#仕事
フリーランスは毎日が仕事であり、休みである。
フリーランスという生物は、わたしの周囲ではなかなか珍しいのか、友人からは"何をしているのかよくわからない人"と思われていることが多い。
だからこそ、受ける質問もかなりふわっとしたもので、「普段、なにしてるの?」と聞かれることが多々ある。
返答に困った挙げ句「仕事してるよ」と返してしまい、何とも煮えきらない間が生まれるのがいつものルーティン。その後、広告作ったり、記事の校正校閲したり、その時々に
ライティングでご飯を食べるようになって2年。やっと豊かになってきた。
小さい頃、よく折り紙で遊んでいた。
『かんたん!おりがみブック!』みたいな、1.5cm程は厚みのある折り紙のレシピが詰まった本を開いて、そこに描かれた花や動物を表現することに"憧れた"。
あくまでも"憧れていた"というのは、わたしは本の中で活き活きと芽吹く植物も、今にも動き出しそうな動物も、再現することができなかったからだ。
折り紙の基本は「やまおり」と「たにおり」を知るところからはじまる(
ポンコツな人なんていない。環境が合っているのか、合っていないのか、それだけ。
ポンコツとは、どこかに少し欠陥があったり劣化してしまったりして、調子が悪いことを表す言葉だ。
わたしは「またポンコツなことをしちゃったな」と落ち込み、涙することがよくある。
元より感受性が高く、涙腺が緩いタイプの人間なので、刺激が一定ラインを越えるとすぐに涙が噴水のように湧き上がってくるのだ。
昨夜は洗濯機をまわすつもりで洗剤を投入していたのに、電源ボタンを入れるのをすっかり忘れてしまった。
表現する仕事をずっと好きでいたいから、独立する。
わたしは普段、フリーライターとして活動しているのだけれど、まさか大人になってから、諦めていた学生時代の夢を叶えられるとは微塵にも思っていなかった。
ダンスサークルに明け暮れていた大学時代。わたしの活動時間は専ら深夜だった。日本のストリートダンス文化なのか、練習やイベント(ショーやダンスバトル)は深夜に行われる機会が多かった。
六本木の小さな箱で開かれた「SOUL STREET」、ショーにバトル
痛みや苦しみに気づくことは、自分に優しくなることだ。
自分に対して、丸くなる。
そんな言葉が頭に浮かんだ午後のこと。
7 : 3 で割ったカフェラテをステンレスマグから喉に流し込むと、ストンと言葉も一緒に喉を通って腹落ちした。
会社員として一日、16時間程度拘束されていた頃は、痛みや苦しみは仕事から逃れるための言い訳として捉える以外に考えがなくて、限りなく0に近いHPに見て見ぬフリをしてパソコンの画面に喰らいついていた。
パソコンに感情があっ
70%の可能性を探る365日
身を削るような「我慢」は、しない。
わたしは電話が好きじゃない。
美容院の予約であっても、電話をかける前は心臓がトクトクと静かに唸り、全身を嫌悪感が包み込んできて、お金で解決できるのならば、美容院の予約代理人に1000円を支払ったって良い。
わたしにとって電話をかける行為は、大きなストレス(我慢の時間)なのだ。
予約さえできれば、あとは最高だ。
髪の毛を綺麗に整えられ、晴れやかな気分にしてく
言葉はわたしの生きる術だから「書く」を仕事にするのだ。
#この仕事を選んだわけ それは、
言葉はわたしの生きる術だから、である。
わたしのしごとは、Webライターだ。Webメディアに掲載するSEO記事やコラム、広告制作などを主に作成する物書きさんをしている。
言葉を扱う仕事は、楽しい。
人や企業、商品・サービスなど、あらゆるモノに宿っている想いを言語化する。それは未だカタチを成していないモノを言葉で模るということ。
想いを吸い取って、言葉で吐き