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〜虐待された私が子供を育てる〜
小さい頃から叩かれる事は当たり前だった。外出先でも怒鳴られ、罵られた。日常的な出来事は、異常性に気づきにくい。それらが虐待だと分からなかった。
小学生の頃、チック症や不安症、強迫性障害だったことも大人になって知った。
繰り返される変な癖(チック)に「目障り」だと父に叩かれた。そして
「大人ぶってるつもりか?」と笑われた。
子供は生まない・・・そう決めたのは10歳の時だった。結婚もしない!と思ったが当時、好きだった男の子が頭に浮かんだ。うーん、結婚はしたいかも!
でも、子供は生まない!可哀想すぎるもん。
いつも家族に怯えていた。両親に加え、祖父母も一緒に暮らしていた。祖父母からもよく叩かれていた。
激しい家だったと思う。常に誰かが怒鳴っていた。
叩くことも怒鳴ることもみんなの前で恥をかかせることも、「私の為」だと父は言った。
全て「愛」なのだと。
こんなに愛されてお前は幸せな人間だと教えられた。
そんな私は大人になると暴力的な人を好きになる様になった。私を怒鳴りつけ支配しようとする男性を好んで選んだ。小さい頃から馴染んでいる環境なのでそれがおかしいなんて思いもしなかった。いつも苦しかったし嫌だなと思っていた。
でも、”それが愛”なのだと信じていた。
愛されると言う事はとても苦しい。嫌な思いと隣合わせ。それが愛される事であって、私は受け入れる事しか出来ない。
そう、本気で信じていた。
子供がお腹にいると知った日、私は身体中が震えた。
嬉しかった。
スーパーサイア人に変身した悟空
さながらにパワーがみなぎってきた。
いても立っていられなくなり私は鯛を買いにスーパーへと自転車を走らせた。
お腹に赤ちゃんがいる!私のお腹に赤ちゃんがいる!私はもう、一人じゃないんだ。
泣きながら自転車を漕いだ。
泣きながら鯛を買った。
泣きながら自転車を漕いで家に帰った。
泣きながら鯛を捌いた。
お腹の中に、私以外の命があることが希望となった。
両親の様な愛し方を私はしない!
そう心に決め出産した。
ママ友で集まった時にみんなが口々に出産、子育ての大変さを語った。そして、
「親になって初めて両親の有り難さがわかったよ」
「両親から愛されていたんだって気付けたよ」
「親への感謝の気持ちが止まらない」
そんな言葉を言い出した。
妊娠している時も出産後も私はそんな気持ちに1ミリもならなかった。
子育てが終わった今、思う事は
なぜ、私はあんなに叩かれなければいけなかったのかと言う事だ。
自分の子供を見た時に小さくて無垢で怖いくらい弱い生き物だと思った。
守っていかなければと感じた。この子の好きな事や可能性を伸ばしてあげたい、そう思った。
両親はなぜ、自分の機嫌で子供をからかって笑い者にしたり、叩いたり、罵ったりしていたのか不思議だった。小さく純粋無垢な子供の心は暴言で暴力ですぐにペシャンコに潰れてしまうと見て取れた。
毒親は毒祖母、毒祖父となって私の子供と関わってきた。
私の子供には手は出さない。ただ私の文句を子供に吹き込んで孫を自分の味方に付けようとした。
精神的に追い込まれうつ病になった。動けない私を見て母は笑ったり、蔑んだりした。周りに私がうつ病だと言い回り大袈裟に心配をして見せて自分をいい人間だとアピールした。子供に「ママはあなたの事なんてどうでもいいみたいだよ」と吹き込んだ。
私は両親の様に子供に手をあげる事はしなかった。もちろん罵ることも恥をかかせる様なこともしなかった。でも、精神的にボロボロで親としての役割を果たせていない時期があったことは事実だ。
子供はその時期のことを嫌な思い出として持っている。
「あの時期は嫌いだったけど今のママは好きだよ」
心に傷をつけてしまった事を後悔している。
両親の様になってはいけない。
がんじがらめの苦しみの中、子育てに心の余裕はなかった。子育てが楽しかったかと聞かれたら・・・苦しかったことの方が大半だった。愛が何かも知らない私は、本来ならば子供を生み育てるべきではなかったと思う。
未熟な人間が子育てをしてしまったが子供は思いやりのある優しい人になってくれた。
これは私の人生の七不思議である。
子供を大切に思っている。大切だからこそうまく親として機能しなかった事を悔いている。申し訳なかったと言う気持ちが離れない。
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