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#セルフイメージ
自分に革命をおこしていく
ないものだらけ
僕には、何か突出しているほどの才能はありません。特にこれといって何かを成し遂げた輝かしい過去もありません。自分を満たしてくれるほどのお金をもってはいません。仲間と呼べるような存在はいません。大切な存在はあるものの、何か絶対的な使命感に駆られるほどのやりがいを感じることはありません。かと言って、腰を据えて何かをしようという覚悟もありません。人と比べたら、根性もなければ、努力もたりま
ないものねだりでいるから
ないものねだりの代償
ずっと自分に自信が持つことが出来ませんでした。だって、僕は欠点ばかりだったから。僕なりに必死になって頑張ってはみたものの能力やポテンシャルに満足することはありませんでした。
自分にないものばかりだったから、安心したくて、いつも誰かと比べていたんです。ですが、「僕にはないのに、あの人は持っている。」「僕は苦手で苦戦しているのに、この人は余裕で出来ている。」そんな風にしか見る
心から自分を好きになる
自分を嫌いなせいで
かつて僕は、自分が嫌いで仕方ありませんでした。自分を憎んでさえいました。それでも自分を信じてみようと何度も試みました。ですが、結局は裏切られたの繰り返し。そのうちに、自分との信頼関係なんか壊れてしまい、愛想が尽きてしまったのです。そいれほどまで、自分を信じれなくなってしまったのでした。
生きていれば、必ずと言っていいほど、悲しみや辛いことを経験してしまうものです。どうしよう
自分の為に、怒り、憎しみ、恨みを捨てよう
憎しみは消えない
もし、あんなことがなければと思うことは沢山あるのです。あんなに酷い目に遭えば、人格だって変わるものです。こんなにも、悲観的で、卑屈で、いつまでも勇気が持てないのは、かつて受けたいじめや母親との確執。そして、僕のことを、ぼろ雑巾のように扱った会社の上司のせい。
僕が、一体何をしたのかというのか。生意気な態度を取ったのか。反抗的な態度だったのか。自分のダメな部分を探してみても、釣
僕は邪念を捨てることが出来るのか?
集中力がない
ここ最近なのですが、気が付いたことがあります。何をするにしても、気が散ってしまって集中出来ない自分がいるのです。確かに、毎日毎日やらなくてはいけないことが山のようにあります。ひとつのことに集中したくても、邪魔が入って出来ないこともあります。集中したくても出来ない状況に陥ってしまうのも分かるのです。
だからこそ、余計に思うのです。集中出来るときに、集中したいと。なのに、気が付けば、
自分だけが損をしていると思うのはなぜですか?
いつも自分ばっかり
嘆きたくなるときがあります。世の中は不公平ですみたいに。どうして僕ばかり、頑張っても報われないのでしょうって。
実は、つい先ほどまでそんな風に思っていました。今は、少し落ち着くことができたので、冷静に振り返っていこうと思います。
かつての僕はというと、周りのみんなが笑って幸せを感じてくれるのなら、僕自身は我慢しても良いと思っていました。自分さえよければと言う考え方は、どこ
勇気が持てないときこそ
泣き言を言っている場合じゃない。でも…。
雨は嫌い。とってもナーバスな気持になってしまいます。鬱々としていたあの時の気持ちを思い出してしまうからです。あの時も雨でした。僕は不安な気持ちを抱えながら、傘をさして再就職先の所に向かっていました。とても気が重かった。怖くて仕方なかった。また、失敗するのではないかと思うと、くじけそうになって、足が進みませんでした。
そんな気持ちを、雨がより一層重たい空
日々、努力しているからこそ
何もしないで何かあるはずがない
大人になって、しばらく引き籠りをしたことがあります。出かけるとしても、スーパーと銀行にしか行きませんでした。ほどほど、人との繋がりが嫌になってしまったのです。お金尽きるまで、何もしないでおこうと心に決めていました。何もする気にはなれなかったのです。
ただ、今となっては、そんな事でも良い経験になったと思う部分があります。学ぶことが出来たことがあるからです。
それ
未来の気持ちを味わうようになったきっかけは
成功することが出来なかったのは
立派な料理人になって、成功すること。これが、僕が自分で決めた夢でした。自分で決めたはずなのに、状況が不利なときになると、僕は誰かのせいにしたり、言い訳をしては、追いかけるかどうか迷うのでした。
それは、どういうことなのかというと今となっては、客観的に自分をみることが出来るので分かります。感情的になっていたということ。嫌なことがあれば、怒りや悲しみの感情を表してい
自分ストーリーを書き換えるだけで
かつての自分の中のストーリー
思いを変えることが出来れば、行動がかわる。行動が変わると習慣が変わる。習慣が変わると人生が変わる。つまり、思いを変えれば人生が変わるものだというもの。
僕はこの言葉と出会ったときに、そう簡単なものではないと感じました。心の中では否定していたのです。それは、僕の中で深く根付いていたストーリーがあったからです。
この世界は不公平で、人生は辛いもの。そうどこかで信じて