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第三章  

 一泊二日の二日目。夕方のタリン空港。帰りの飛行機を待っている時に目の前にある卓球台を見つけた。たまたま居合わせたフランス人の男らとダブルスを。中学から高校まで卓球部だったこともあって久しぶりにプレイしてもビギナー以上のことはできる。彼らはあまり英語が堪能ではないようで、ナイスプレーが決まった時の感嘆以上に会話の広がりがない。

 とりあえず何か知っているフランス語を。「Do you know “クレム デ ラ クレム”?」と聞いてみた。通じなかったので自分が思うフランス語っぽい言い方で言い直してみたら通じた。「よく知ってるな。それを知っていればベストだ。」と褒めていただいた。("crème de la crème"とは、クリームの中のクリーム、最高の中の最高を表すフランス語の慣用表現である。村上春樹の小説から学んだ。) 実を言えば、自分はフランス国歌ラ・マルセイエーズの一節である”Marchons, marchons !”を知っている。ただ、昨晩ホステルで知り合ったフランス人の女の子の前で口ずさんだら、ナショナリスト・極右の象徴だからやめてほしいとのことだったのであえて封じたのだった。(フランス革命当時は自由の象徴だったが、今ではそれを利用されてセンセーショナルな意味合いに代わっているらしい。ルペンを支持する人の前では受けるかもしれない。)

 フライトは雪の影響で一時間程遅延しているらしく、隣にいた女性に話しかけて時間を潰すことにした。彼女はドイツ人で、ここ数か月間の自分を取り巻く言葉の話になった。自分は基本的に、会話相手の母国語を話して相手を喜ばせることでその後の会話の糸口にしている。ドイツ語の会話では"Ach, so"を使いまわして会話の内容を楽しんでいるかのように演じていると言ったら笑われていた。("Ach, so"とは日本語でいう”あ、そう”とほぼ同義であり、発音も「ア、ゾォー」とかなり似ている。日本人には一番覚えやすいドイツ語である。逆にドイツ人にとっても日本語の"あ、そう"は一番覚えやすいはずだ。)
 タリンで、人に話しかける時は「Tele. Do you speak English?」と、最初に相手の国の言葉を話すと相手は気分が良くなって、親切に教えてくれたこと。ドイツでも「Entschuldigung. Sprechen Sie Englisch?」と話しかけてから英語での会話を始めていること。そんなことを話したら、「あなたの言葉へのアプローチ方法は素晴らしい、あなたは語学において"phenommenom"だと思う。」と言われた。"Phenommenom"ってどういう意味だ?日本語で”現象”を意味することしか知らなかった。自分は語学において現象なのか?とりあえず笑みを浮かべて「Ach,so」と返しておいた。(後で調べたら非凡なこと、天才という意味もあるらしく、褒められているのだと気づいた。笑顔でAch,soはそれなりに正しいリアクションだったのである。)
 
 飛行機もドイツに着き、降りる際、CAさんに「お疲れさまでした。またね。」と話しかけられた。日本で仕事した際に学んだ日本語らしい。試練だらけの旅の終わりに”お疲れ様”と話しかけられたことでかなり安堵したのがわかった。やはり、人は母国語で話しかけられるとうれしい。彼女のサービスの技量は"phenommenom"だ。

 ジョージア人との取っ組み合いから始まり、CAさんのお疲れ様で終わったエストニアへの旅。
 空港から駅までの道を聞いた時に「Tele, Do you speak English?」と尋ねてしまった。いつの間にかドイツ語で話しかけてしまう癖が消え、エストニア語になっていた。自分の留学もそのように本格的なドイツ語に慣れた頃に終わりを迎えるんだろうな。そんなことを思いながら中央駅行きのトラムに乗ったのだった。


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