Munakata Shun

人生の見聞録と回顧録 善く生きる Major in justice

Munakata Shun

人生の見聞録と回顧録 善く生きる Major in justice

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  • エストニア日記

    エストニアに行った体験を四章にわたって綴ったものをまとめました。

記事一覧

にしは桜になれ。

 一人旅で真冬の北海道大学を訪れた時。写真撮影を頼むため、通りがかった学生さんに話しかけた。写真撮影を頼むだけになるのも申し訳ないので、出身地はどこかという話題…

Munakata Shun
1日前
1

"好き"を仕事にする

 キャリア形成においてよく言われるのが、"好き"を仕事にすることである。就職活動中の人はよく耳にする言説だろう。  かくいう筆者も、就職活動時にはこの考え方を参考…

Munakata Shun
1か月前
3

久しぶりにドラえもんを見た。

 社会人一年目、8月の土曜日夕方。 テレビをつけると、ドラえもんが放送されていた。  自分が小学生だった時は金曜の夜7時からだったなぁ。7時半までの放送の後は、クレ…

Munakata Shun
2か月前
5

学生時代に、脳汁をドバドバと流しながら試験勉強していたあの感覚が懐かしい。

一労働者となった今となっては、流れているのは脂汗なのに。

Munakata Shun
2か月前
1

留学中の自炊で勝手に平和学習した話。

 ドイツに留学していた2023年秋。日本ではきんとんが食べられる季節になっていた。季節的な食事を楽しみたい自分は、ドイツでもきんとんを作ろうと思い立った。  近所の…

Munakata Shun
3か月前
1

ダボ市長娘へのセクハラ事件で思ったこと

 美濃加茂市の副議長が、姉妹都市であるオーストラリアのダボ市長の娘にセクハラ行為をしていたことについて。    事の発端は、姉妹都市であるオーストラリアのダボ市長…

Munakata Shun
5か月前

入学式を迎えられなかった卒業生たちへ

 昔、大学の同窓会支部の懇親会に参加した際に、高齢の同窓生が誇らしく校歌を歌っていた。それに対して、入学式を始めとして、校歌を知る機会がなかった自分達が全く歌え…

Munakata Shun
6か月前
5

最後の日曜日 感謝と愛

 ドイツ留学中、最後の日曜日を迎えることになった。     閉店法で街中の店が閉まり、家でゆっくりと過ごすドイツの日曜日。 日曜日の朝が来るたびに、教会の鐘の音を…

Munakata Shun
7か月前
4

億万長者

 小学六年生の時、空手道場の駐車場で親友にウォークマンを貸してもらった。その時に聴いて気に入ったが、曲名を知らず、聞き直せずにいた曲がある。あれから十年余り。学…

Munakata Shun
8か月前
1

おばあさんを助けて自分が逃げていたことに気付いた

 このくらいの体験談が道徳の教科書にふさわしいのかもしれない。  住まいの近くのスーパーで、何気なく仁義的な体験をした。  乳製品のコーナーを歩いていると、おば…

Munakata Shun
8か月前
2

昨年4月に就職活動の一環で書いた作文

さがしもの  昨晩、私は自室でさがしものをしていた。日記をつけるためのシャープペンシルが見当たらなかったのだ。    高校生の時から日記を書き続けてきた。その時か…

Munakata Shun
9か月前
3

第三章  

 一泊二日の二日目。夕方のタリン空港。帰りの飛行機を待っている時に目の前にある卓球台を見つけた。たまたま居合わせたフランス人の男らとダブルスを。中学から高校まで…

Munakata Shun
9か月前
1

エストニア日記 第二章

第二章   ドイツ南部ミュンヘンに降り立った。さすが国際空港、ANA(?)のCAさんらがいる。彼女らに話しかけ、久しぶりに日本語の会話をした。搭乗して数時間。上陸体制に…

Munakata Shun
9か月前
3

エストニア日記 第一章 出発

 出発前日に空港に間に合う始発列車がないことに気付いた。急いで空港近くの安いホステル(一泊二千円くらい)を予約。  経由地の中央駅で移民系の男から罵声を浴び、治…

Munakata Shun
10か月前
7

エストニア日記 行く前の第0章

 ヨーロッパに生活拠点を置き、近隣の国に旅行に行くとなったらフランスやイギリスといったメジャーな国を想像されるだろう。  自分はなんだか、そういったことに逆ばっ…

Munakata Shun
10か月前
1

ポツダム訪問

 1945年7月、ポツダムで連合国による戦後処理が話し合われた。  そんな、歴史的で責任のある地に足を運んでみた。  当日は、舞台のツェツィーリエンホーフ宮殿が休業…

Munakata Shun
11か月前
1
にしは桜になれ。

にしは桜になれ。

 一人旅で真冬の北海道大学を訪れた時。写真撮影を頼むため、通りがかった学生さんに話しかけた。写真撮影を頼むだけになるのも申し訳ないので、出身地はどこかという話題を振った。

「福島です!」

 この時、寒かったからなのか緊張していたからなのか、福島と言われて脳内に浮かんだのが震災のことと、俳優の西田敏行さんのことだった。前者は雑談としてはセンシティブ過ぎる。後者を選択。

「福島なんですね!西田敏

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"好き"を仕事にする

"好き"を仕事にする

 キャリア形成においてよく言われるのが、"好き"を仕事にすることである。就職活動中の人はよく耳にする言説だろう。
 かくいう筆者も、就職活動時にはこの考え方を参考にした。そして、就職活動を進めていく中で、"好き"を仕事にするとはどういうことなのかの学びを得たと思う。
 
 そこで、今回は表題にもある、"好き"を仕事にするとはどういうことかを論じていく。  

 早速、答えを言いきってしまうが、"好

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久しぶりにドラえもんを見た。

久しぶりにドラえもんを見た。

 社会人一年目、8月の土曜日夕方。
テレビをつけると、ドラえもんが放送されていた。

 自分が小学生だった時は金曜の夜7時からだったなぁ。7時半までの放送の後は、クレヨンしんちゃん、ミュージックステーションと続くゴールデンタイムだった。
 
 今では、土曜の夕方5時に移ったわけだが、小学生たちはどんな気分で見ているのだろう。僕らの頃は、平日の学校が終わり、これから来る週末に心躍らせながら見ていたも

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学生時代に、脳汁をドバドバと流しながら試験勉強していたあの感覚が懐かしい。

一労働者となった今となっては、流れているのは脂汗なのに。

留学中の自炊で勝手に平和学習した話。

留学中の自炊で勝手に平和学習した話。

 ドイツに留学していた2023年秋。日本ではきんとんが食べられる季節になっていた。季節的な食事を楽しみたい自分は、ドイツでもきんとんを作ろうと思い立った。

 近所のスーパーでそれっぽい見た目のイモを見つけ、周りにスイートポテトかどうかを聞く。自信満々にそうだと教えてくれたスイートポテトを抱えて甘い景色の帰路へ。

 シェアフラットの共用キッチンできんとんづくりは始まった。イモを取り出し、日本で行

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ダボ市長娘へのセクハラ事件で思ったこと

 美濃加茂市の副議長が、姉妹都市であるオーストラリアのダボ市長の娘にセクハラ行為をしていたことについて。
 
 事の発端は、姉妹都市であるオーストラリアのダボ市長の歓迎会を美濃加茂市で行っていた時のことである。当時、カラオケで歌っていた美濃加茂市の副議長がダボ市長の娘の股間にマイクを近づける様子がセクハラであると問題になっているのだ。
 
 相手が少しでも不快感を感じたのならその時点でほぼ間違いな

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入学式を迎えられなかった卒業生たちへ

 昔、大学の同窓会支部の懇親会に参加した際に、高齢の同窓生が誇らしく校歌を歌っていた。それに対して、入学式を始めとして、校歌を知る機会がなかった自分達が全く歌えずに唖然としてしまったことがある。大学への帰属意識が卒業生とかけ離れ過ぎていたことが見事に可視化され、それはそれは大きな衝撃だった。

 ただ、思えばコロナ禍で大学は大学生らしい対面授業や文化祭、入学式をさせてくれなかった。自分が何度も事務

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最後の日曜日 感謝と愛

最後の日曜日 感謝と愛

 ドイツ留学中、最後の日曜日を迎えることになった。
 
  閉店法で街中の店が閉まり、家でゆっくりと過ごすドイツの日曜日。 日曜日の朝が来るたびに、教会の鐘の音を聞いてきた。 毎週の同じ日、同じ時間に鳴る音は、初めは新鮮に、途中からは日常の一コマとして、終わりが近づいてきてからは哀愁を漂わせて響いている。

 今日のこの日に至るまで、無事に生きぬくことができた。 そして、ドイツ国内、ドイツ外の

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億万長者

 小学六年生の時、空手道場の駐車場で親友にウォークマンを貸してもらった。その時に聴いて気に入ったが、曲名を知らず、聞き直せずにいた曲がある。あれから十年余り。学科の自習室でそのメロディーを聞き、急いでアイフォンの音楽検索アプリ、"Shazam"を開いて検索した。その曲は、ブルーノ・マーズの"Biliionaire"だった。
 
 資本主義社会に生き、二か月後には労働者になる自分。"Billiona

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おばあさんを助けて自分が逃げていたことに気付いた

 このくらいの体験談が道徳の教科書にふさわしいのかもしれない。

 住まいの近くのスーパーで、何気なく仁義的な体験をした。

 乳製品のコーナーを歩いていると、おばあさんから話しかけられた。

 
 大学では周りが流暢に英語を話していることもあり、意思疎通には苦労しない。むしろ自分の英語がつたなくて申し訳ないくらい。
 基本的に地元の高齢の方々はあまり英語を話せるという印象がない。ドイツに来たばか

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昨年4月に就職活動の一環で書いた作文

昨年4月に就職活動の一環で書いた作文

さがしもの

 昨晩、私は自室でさがしものをしていた。日記をつけるためのシャープペンシルが見当たらなかったのだ。
 
 高校生の時から日記を書き続けてきた。その時から日付と時刻を黒のボールペンで、本文をシャープペンシルで書くスタイルは変わっていない。時刻が23時59分の時はその日に書くのをサボり、次の日に書いたことを暗示するサインである。大学生になってからの私は、夜遅くまで出歩くことが多くなり、そ

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第三章  

第三章  

 一泊二日の二日目。夕方のタリン空港。帰りの飛行機を待っている時に目の前にある卓球台を見つけた。たまたま居合わせたフランス人の男らとダブルスを。中学から高校まで卓球部だったこともあって久しぶりにプレイしてもビギナー以上のことはできる。彼らはあまり英語が堪能ではないようで、ナイスプレーが決まった時の感嘆以上に会話の広がりがない。

 とりあえず何か知っているフランス語を。「Do you know “

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エストニア日記 第二章

エストニア日記 第二章

第二章 
 ドイツ南部ミュンヘンに降り立った。さすが国際空港、ANA(?)のCAさんらがいる。彼女らに話しかけ、久しぶりに日本語の会話をした。搭乗して数時間。上陸体制に入るアナウンスを聞いて地上を見下ろした。見れば一面銀世界。前に北海道に来た時を思い出した。北欧に来たんだ。

 降り立ったタリン空港は日本にある地方空港程の規模で、とても一国家のメイン空港とは信じがたい。そのコンパクトさもまた、良い

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エストニア日記 第一章 出発

エストニア日記 第一章 出発

 出発前日に空港に間に合う始発列車がないことに気付いた。急いで空港近くの安いホステル(一泊二千円くらい)を予約。

 経由地の中央駅で移民系の男から罵声を浴び、治安の悪さを実感する。地図を頼りにホステルに向かうが見つからない。指示された道を通るが、いつの間にか通り過ぎてしまうのを繰り返した。ホステルのオーナーに電話をかけ、場所を教えてもらうと、ただのアパートの入り口のような場所に着いた。そして扉が

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エストニア日記 行く前の第0章

エストニア日記 行く前の第0章

 ヨーロッパに生活拠点を置き、近隣の国に旅行に行くとなったらフランスやイギリスといったメジャーな国を想像されるだろう。
 自分はなんだか、そういったことに逆ばった行動をしてしまう。誰も予想だにしなさそうな国に行こう。そうだ。

          エストニア。

 その国の存在を知ったのは大学に入った後である。ゼミの先生がバルト三国を研究していることと、ロシアによるウクライナ侵攻で注目されたことが

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ポツダム訪問

ポツダム訪問

 1945年7月、ポツダムで連合国による戦後処理が話し合われた。

 そんな、歴史的で責任のある地に足を運んでみた。

 当日は、舞台のツェツィーリエンホーフ宮殿が休業日ということもあってか、辺りは閑散としていた。ただ、戦後処理という世界規模の話し合いがもたれた場所としてはあまりにも不釣り合いである。
 
 最寄りのバス停から徒歩数十分。ベルリンの郊外であるという情報以上に、平静な田舎町である。会

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