林海平

11月17日まで受験生(登録日本語教員試験)

林海平

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マガジン

  • Poetry Room

    詩のお部屋

  • 曖昧なことは多い。「曖昧」を我流で言語化する試み。

    意味や使い方が曖昧な言葉や事について、辞書的な定義になるべく頼らず、自分なりに考察することで整理しようする試み。

最近の記事

マップラバーとマップヘイターが手を組んだら

今日は11月12日、試験まであと5日しかない。 日本語教員国家試験にはヒアリング試験がある。外国人などの日本語学習者の発音や発話の間違いを聴き分けて、どうやって直せばいいかなどが問われるのだが、これがかなり難しい。 昨今、日本に在住する外国人が増えているが、外国人と日本語で話すことが増えると、相手の発音や話し方がおかしくても、理解するために無意識のうちに間違いを修正して聞き取る癖が身につく。この癖は間違いを気にせず聴き流すことにもなり、コミュニケーションのリズムを壊さない

    • 緊張していないと思いたいだけ

      試験まで勉強できるのは、今日を含めてあと6日。 試験当時は緊張するのだろうが、今は不思議と緊張はない。今さらあせってもどうにもならないという、年よりならではの「悟り」もあって、睡眠を削って暗記に勤しむというようなこともない。 ただ初めての試験なので、試験日までは模擬試験を繰り返しやって、試験慣れをすることに時間を使おうと思っている。暗記にラストスパートをかけるよりも、試験慣れする方が、記憶力が落ちた私にとっては、まだ得点アップの期待が高いという算段だ。 また持病持ちなの

      • 夕暮れどきの半月

        試験日までちょうどあと一週間。 勉強に追い込みをかけようというタイミングで、急に寒くなったせいか、不覚にも鼻風邪をひいてしまった。市販の風邪薬を飲んだが、鼻水はおさまらず、眠気だけは効果抜群。居眠りしながら勉強するという居眠りと勉強のハーフ&ハーフ。これでは勉強しても甲斐なしだと考え、思い切って昼間から寝てみたところ、鼻水がおさまった。 目が覚めて空を眺めると、西の空が少し茜がかっていて、夜が近いことを知らせている。南上空に半月が見えたので、ベランダに出て撮影してみた。そ

        • ひこうき雲(その2)

          ひこうき雲を見て、ただの排ガスでしょと、気持ちとは裏腹の夢のないことを昨日は書いてしまった。本当のところは、空を眺めることは大好きだし、たまにひこうき雲に出会うとワクワクする。 ところが、自衛隊基地や空港が近いと、空に何本もの飛行機雲が描かれることがある。何機もの飛行機が忙しく飛び去っていくような空は、渡り鳥がチームを組んで通り過ぎていくのとは違い、少し不気味な気がする。 今でも世界では戦争が止まらないが、日本の戦時下の空も不気味だったに違いない。防空壕に逃げ込まなきゃい

        マップラバーとマップヘイターが手を組んだら

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          ひこうき雲

          ♬ そらは ひろいな おおきいな ♪♪♪ と、唱歌「海」を替え歌にしたことのある人はいないと思うが、昨日、広くて大きな満面の青空に一本のひこうき雲が見えた。 「飛行機雲って、所詮、飛行機の排出ガスでしょ」と思ってしまった自分は、どうしてロマンのないちっぽけなことしか考えられないのだろう? 宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」の主題歌でもある「ひこうき雲」で、荒井由実(松任谷由実)さんは、「誰も気づかず ただひとり あの子は昇っていく」と、ひこうき雲に友だちの死を歌った。 片や排

          ひこうき雲

          刻まれる時間と流れる時間

          同じ時間でも、時間には「刻まれる時間」と「流れる時間」のふたつがあるなんて、試験勉強中だというのに、どうでもいいことを考えている。どうでもいいついでに補足しておくと、スマホの時計やカレンダーで測れるのが刻まれる時間で、スマホとは関係ないのが流れる時間だ。 昨日のはっきりしない空とは打って変わって今日は雲一つない快晴。日は温かいが、北西の山の方から強い風が吹いて来て少し肌寒い。立冬の今日、ちょうど木枯らし1号と富士山の初冠雪が観測されたらしい。またひとつ季節が移り変わっていく

          刻まれる時間と流れる時間

          【ソシュールの言語学と構造主義のつながり】 4/4 ソシュールの「言語の恣意性」からフーコーのエピステーメーへ

          構造主義ってそもそも何? 進歩史観とは、歴史は一貫して発展し続けるという「発展神話」に基づく信念があるが、構造主義は社会主義や共産主義のようなイデオロギーではないので、時代や社会を大きく動かす力はない。しかし、60年代にフランスで発展した構造主義の影響は世界に広がり、日本でも80年代には学術の世界だけでなく、社会的にもブームになった。浅田彰の構造主義・ポスト構造主義についての本「構造と力」が、難解な哲学書にもかかわらずベストセラーになったのもこの時期である。 構造主義は

          【ソシュールの言語学と構造主義のつながり】 4/4 ソシュールの「言語の恣意性」からフーコーのエピステーメーへ

          ダイバーシティの時代は構造主義より始まっている

          受験日まであと12日。 ソシュールの言語学が構造主義に与えたことについて、書き始めて今日で5日目になる。言語学や構造主義の個別の情報はたくさんあるが、両者の関連性について着目した参考になる情報が見当たらない(そもそも興味の対象になりにくい?)ので、書くのに苦労している。それでも受験勉強と並行して、自分なりのまとめを最後まで仕上げようと思っている。 ところで、今はダイバーシティの時代だと言われている。ダイバーシティを認めるという考え方は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて

          ダイバーシティの時代は構造主義より始まっている

          時のいろいろ

          生まれたばかりの子がなく 幼な子がうたう ママのお迎えをまつ 時のいろいろ 学校の門をくぐる タイムカードをおす 待ち合わせに足をはこぶ 刻まれれる時が脈をうつ 夕焼けに鳥が絵をえがき 夜空に飛行機がきえていく 時のいろいろ 薄明るい朝の海をながめ 時の波音に身をおいてみる やがて水面に陽が照り返し 心の中に波寄せる流れる時 時のいろいろ

          時のいろいろ

          誠の反省は自己否定

          誠の反省は自己否定

          【ソシュールの言語学と構造主義のつながり】 3/4 構造主義が世界標準の歴史観「進歩史観」を否定解体する

          ソシュールの言語学が、後の「構造主義」の発生に影響を与えたということは、ネットでも多く書かれている。ところが、どのようにして影響を与えたかについては、残念ながら参考になるページがネットでは見当たらなかった。それならば自分で書いてみようと考えた。 前回までの2つの記事で、一般的な「恣意性」と学術用語での「恣意性」についてそれぞれ解釈をしてきた。どうして「恣意性」にこだわって書いたかというと、この「恣意性」が「構造主義」へとつながっていくクリティカルなキーワードになるからだ。

          【ソシュールの言語学と構造主義のつながり】 3/4 構造主義が世界標準の歴史観「進歩史観」を否定解体する

          【ソシュールの言語学と構造主義のつながり】2/4 「恣意性」の術語的意味を把握し、ソシュールの「言語の恣意性」について理解する

          ソシュールの言語学は「構造主義」の発生に影響を与えました。そこで「言語の恣意性」に着目し「構造主義」とどのように繋がっているのか、4回に渡り書いています。今日のこのnoteは2回目で、上記の昨日のnoteに続きますが、単独でもお読みいだだけると思います。それでは始めさせていただきます。 一般用語の「恣意性」と学問的な術語の「恣意性」はそもそも違う 現在一般的に「恣意」という言葉が使われる場合、「社長の恣意的な言動に振り回されて痛い目にあった」とか「自分の都合のために恣意的

          【ソシュールの言語学と構造主義のつながり】2/4 「恣意性」の術語的意味を把握し、ソシュールの「言語の恣意性」について理解する

          【ソシュールの言語学と構造主義のつながり】1/4 人はなぜ恣意的であることを嫌うのか?

          「恣意」についての辞書的な解釈 言語学者のソシュールが指摘した「言語の恣意性」と「構造主義」の関連性について、自分なりにまとめたnoteの記事を書こうとしている。 このふたつの思想用語の関連をまとめていくうえで、「恣意的である」ということがひとつの鍵になるので、少し考察をしてみることにするが、「恣意的」という言葉はあまり使い慣れない言葉なので、まずは辞書的な解釈をしておきたいと思う。 「恣意」は「しい」と読む(中国語では「zì yì」)。恣意性の反対語は規則性。 「恣

          【ソシュールの言語学と構造主義のつながり】1/4 人はなぜ恣意的であることを嫌うのか?

          毎日投稿32日目にして思うこと

          9月30日から毎日noteを書き続けて、昨日で31日で、今日で32日目。 もともと毎日投稿するぞと気合を入れた訳でも、固く決意をして始めたわけでは決してない。あえて毎日投稿のきっかけがあるとすれば、日本語教員国家試験を独学で受かろうなんてnote上で宣言してしまったことだろう。 宣言当初は、「受験勉強の時間を削ってnoteを書いていたので、試験に通りませんでした」という言い訳になると思っていたのも決して嘘ではない。だが、そんなよこしまな動機が長持ちするわけがない。それでも

          毎日投稿32日目にして思うこと

          雨音の調べ(詩)

          静かに眠る草木に降り注ぐ雨 雨に背をまるめる野良猫たち 屋根にはねかえる雨音の調べ 調べが心にしとしとにじんで 静けさにまじわる雨音の調べ 心の衣がまたはがされていく 遠くの車に足早な雨音の調べ 裸になった心に沁み渡る寂寞 温もりさがす心に冷たい雨音 止まらない雨音に消えない心 深い夜の明けを待つ暖かな陽 やがて姿を潜める雨音の調べ

          雨音の調べ(詩)

          「あぁ、そういうことか、なるほどね」という久しぶりの納得感

          私は他人のプライベートにはあまり興味がない。きっとそれはみんな同じだろうと思う。 このnoteは自分が後になって読み返すための日記のようなものだ。 今日で日本語教員試験まであと19日。 少し前のある日のこと。 模擬問題をやって答え合わせをする。そこで間違えることは大した問題ではない。次に正解すればいいだけのことだ。そもそも模擬試験であって本番の試験ではない。 しかし、そんな悠長なことを言ってられないちょっとやっかいなことがある。 やっかいなこととは、「解答と解説」

          「あぁ、そういうことか、なるほどね」という久しぶりの納得感