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「断る」の定義

嫌と言えないのは

かつての僕は嫌だと言えない性格でした。「どんなことでも、嫌な顔もせずに、何でも引き受けなさい。それが、いつかは実を結ぶものになるから。」「若いうちは、四の五の言わずに、何でもやりなさい。」こうした教えをかなり厳しく叩き込まれたからです。

でも、嫌なものは嫌なものでしかありません。感情は激しく揺さぶられます。そのことで、もっと自分にとって大切なものや時間を失ってしまうものです。それらは、大きなストレスとなります。また、人間関係においても、都合の良い人だとみなされてしまいます。

こうしたものを上手に断ることが出来たのなら、もっと人生が楽に、自分らしく生きられるものになるのではないかと感じるのです。

母は厳しい人でした。自分の思い通りにならないと気が済まない人でした。僕は、そんな母から、ずっと公務員になるように小さな時から言われてきました。いつしか僕も、将来なりたいものを公務員だと思い込んでしまうのでした。

しかし、高校生の頃に、反発心と共に、自分の本音に気が付いたのです。自分の将来は自分で決めたいと感じていたことに。でも、嫌と言えなかったんです。ずっと、母の顔色を伺うように公務員になりたいと言っていましたから。でも、ずっと自分の心の中を土足で踏みにじられているような感覚でした。だから、僕は大学受験から逃げたのかもしれません。

それから、いくつか仕事をしてきましたが、職場でも断ることが出来ませんでした。誰もが嫌がるような仕事はいつも、僕は押し付けられていました。明らかにわかるんです。そうした仕事をやるべき人間が僕しかいない訳ではありませんでした。当時が人手不足で仕方なしという訳でもありません。ただ、僕に言いやすかったからなのか。僕のことが気に食わなかったのかは分かりませんが、何でもかんでも、人が嫌がるような仕事は、押し付けられていました。そうした仕事は、分担したり、順番に回していけばいいのに、そう思っていても、言えずに、いつも耐えていました。

言えば、嫌われるかもしれない。関係性が悪くなるかもしれない。わがままだと思われるかもしれません。

そうした思いから、断ることができなかったのです。

心の境界線の引き方

こうしたことで、嫌な思いを自分にさせてしまうのは、心の境界線が、自分で上手く引けていないことだと言うのです。それは、自分といういうものが僕の中で確立することが出来ていなかったからだということ。

自分という人間はこういう人間なんだと明確にすることが出来れば、はっきりと心の境界線が引けるから、他人に振り回されることなくいられるものだということです。

境界線を越えてくるものに、はっきりと「ノー」と言えるのです。

先ほどから出てくる、心の境界線とは、自分と他人とを分ける為に線引きのようなものです。人間関係においては、とても重要となるもので、自分も相手も尊重出来るようになるためのものだと言われています。

本当の自分でいることは、幸せであることだと感じています。かつての僕のようにあれもこれも、人から土足で踏みにじられていくように、振り回されてしまっては、いつも、心穏やかにはいられないものですから。本当の自分でいることは、自分を大切に出来るというものです。その為に、心の境界線を明確にすることが大切だとされています。

その為に、物事を少し深く考えることが大切だと学びました。

それは、誰の課題なのかをはっきりさせること。

例えば、僕の将来のことは、僕の課題であって、母の課題ではありません。母はよく、私にも言う権利があると主張していたのですが、それは果たして本当に権利でしょうか。こうして欲しいという欲求でしかないと思うのです。将来のことは僕の課題だと明確にすることで、はっきりと自分でも理解できるので、口をださないでと言うことが出来たのではないかと考えます。

また、職場の嫌な仕事を押し付けられることに関して言えば、それは、僕だけの課題ではなく、職場にいる皆の課題です。ですので、当然一人に押し付けるのではなく、全員が納得できるように話し合う必要があるものだということ。ここをきちんと理解出来ていれば、僕は話し合いを求めることは可能だったということです。

心の境界線の引き方は、誰の課題かを明確にすることで、分かりやすく理解することが出来るものだということです。これは断っていいんだと自分に言えるのは、心強いものでもありますから。

しかし、それでも、僕は断ることが出来なかったような気がします。断ることで、相手からも、「ノー」と言われるんじゃないかと不安になるかあらでした。そのことで関係性が悪くなるのではないかと考えてしまうからです。

それは、何処かで、僕が僕自身の気持ちを否定していたからだというものでした。

断れば嫌われるかもしれない。自分という人間は、ノーと言うべきではない。それは、ありのままの自分の気持ちを強く否定しては抑え込んでしまっていたのです。

自分が自分を否定しているから、自分の権利を主張することができないというもの。自分をまだまだ、受け入れていないということだったのです。

ですので、不安になる自分も否定されてしまい寂しい気持ちになった自分も、優しく寄り添い受け入れてあげることが大切なのだということが分かったのです。

不安な気持。寂しい気持ちや悲しい気持ち。がっかりした気持ち。惨めな気持ち。これらをちゃんと受け止めてあげるのです。そうだよね。不安だよね、寂しいよね、悲しいよね、がっかりしたよね、惨めな思いをしているよね。そうやって、自分の気持ちを受け止め続けることで、自分を受け入れることが出来るようになれるのだということです。自分を自分が受け止められる。この安心感は、なによりも自分を守るための勇気に繋がりますから。

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