亜成虫の森で 10 #h
4月になって、新入社員が入ってきた。
「相葉雅紀です!よろしくお願いします!」
うちの部はヒキがいいのか、イケメンが入ってきた。3つくらい下かな?たぶん。自己紹介を聞く限りは。
もうすでに先輩の女子方に相葉くんは囲まれていた。私はいつもどおりデスクに向かっていた。
正直人間に興味はない。
昼休みになって、急に話しかけられた。
「あのー、ピアノの人ですよね?」
え?
振り向くと新入社員の相葉くんだった。
「盛桜大学出身じゃないですか?オレたぶん、縦割りのクラスの合唱で鈴木さんのピアノで歌いましたよ」
「え?岩手の人なの?」
「あ、出身はこっちなんですけど、いろいろあって大学は盛桜に行ってました。」
「あ、気づかなくてごめんなさい…鈴木遥夏です。よろしくお願いします。」
「相葉です。はるかさんのピアノ、すごく上手で。すごいなーと思ってたんですよ。そしたら、ここにいるから!すごくびっくりしましたよー」
「去年こっちに来たんだ」
「そうなんですね!仕事、いろいろ教えてくださいね!!」
「あ、うん。よろしくね」
そう言われてみれば、いたかもなあ。
あんまり記憶にないけど。
それより先輩方の視線が痛い。
相葉くんはそういうの気にしないタイプなんだな。
松本さんといい、鈍感なんだろうか。(失礼)
午後は会議室に集まるように言われていた。
いつもどおりひとりでごはんを食べて、会議室に向かっていた。
エレベーターに乗り込み閉じるボタンを押そうとすると、前から走ってにのが入ってきた。
「何階?」
「26階。」
「一緒だ。」
「午後1で会議とかめんどくせえなあ」
「え?私も」
「第一?」
「うん。第一会議室。」
「…ダブルブッキング?」
「まさか。…なんの会議?」
「知らね。ただ行けって言われたんだけど。」
「私は松本さんに来てねって言われて…」
そんなことを言っている間に目的の階に着いた。
会議室を開けてみると、松本さんと見知らぬ若い人がいた。
「おー来た来た。
え?にの?」
「は?櫻井さん?なんでここに?」
にのの知ってる人?
「え?知ってる人?」
「高校の先輩…部活一緒で…」
その櫻井さんという人が、何もわかっていない私たちを置いてどんどん話を進める。
「なんだーにのもこの会社にいたんだ。いいね。より信頼できるね。
それで?紅一点のあの子が?」
「はるです。」
松本さんが勝手に紹介する。
はる、って。ちゃんと名前言ってよ。
「君がはるちゃんか〜!よろしくね!」
受け入れてるしこの人も!!
「…よろしく…お願いしま、」
後ろで急にドアが開いて誰かが入ってきた。
「すいません!遅れました!道に迷いました!!!」
「そして彼が、相葉くんか。」
「はい!相葉雅紀です!」
相葉くんも?!
松本さんと櫻井さんという人は私たちを置き去りにしてふたりで話している。
「ほんとにこのメンバーでいいの?」
「最高のメンバーじゃないか。」
「どういうこと?何が起こってる?」
にのもわかってなさそう。
「まあとりあえず座ってよ。」
櫻井さんがそう促した。
「オレは櫻井翔。たぶんオレのことを知らないのははるちゃんと相葉くんだね。僕は松本潤と同級生で、にのの先輩。ついこの間までアメリカ行っててさ。で、ついでに言うと僕の父は今この会社の社長だ。そして君たちを呼んだのは、僕が新社長になるにあたって、バックアップをしてもらおうって話。」
「…」
え?話大きすぎません?
「あ、いやいや、普通に今まで通りでいいんだよ。だけどね、社長が変わるといろいろいざこざが多いんだよ。だから信頼できる君達に根回し、ってところかな?」
相葉くんが急に声を上げた。
勇者なのかな?ほんとに鈍感なのか?
この空気の中で手を上げられるその勇気は素晴らしい。
「どうして新人の僕が選ばれたんですか?まだ入って1ヶ月も経ってないんですけど…」
「松本の部だということ、が大きいかな?あと、はるちゃんとも知り合いなんでしょう?」
みんなの視線が私に集まる。
「え、あ、まあ…」
なんで知ってんの?私でさえ覚えてないのに。
「君は護衛の役もある。はるちゃんのね?」
「私の?!」
「いじわるな女子の先輩たちからはるちゃんを守るんだ」
「いやいや…」
「わかりました!!!」
「なんで?!」
いや、護衛って。
「よし、まあ顔合せだからこんなもんでいっか!あと、このこと内緒ね〜このメンバーでの秘密ってことで。よろしく!」
松本さんと櫻井さんは先に出て行ってしまった。
私たちも廊下を歩きながら話した。
「全然意味がわからないけど」
にのに訴えてみた。
「オレも。なんだあれは」
にのもわけがわからないという顔をしている。
「なんの会議だったんだろ。具体性が全くないじゃん」
「まあでも、普通でいいんだろ?あの人学生の時からあーゆー突拍子もないことする人だったから。意味不明なのは驚かないけど。でもああ見えて、めちゃくちゃ頭いいしできるんだよ。」
「へーーー。」
この状況で受け入れるんだ…すごいなあと思った。
まあでも、櫻井さんのこと知ってるんだもんね。
「出た!人間嫌い!」
私の全く音程のない返事をにのが茶化す。
別にそういうことではない。
飲み込めないだけ。
「違うけど。そだ。ごはん行こうよ」
「あー、わり。これから出張なんだわ。準備多くてさ、海外だから」
「海外?!どこ?!」
「アメリカ」
「どれくらい?」
「1ヶ月くらいかな〜ゴールデンウィーク前には帰ってくる。」
「えー…長い」
「何、寂しい?」
「うん」
「はは笑 じゃあゴールデンウィークどっか行くか!」
「ほんと?!じゃあ待ってる」
相葉くんが急に割って入ってくる。
「え?お二人は付き合ってるんですか?」
「いや?」
「別に?」
同時に、ハモって答える。
「んじゃー頑張ってねアメリカー」
「おう」
にのは違う階に用があったらしく、先にエレベーターを降りた。
「仲良いですね」
「あの人だけなんだ、私と普通に接してくれる同僚。」
「僕だって!なんたって護衛ですから!」
護衛の意味がわからない。
「社長さんは何を考えてるんだろうね?護衛って…いや、相葉くん。頼むから、普通にしてね。私に必要以上に話しかけないで。わからないことがあったら、先輩たちいたら、先輩たちに聞いてちょうだい。」
「んー。僕、あの人たち苦手なんですけどね〜。」
「…相葉くんかっこいいから、先輩たち狙ってるんじゃない?なんにしろ、私に向かってイケメンが話しかけてるのをみると許せない性分なんだろうね。私は仕事の話しかしてないってのに。」
「でも二宮さんも人気あるんじゃないんですか?話してましたよ?うちの先輩方。」
「えー!にのも?!…私そろそろ殺されるかも」
「はるさんモテまくりですね〜!」
「死活問題だよ?」
「すみません」
相葉くんはなんだか楽しそうだったが私は全然楽しくなかった。
何が起こってるのか全くわからなかった。
全くわからないのに、唯一の味方はアメリカに行く。
仕方ないか。
ひとりは慣れてる。
最初はほんとにひとりだったし。
ただ、にのと連絡が取れなくなるのは、何か心配だった。不安になる。
帰り道、なんとなく例の本屋に寄って、店の中をあてもなくぐるぐる歩いた。本を探している風を装いつつ、今日起こった全てのことで頭がいっぱいだった。
どんっと誰かにぶつかってしまった。
「あ、すみません」
店員さんにぶつかってしまった。
店員さんが、こちらを振り返る。
「ん?前も来てくれた人?」
「あ、この前の…こんばんは。ぶつかってすみません」
「ずっとうろうろしてどうしたの?」
「考え事してました。帰ります。」
「いやいや、いいんだよ別に。誰もいないから。あと30分くらいはいいよ。そしたら店閉まるから。」
「買わないのに居たらダメです。帰ります。」
「雨降ってるよ」
「え?!なんでこう傘を忘れた時に限って…」
「雨宿りしていきなよ。ほら、ここに座ってていいから。あ、なんならお茶出そうか。ね。待ってて。」
「え、あ…」
何も言えないままそこに座っていた。
「はい、どうぞ。」
「…ありがとうございます」
「なんか悩みでもあるの?」
「周りがいっぺんに変わって。私の唯一の味方は海外出張に行くって。私会社で先輩たちに無視されてるんです。でもその味方がいるから、なんとか生きてこれたんだなって。いつもいるのが当たり前だったから、これからいないのかと思うと不安で。」
「そう。」
「でもたぶん、大丈夫…、」
「不安は人を蝕む。孤独に慣れはないよ。」
店員さんは私が話し終わらないうちにそう言った。
大声だったわけじゃないけど、しっかりと、強めの口調だった。そんなふうに話す人には見えないのに。
店員さんが元の空気感に戻って言った。
「雨止まなかったね。傘貸してあげる。」
「…すいません、」
「またおいでよ。その味方さんが帰ってくるまで、僕が味方でいるよ。僕は無視したりしないから。」
「…」
「心配しないで。僕はいつもここにいる。」
そう言って笑ったその顔が
誰かに似ていた。
そうか、あの人か。
少し似てる。
夜道を仕方なく歩いた。
雨で全部流れればよかった。
私の弱音とか、
ぶり返す思い出とか。
アメリカ出張も。
全部雨に流されてしまえばよかった。
私がにのと出会わなければ
東京に来なければ
いや、勇人と出会わなければ。
私はいちいち不安に苛まれることもなかった。
だいじなものをなくすのはいやだから
ぜんぶだいじになるまえに
てばなそう
そんな考えが浮かんで
また嫌になる。
そんなのは、ただのズルだ。
店員さんが貸してくれた傘は
松本さんの傘より軽くて小さかったけど
雨から私を守ってくれた。
でも
何も、流してはくれなかった。
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