入学式を迎えられなかった卒業生たちへ
昔、大学の同窓会支部の懇親会に参加した際に、高齢の同窓生が誇らしく校歌を歌っていた。それに対して、入学式を始めとして、校歌を知る機会がなかった自分達が全く歌えずに唖然としてしまったことがある。大学への帰属意識が卒業生とかけ離れ過ぎていたことが見事に可視化され、それはそれは大きな衝撃だった。
ただ、コロナ禍で大学は大学生らしい対面授業や文化祭、入学式をさせてくれなかった。自分が何度も事務方に提案しても、クラスター発生した時の責任を問題にして相手にしてもらえなかった。そんな大学側の態度で学生側に愛校心・帰属意識を持ってもらうのは無理があることだろう。
問題が発生した時の責任は意識しているのに、学生に楽しい大学生活を提供するための責任は考えないのだろうか。短期的に見れば、責任が発生するような問題がなく、上手くやりすごしたように見えるかもしれない。
ただ、長い目で見た時に、学生時代に大学への愛校心が育たなかった卒業生が同窓生になることはどういうことだろうか。彼らが卒業生として学校を支えてくれるかどうかというのは重要な問題になってくる。サークル等の予算の一部はは同窓会から支給されているし、学生の就活も、人事担当者となった卒業生が助けてくれることがある。思った以上に大学に良い印象を持ってもらうかは大事であり、それがない学生が同窓生になっていくことはどういうことを意味するのか。それを想像したのか。
そして、明日卒業式を迎える学生のほとんどは校歌を知らないだろう。卒業式の校歌斉唱のときにどうするのか。
入学式は無かったが、卒業式はある。
納得いかないが、それでも僕らは卒業式に出席する。
校歌斉唱の場面では誰一人として歌えないかもしれない。
それはこの4年間、自己保身に走った大学への声なき非難なのである。