亜成虫の森で 24 #n


約束の場所についた。
時間になっても彼女は現れない。
おかしいなあ。いつも早めに来るのに。

ケータイの振動を感じて画面を見ると、彼女からだと思った連絡は松本さんからの電話だった。

え?今日会社休みだよな。

「はい、どうしました?」


「にの!はるが緊急搬送された!」

 

「はい?」


キンキュウハンソウ?


「とりあえず東京総合病院に向かって!こっちからは相葉くんが向かってる。オレもあとで合流するから!」

そう言って電話はブチっと切れた。
松本さんからは考えられないような焦りようだった。


ビョウイン?

病院?

搬送?


だんだん手が震えてきた。

落ち着け。落ち着け自分。


とりあえずタクシーを拾って病院へ向かう。


時間が経つにつれ、不安は増す。



病院に着き、案内で場所を聞いてそこに行くと
見たことのある人が手を組んでうつむきながらソファに座っていた。

イタリアンの人だ。


「…なんであんたが、ここに?」

その人はだるそうにオレのことを見た。
向こうも思い出したらしい。

「…オレが救急車呼んだから。」

「は?」

「一緒にいたんだよ」


「…おい。てめぇ、なんのつもりだよ!!はるかに何した!!!!!」


考える間もなく胸ぐらを掴んでいた。

「二宮さん、落ち着いて!」


後から来た相葉くんに抑えられる。


「…何にもしてねえよ。倒れたんだ急に。」

「倒れた?」

「急に意識失って、ちょっと段差があって。後ろに倒れたから、頭がその段差に当たったみたいだった。」

「その傷は…」
相葉くんが彼の手を見て言う。

例の人は手に傷を負っていた。


「咄嗟に頭をかばおうと思ったんだけど、うまくいかなかった。」

「…そうでしたか。」


「あいつは?どこにいんの?」

「…ICUに入ってる。なんか…血液の病気らしい。」

「病気?」

「その病気のせいで貧血になったんじゃないかって。オレも何言われてるか全然わかんなかったけど。とにかく何か病気らしい。すぐに命がどうのこうのではないらしいけど、ほっとくと危なかったみたい。」

「…あなたがいて、よかったです。…どうしてはるさんと一緒に?」

相葉くんは冷静だった。
彼と会話ができている。


「呼ばれたんだ。…断られた。より戻そうって話。好きな人がいるからって。今日、これから会うから、その前にちゃんとしておきたいって。」

「…」

「あんたのことだろ?それ。…。はるか、おしゃれしてさ。来てくれたからオレ期待しちゃったじゃねえかよ。あんたに会うためだったんだな。」

「…」

オレも冷静になった。


「急にどついたりして、大声出したりしてすみませんでした。あと、はるかと一緒にいてくれて、ありがとう。じゃなきゃ処置が遅れたかもしれない。もっと怪我したかもしれない。…ありがとう、ございました。」

彼は薄く笑った。

「いや。とりあえずオレは帰るわ。ここにいてもはるかはあんまり喜ばないだろうしな。意識戻ったら連絡くれ。はるかのケータイにオレの連絡先、たぶんあるから。」

「わかった」


例の人はいなくなり、オレと相葉くんだけが残った。
救急は患者が来ない限り静まり返っている。


「なあ」

「なんですか?」

「オレだけこんなスーツで、キマりすぎじゃない?」

「そんなことないですよ。僕もスーツ一応着てるんですけど」

「オレのは一張羅なんだよ」

「今日のために?」

「ちょっといいところ予約したんだよ」

「…。やっと本気になりましたか」

「ああ。遅すぎたけどな。遅すぎたせいでこれだ。」

「…誰のせいでもありませんよ。」

看護師さんが来て、少しだけなら会えるということだった。


「僕ここにいるんで、行ってきてください。はるさん、待ってますよ」

「おう。」


病室に入ると彼女は青白い顔で横たわっていた。

頭にはぐるぐるに包帯が巻かれ、ミイラみたいだった。


「…はるか、大丈夫かよ…」

当然返事はない。意識が戻っていない。


手を握ると冷たいけど、いくらか体温を感じた。
まだ生きてる。大丈夫だ。

おい。死んだりすんなよ。
今日約束したじゃん。
起きろよ…。

手を握って祈っていたら、かすかに声が聞こえた。


「…に…の…?」

「おい!はるか!大丈夫か?!今先生呼ぶから!」


意識が戻ったことを確認され、先生たちは戻っていった。彼女はベッドの背中を少し高くして、そこにもたれた。

「無理すんな」

「…大丈夫。てか、ごめん。約束守れなかった。ちゃんと行こうとしてたんだけど、気づいたらこうなってた」

「いいよ。今度行こうな。」


「…にのさあ、今日すごいかっこいいの着てるね」

相変わらず着眼点が変わってる。
この状況で服を見るか。

「今日のためにおろしたんだよ」


「あ、そうだ。渡したいものってなんだったの?会社じゃダメだった?」

「ダメに決まってんだろ」

「そうなの?なんだろ」

「もう今渡すわ。これ」

彼女の左手の薬指にはめた。

「…指輪?」

「オレと、結婚を前提に、お付き合いしてください。」


「…いいの?」

「なにが?」

「大丈夫かな…迷惑かけるよ絶対。え、っていうか、だってほら、私めんどくさいし、変わってるし?嫉妬深いし…愛想悪いし…」

「はいはい、終わり。言ったじゃん。お前がどんなでも、オレはずっと隣にいるって。愛想が悪いのは知ってる。」

「…」

「あのね、そう。言ってなかったもんね。あのときは、ごめん。ちょっと、ヤキモチ妬かせようって思っちゃった。別にもものことが好きとかは全然なくて、むしろお前のことが好きすぎて、でもお前いろんなメンズと仲良いし。だから、オレのことも気にかけて欲しくて。…だけど、やり方が間違った。オレ相葉くんにめちゃくちゃ怒られた。反省もした。ほんとごめん。」


「はは笑 相葉くんに怒られるとかヤバイね笑…え?ちょっと待って…今お前のこと好きだ的なこと言った?」

「言った」

「…わお…。」

「顔赤いけど?」

「…」

「そうだ。返事は?」

「あ、はい。よろしくお願いします」

「えー?それだけえ?」

「…私もにののこと大好きだよ。だからももちゃんと一緒にいるところ見て悲しくなったりして。いろんな人に八つ当たりしたり、慰めてもらったりしてさ。本人に言えよって感じだけど…」 

「それで翔さんのとこに行ったってわけか」

「…それは、…」


「なあ?お前なんでオレ以外の人に甘えてんの?」

「だって…バカにされそうだし。かっこ悪いじゃん」

「しねえわ!笑」


にこにこして彼女が言う。

「にのが、傘一本だけしか買わなくてさ、2人で相合傘したときあったでしょ?あれがにのとの一番の思い出かな〜ちょっとドキドキしたもんな〜」

「オレは空港でお前が抱きついてきたとき。びっくりして死ぬかと思った」

「だって帰ってくるの遅いんだもん。待ちくたびれた」

「…ずっと、待っててくれてありがと。遅くなってごめんな。」


彼女は青白い顔で、弱々しく笑って言った。


「にのと、毎日一緒にいれたら、楽しい…な…」



言い終わる前に彼女が咳き込むと、同時に血が出た。
咳が激しくなって、吐いた血が彼女の病院着を赤く染める。

彼女の意識は飛んで、ベッドに倒れてしまった。

「おい!はるか!!」


凄惨な光景だった。


さまざまな電子音が響いて途端に先生や看護師さんたちが飛んでくる。

オレはまた外に出された。


窓越しに彼女の周りに人だかりができるのを
ただ見るしかなかった。


「二宮さん?…二宮さん、手に血が!」

相葉くんはオレの手を自分のハンカチで拭ってくれた。

「なあ。相葉くんよ」

「なんですか!」



「…死んじゃったらどうしよう」



相葉くんの手が止まる。

「そんな…、そんなことあるはずないじゃないですか」


「…でも、現にあいつはああなってる」


「…」

「なにが置いてかないでだよ。お前じゃないか。オレのことを置いていきそうになってんのは。勝手に死んだりなんかしたら絶対許さない。」

「…」


その日はもう会えなかった。

病状が安定しないので、なかなか面会ができずに、仕方なく毎日仕事をするしかなかった。


「…だからさ、ほんと、ざまみろって感じ!」

廊下を歩いていると女子トイレの近くからデカめの声が聞こえた。

「バチが当たったんですよ!男とイチャイチャしてばっかりで仕事しないし!全部私たちに押し付けるでしょ〜!」

そこにはももと彼女の部署の先輩方がたむろしていた。

彼女がいない日まで
こうやっていじめられてるのか。


「あの!!」

「はっ…びっくりした…二宮くんなに?」

「…あいつのこと悪く言うの、やめてもらっていいですか?別にただ休んでるわけじゃないんで」

「二宮くんまであのこのこと庇うんだね。同期?だったっけ?大変ね〜あんなのが同期で笑」

「…っ!」


無意識に上がった左手を誰かが後ろからつかんだ。

「にの、やめときな」

「松本さん…」

「廊下では静かに。彼女は男に媚びたりしてないし、仕事もきちんとしていますよ。

二宮くん、ミーティングだから。来て。」

ミーティング?そんなのあったか?

黙って松本さんの言う通りにしてその場を離れた。


エレベーターに乗り込み、上に向かう。


「あの左手をどうするつもりだったのかはわからないけど、はるは喜ばないよ。その選択肢は。」

「仕事しないで男とイチャイチャしてんのはあいつらですよ」

「その通り。だけどもし間違ってその拳が誰かに当たってしまっていたら、僕はキミを庇えなくなる。キミが傷つくことを、はるは許さない。ね?」


「…ありがとうございました」


社長室に行くと心配そうな顔をして社長が立っていた。


「はるちゃん、どうだった?あの日行ったんだけど結局面会できなかったんだよ…」

「一回は会えたんですよ。意識が戻って。会話もできてたんですけど。…急に吐血して。あとはまた面会謝絶です。」

「…そうか。」

「この3人が集まっても、何もできないことあるんですね」

「ほんとだな。」


「くだらねえよな。何が社長だよ。何にもできないのに。」


大事な人が死ぬかもしれないのに
オレたちは仕事をしている。
大事な人が死ぬかもしれないのに
できることはなにもない。

いつの時代だよって感じだけど
祈るくらいしかできなかった。

無力だな。



無力を哀れんでも彼女はよくならない。

いつも彼女には
手が届きそうで届かない、
そんな感じがした。

目の前いても気持ちはわからないし
気持ちがわかったと思ったらこれだ。

いつも何を考えてるかわからないけど
おいしいねって言うその表情とか、
オレのことを的確に当ててくるところとか
確かなこともたくさんあって

彼女から見える世界の中に
もしオレが少しでもいたらいいなあって

もっととなりにいられたら
彼女の心に触れられるかなって

だってもっと知りたいから。



知りたいから。
君の、心を







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