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適応障害、うつ病は病ではなく自我を持ったすごい人だ
T&Sです。
今回は、自分の中で休職中の過ごし方というか心持ちについて改めたいことがあり投稿しています。
突然ですが私は精神を病んで休職中しています。
今回の記事の結論からいきます。
適応障害や、うつ病の状態になる人は病ではない。
むしろ周りを同じであることを心が精神が、奥底の本音の部分で否定しているからこそ起こる症状だ。
そんなこと言いたくない、したくないと本音が否定しているだけに過ぎな
存在価値がなくなるのが怖かったのかもしれない
現在、休職中で大事な決断の前に自分の気持ちに整理をつけたくて記事を書いています。
実は休職がいま、仮の状態で10月20日までの一カ月休みで10/20以降から本格的に休職に入るかの返答をすることになっています。
時期が近づいてきて正直、もう復帰してしまえるんじゃないかという自分と仕事の情報を見返して息苦しくなりとても戻るなんて無理という自分で葛藤しています。
でも一カ月ならまだ傷も浅く戻りやすいん
自分への愛が足りなかった
少しメンタルと楽しむという感情が復活してきたので、このタイミングで気付いたことがあったので自分のために文章残します。
それは自分自身に対する愛が全然足りていなかったということです。
私は今まで現実においても、記事上でも「自分が良い思いするように生きて」とか「もっと自分を大切にして欲しい」とか「自分を安売りしないで」とかすごくたくさん言ってきました。
でも、それは周りに言うことで一番は自分に対
自分を優先して生きてこなかったのに急に自由に生きてもいいと言われても戸惑いしかない
休職の日々を過ごしていて純粋に思ったのは、こんな生き方していて本当にいいの?許されるの?という罪悪感にも近い感情だった。
私は過去に一度引きこもりを経験して以降は10年以上、一度も止まることなくモチベーション高く生きてきた。
周りに価値を証明してやるみたいな感覚にも近かったかもしれない。
すごく頑張ってきたと自分でも思っている。
それが今は仕事の事も考えなく、お金を稼いでいるわけでもなく、誰かの
周りと意見が合わないことを誇っていい
私は最近まで周りと意見が違ったり発言の相違で孤独感を感じていました。
自分が異常なのかもとか、少し精神が病み始めているからなのかもとすら思っていました。
自分を悪い方にすら考えていました。
ですが今では違う自論に辿り着きました。
それは私が真理に近づいて自分にとっての理想を叶えることを諦めないことに決めたからです。
少し前まで私も周りと意見は合っていてむしろ賛同していました。
理想などは全く追
自己犠牲なんか美徳でも何でもない
皆さんは日々、自己犠牲してる側でしょうか?
それとも自己犠牲してる人に助けられている側でしょうか?
私は間違いなく自己犠牲している側でした。
そしてその考えは、もう克服しているものと思っていました。
しかし、無自覚に最近も発生していたようですごく苦しい日々を作り出していたことに再び気付きました。
自分もそうですが自ら自己犠牲したいと思っている人なんていません。
ですが気付いたらその生き方をして
記事を書くことだけは続けられている理由
突然ですが、私は飽き性で仕事でも何でも長く続けられた事があまりないです。
そんな私がnoteだけは一旦書かない期間があっても、また書き始めるということが
出来ています。
その理由は記事の上だけでは自分を偽ることなく表現できるからだということに気付きました。
今までの人生で自分が求められるため、自分を仲間に入れて欲しいからという理由で自分を偽ってきたという人には是非、記事を書くことをおススメしたい