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最後の日曜日 愛と感謝


ドイツ留学中、最後の日曜日を迎えることになった。
閉店法で街中の店が閉まり、家でゆっくりと過ごすドイツの日曜日。 日曜日の朝が来るたびに、教会の鐘の音を聞いてきた。 毎週の同じ日、同じ時間に鳴る音は、初めは新鮮に、途中からは日常の一コマとして、終わりが近づいてきてからは哀愁を漂わせて響いている。


今日のこの日に至るまで、無事に生きぬくことができた。 そして、ドイツ国内、ドイツ外の多くの場所を旅した。その度にいろんな教会、聖堂を見て、キリスト教世界の創り出す芸術に心を打たれてきた。実際にその宗教の世界に入って何かを学ぼう。そして、今日まで無事に過ごせてきた感謝を神様に伝えよう。そう思った今日は、いつもは通り過ぎてきた教会に足を踏み入れた。

入り口で貸し出されたドイツ語の聖書を片手に礼拝が始まった。 パイプオルガンでの伴奏、参加者も一緒に歌う讃美歌。聖書に書かれた神の言葉も、牧師さんが説くありがたいお言葉も、ドイツ語初学者の自分には難しかった。

ただ、聖書に多く書いてあったのは、感謝を示す動詞である”dank”や、愛を意味する”liebe”だった。どのページにも、どの聖歌の歌詞にもその言葉を見つけることができた。

“神を信じる”ということは感謝すること、愛を忘れないことなのでは。そう考えた。

ステンドグラス越しに射しこむ光に照らされ、牧師の言葉は続いた。ウクライナ、ウラジミール・プーチンという単語を聞き取ることができた。今日は2月24日でウクライナ侵攻が始まって二年目である。イスラエル、パレスチナという言葉も拾うことができた。

今、こうして自分が教会にいる間に、平和のために戦っている人がいる。それを感じさせないかの如く絢爛豪華なステンドグラスからの光。彼らの試練だらけの日常に光が刺す日は来るのだろうか。

理解できない牧師の言葉に神妙な表情で耳を傾けている自分の中に、留学期間中の思い出が走馬灯のように浮かび上がる。ダンスパーティ、旅行、友人との談笑。それらばかりが浮かび上がり、授業風景がほとんど出てこない不謹慎な走馬灯。
思い出の中身がどうであれ、自分はこの国に多大な感謝を感じ、愛着を持つことができた。 自分なりの解釈に当てはめれば、それだけで合格点である。 自分が去った後に来た人が自分と同じように同じ音を聞き、彼らの日常で感謝、愛着を感じる場面があるといいな。
愛と感謝。最初で最後の日曜礼拝。

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