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多様性への理解、含むLGBTsの理解が進めは障害という言葉のない社会 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

Lincoln

 多様性の理解やLGBTsの理解が進めば、例えば男か女かといったデジタルな理解からその中間を許すアナログ的なグラデーションの存在を自然に受け止められ様になり、それを敷衍(ふえん 意味をおし広げて説明すること)すれば

障害

という言葉のない社会が見えてくるというお話です。
そもそも子供の頃からのこの言葉に違和感が有りました。

 その辺りは以下の作品もお楽しみ下さい。

 分かりやすい卑近(ひきん 身近でありふれている)な例として入学試験があります。例えば東京芸術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻の試験には合格、不合格というデジタルな結果が用意されています。しかし現実はアナログ的に合格点数を遥かに超えて合格する場合、合格点数ぎりぎりで合格する場合、合格点数を僅かに下回って不合格する場合、合格点数に遥か及ばず不合格する場合等。
 東京芸術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻の試験に合格点数に遥か及ばず不合格したらそれは美的能力に「障害」があるというのでしょうか。単純にその時の試験に対する統計的分布のたまたま端になったということでしか無いということです。
 例えばピアノはそこまでではなくとも、同大学音楽学部声楽科の試験は合格したとか、早稲田大学の先端理工学部環境資源工学科を受けたら合格したとか、デジタルな結果ですら物差しを変えれば変わります。

 少しだけ身近な例として、アメリカのミステリー・コメディドラマシリーズ Monk(邦題 名探偵モンク)は強迫性“障害”を患う私立探偵エイドリアン・モンクが事件を解決していくアメリカのテレビドラマがあります。この作品の中では強迫性“障害”を疾患ではなく1つの有能な個性として、しかも現実的な社会的な赤裸々な評価との機微まで描き切っています。

 地上波では馴染みが無いと思いますので一応以下の説明も御覧下さい。

 少しずつですが多様性の理解やLGBTsの理解が進んでいます。ですから障害という言葉のない社会が見えてきているというお話でした。




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