょっと開き直って情報オーバーロード(情報過多・情報疲労)が大変らしいということをモチーフに記事を書いてみたい。 情報オーバーロードとは大海原を手漕ぎボートで挑むことである かつての巷間に飛び交う情報と言えば、神話や物語のことだった。 印刷技術もないのだから書物もない。 通信手段もないのだからイン

          スマホを捨てよ、散歩に出よう

          神に召されたフジコ・ヘミング

          譜面通りに弾くのがピアノではない。 と言ったのは音楽の神ではない。 フジコ・ヘミング、その人だ。 ピアノは機能的なものではなく、全人的なものだ。 とも音を伝える人は言った。 ここに正しき人がいる。 正しき人の主張はいつでも単純で簡単である。 音楽の神など存在しない。 理想など語らず、現実的に音楽に向き合うべきだ。 ある詩人も似たようなことを言った。 文字の世界に言霊など存在しない。 すぐれた詩人はレトリックの技巧に長けたものだ。 詩人は言葉の選び方を磨くべきだ。

          神に召されたフジコ・ヘミング

          視野の広さ≠客観性<価値観<情緒

          物事を俯瞰して見ることができないと、視野が狭くなり、判断を誤りやすい。逆に、物事を俯瞰して見ることができれば、視野が広くなり、全体像を把握しやすくなり、客観的判断の助けとなる。だから、ビジネスにおいても、人間関係においても、社会生活においても、俯瞰で物事を見ることが大事だとよく言われる。 空飛ぶ鳥が見る景色を再現するように描いた図を鳥瞰図とも俯瞰図とも言うが、いずれも高い視点から描かれるものだ。俯瞰で見るとは、「物事の風景や状況」を、鳥瞰図や俯瞰図のように、全体を把握できる

          視野の広さ≠客観性<価値観<情緒

          凡の才と天の才

          ☆☆☆ 凡の才 心に希望を抱く 頭に理想を描く 天の才 心に花が咲く 頭に蝶が飛ぶ ☆☆☆

          凡の才と天の才