詩織

機能不全家族育ち。小学生の頃はチック症、強迫性障害、不安症に悩んでいました。

詩織

機能不全家族育ち。小学生の頃はチック症、強迫性障害、不安症に悩んでいました。

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「家族いじめ」

はじめに人の一生を80年と考えるとちょうど折り返し地点の40歳の年、私はひとりのカウンセラーに出会いました。 その出会いは、私の今までの常識を覆し、生き方を劇的…

詩織
3年前
20

綺麗な花柄の傘を持って

子供が小さい頃から「傘を買うときは明るい色で華やかな物を買いましょう」と決めていた。 雨の日は曇っているし、車から歩行者が見えにくい。黒やグレー、ネイビーの傘だ…

詩織
2年前
2

刺激

noteを書く事で私はある期待をしていた。 トラウマを思い出し整理して書くと言うことで”癒される”のでは無いかと思っていた。 ところが書き出したら今まで蓋をしてきた…

詩織
2年前
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優しさをばらまく事を辞めました

私は祖母に「誰にでも優しく接しなさい」と言われて育った。 祖母は私に優しくなかった。いつも命令口調で反論すると「子供が大人に意見するなんて生意気だ」と言って叩か…

詩織
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40代、憧れのシャネルが手に入れられない

20才の時だった。 私はバスに乗っていた。揺られる車内でカシャンと後ろの席から音がした。それと同時に「アッ!」と、呟く女性の声。 足に何かが当たった。下を向くと…

詩織
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文章を書くことを馬鹿にされ

高校生の頃から短編小説やエッセイの公募を見つけては応募していた。それは唯一の趣味だった。 自分の思いを文章に乗せ応募する。かかるお金は封書と切手代という安上がり…

詩織
2年前
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〜ひとり言〜 植物が枯れなくなった

結構、不幸な人生だった。 カウセリングに2年通った。そのおかげで今は、自分らしく生きれるようになってきた。 その前には心療内科に7年通った。そこでも1年間だけカ…

詩織
2年前
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学校が嫌いすぎて夢を見る

私は今、40代前半。ようやくここまで歳を取ったって感じだ。私は早く歳を取りたかった。一度、自殺未遂をして死ねなかった。寿命を待つことにした。 よく「子供の頃に戻…

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2年前
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私が離婚を決意した出来事

離婚するのは大変なことだ。よく結婚よりも何十倍も大変だと言うが本当にその通りだった。 離婚の理由というのは多分、一つではないはずだ。いろんな理由があってそれらが…

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2年前
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ザ・ブルーハーツに癒されて

友達に不本意なことを言われて心がかき乱されてしまったとき。 家族に自分自身のあり方を否定されてしまったとき。 職場の人間関係がうまくいかず辞めたいと思ったとき。…

詩織
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〜虐待された私が子供を育てる〜

小さい頃から叩かれる事は当たり前だった。外出先でも怒鳴られ、罵られた。日常的な出来事は、異常性に気づきにくい。それらが虐待だと分からなかった。 小学生の頃、チッ…

詩織
2年前
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〜ひとりごと〜MacBookとカフェラテに憧れて

私、ネガティヴなんです。 小心者で常にビクビクして周りを気にしてしまいます。ブログを始めてみたものの私の書いた物を見て不快に思ったり馬鹿にされたりするではないか…

詩織
2年前
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9才、強迫性障害の始まり

何気ない事だった。 学校の帰り道、電信柱を横切る時にサッ、と手を出して柱に触る様になっていた。 触ろうと思った時に向かいから人が歩いて来て電信柱に触れない時があ…

詩織
3年前
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9才でチック症になった時の話〜誰も病気だと気付かないで怒鳴られた日々

私は9才で肩が凝る様な感覚に襲われる様になった。 肩がダルくてたまらなくて肩をよく動かして骨をコキコキと鳴らす様になった。そのうちに肩を動かさずにはいられなくな…

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3年前
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8才で不安症になった時の話〜心の声が漏れている〜

授業中だった。 あ〜あ、つまんない!こんな事して何になるんだろう?馬鹿みたい。 そう心の中で呟いた。するとふと不安が襲って来た。私今、声に出して言ってないよね?…

詩織
3年前
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カバードアグレッション〜元友達に攻撃を受けた話

先日の話だ。夜の7時、実家の母から電話があった。 「宮本のりこ(仮名)って知ってる?」 ケータイを持つ手が震えた。5年前に縁を切った女友達だ。 「その子がどうし…

詩織
3年前
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「家族いじめ」

「家族いじめ」

はじめに人の一生を80年と考えるとちょうど折り返し地点の40歳の年、私はひとりのカウンセラーに出会いました。
その出会いは、私の今までの常識を覆し、生き方を劇的に変えるものでした。

生きる意味を見失い、ただ辛い毎日をやり過ごしていた私に、幸せに生きる方法を教えてくれたのです。その方法を学び、理解して身につけるまで二年かかりました。
私は今、自信と夢と希望を持って毎日を過ごしています。

それまで

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綺麗な花柄の傘を持って

綺麗な花柄の傘を持って

子供が小さい頃から「傘を買うときは明るい色で華やかな物を買いましょう」と決めていた。

雨の日は曇っているし、車から歩行者が見えにくい。黒やグレー、ネイビーの傘だと見えづらく事故に巻き込まれる可能性が増えてしまう。

いつもは地味な色合いばかりの服を着ているが明るい色の傘をもつ”理由”が出来た。

いつも花柄の傘を買う。白地に赤のガーベラだったり、黄色の生地にグレーの百合が線で描かれていたり。雨の

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刺激

刺激

noteを書く事で私はある期待をしていた。
トラウマを思い出し整理して書くと言うことで”癒される”のでは無いかと思っていた。

ところが書き出したら今まで蓋をしてきたくさいものが吹き出し怒りや悲しみを、たくさん感じ直す事となってしまった。

少し鬱っぽくなってしまった。

書いて書いて、書きまくったらすっきりするのかな?

本当は私は笑えるエッセイを描きた。

さくらももこさんに憧れている。人を楽

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優しさをばらまく事を辞めました

優しさをばらまく事を辞めました

私は祖母に「誰にでも優しく接しなさい」と言われて育った。

祖母は私に優しくなかった。いつも命令口調で反論すると「子供が大人に意見するなんて生意気だ」と言って叩かれた。

優しさが無い祖母に「優しくある」事を望まれた。

それって祖母自身に都合が良い人間として、育て上げたかっただけじゃないかと思う。

その事に気づいたのは2年前。それまで私は”優しい人”で通っていた。

と、思っていたのは自分だけ

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40代、憧れのシャネルが手に入れられない

40代、憧れのシャネルが手に入れられない

20才の時だった。

私はバスに乗っていた。揺られる車内でカシャンと後ろの席から音がした。それと同時に「アッ!」と、呟く女性の声。

足に何かが当たった。下を向くとシャネルのファンデーションが落ちていた。拾いあげ窓と座席の隙間から「はい」と渡した。

「あ!ありがとうございます」

ニッコリと微笑んだ顔が見えた。その顔に見覚えがあった。

同じ中学校のひとつ年下の後輩だった。

足に転がってきたフ

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文章を書くことを馬鹿にされ

文章を書くことを馬鹿にされ

高校生の頃から短編小説やエッセイの公募を見つけては応募していた。それは唯一の趣味だった。

自分の思いを文章に乗せ応募する。かかるお金は封書と切手代という安上がりが趣味だった。

私の頭の中はいつもこんがらがっていた。自分を確立させようと文章を書いていたのかもしれない。

家では両親、祖父母の考えを押し付けられ、違う意見を言えば罵倒され、時に叩かれた。学校でも居心地の悪さをいつも感じていた。でもひ

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〜ひとり言〜 植物が枯れなくなった

〜ひとり言〜 植物が枯れなくなった

結構、不幸な人生だった。

カウセリングに2年通った。そのおかげで今は、自分らしく生きれるようになってきた。

その前には心療内科に7年通った。そこでも1年間だけカウセリングをした。病院は病気を治す目的なので悪くなった体調を元に戻すだけだ。もともと人生の底い位置にいた私はドン底から元の位置に這い上がっただけ。悪い環境を変える方法も教えてくれる訳ではないので底辺、ドン底を行ったり来たりの繰り返しをし

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学校が嫌いすぎて夢を見る

学校が嫌いすぎて夢を見る

私は今、40代前半。ようやくここまで歳を取ったって感じだ。私は早く歳を取りたかった。一度、自殺未遂をして死ねなかった。寿命を待つことにした。

よく「子供の頃に戻りたい」「高校生に戻りたい」など聞くが私は一年たりとも後戻りをしたくな。

私は家族が嫌いだったし、学校の先生も嫌いだった。結婚した夫も憎しみあって終わった。友達も・・・ほぼ縁を切った。

私は20才の頃から15年間、週4〜6回学校の夢を

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私が離婚を決意した出来事

私が離婚を決意した出来事

離婚するのは大変なことだ。よく結婚よりも何十倍も大変だと言うが本当にその通りだった。

離婚の理由というのは多分、一つではないはずだ。いろんな理由があってそれらが積み重なっていく。そして最後にひとつ決定打があるのだと思う。

私はそうだった。離婚したい理由はたくさんあった。

束縛、お金の使い方、育児をしない、ギャンブル、暴言、価値観の違い・・・本当にたくさんだった。

味覚障害になったりうつ病に

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ザ・ブルーハーツに癒されて

ザ・ブルーハーツに癒されて

友達に不本意なことを言われて心がかき乱されてしまったとき。

家族に自分自身のあり方を否定されてしまったとき。

職場の人間関係がうまくいかず辞めたいと思ったとき。

心を落ち着かせ踏ん張る力を言葉達にもらってきた。小説だったり、著名人の名言だったり歌だったり・・・

音楽に乗って耳から流れるように入って心に響く歌には一番救われてきた。

10歳の時、ブルーハーツの情熱の薔薇を初めて聞いた。家で音

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〜虐待された私が子供を育てる〜

〜虐待された私が子供を育てる〜

小さい頃から叩かれる事は当たり前だった。外出先でも怒鳴られ、罵られた。日常的な出来事は、異常性に気づきにくい。それらが虐待だと分からなかった。

小学生の頃、チック症や不安症、強迫性障害だったことも大人になって知った。

繰り返される変な癖(チック)に「目障り」だと父に叩かれた。そして
「大人ぶってるつもりか?」と笑われた。

子供は生まない・・・そう決めたのは10歳の時だった。結婚もしない!と思

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〜ひとりごと〜MacBookとカフェラテに憧れて

〜ひとりごと〜MacBookとカフェラテに憧れて

私、ネガティヴなんです。

小心者で常にビクビクして周りを気にしてしまいます。ブログを始めてみたものの私の書いた物を見て不快に思ったり馬鹿にされたりするではないか?と心配になります。

じゃあ、書かなきゃいいじゃんって話になりますが、文章を書くことだけは好きで続けてきました。今は誰かが認めなくても自分で発信しさえすれば、人に読んでもらえます。

町で一番安くコピー出来る写真屋さんで大量の原稿を刷っ

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9才、強迫性障害の始まり

9才、強迫性障害の始まり

何気ない事だった。

学校の帰り道、電信柱を横切る時にサッ、と手を出して柱に触る様になっていた。

触ろうと思った時に向かいから人が歩いて来て電信柱に触れない時があった。

触れなかったな・・・と思いながら歩みを進めたが肩が急に凝った様な感覚が襲って来た。肩が重くなってしきりに落ち着きがなくなった。何だろう、変だ。と思うけど原因は分からない。何度も肩を上下に動かしたり、首を左右にゴキゴキと動かした

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9才でチック症になった時の話〜誰も病気だと気付かないで怒鳴られた日々

9才でチック症になった時の話〜誰も病気だと気付かないで怒鳴られた日々

私は9才で肩が凝る様な感覚に襲われる様になった。

肩がダルくてたまらなくて肩をよく動かして骨をコキコキと鳴らす様になった。そのうちに肩を動かさずにはいられなくなった。

右肩をカクッと上にあげ、首を右斜め下に向かってゴキっ!と下げていた。ビートたけしさんが事故に遭い、その後この行動をする様になった時、驚いた。昔の私の癖と同じものだったからだ。

大人になるまで癖だと思っていた。

大人になって癖

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8才で不安症になった時の話〜心の声が漏れている〜

8才で不安症になった時の話〜心の声が漏れている〜

授業中だった。

あ〜あ、つまんない!こんな事して何になるんだろう?馬鹿みたい。

そう心の中で呟いた。するとふと不安が襲って来た。私今、声に出して言ってないよね?ちゃんと心の中でいったよね?

周りをキョロキョロと見渡した。みんな黒板の文字をノートに写していた。

大丈夫。心の中で言ったはずだ。そうじゃ無かったら先生に注意されているはずだもん。でも、

・・・・・心の中の声がみんなに聞こえてたら

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カバードアグレッション〜元友達に攻撃を受けた話

カバードアグレッション〜元友達に攻撃を受けた話

先日の話だ。夜の7時、実家の母から電話があった。

「宮本のりこ(仮名)って知ってる?」

ケータイを持つ手が震えた。5年前に縁を切った女友達だ。

「その子がどうしたの?」

「今さっき、男が二人やってきてね”宮本のりこの友達なんですけど、詩織さんいますか?”って言って来たから、その子が誰か分からないし、”詩織とは別々に住んでいるのでここにはいません”って言ったら帰っていったよ」

「どんな男?

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