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優しさをばらまく事を辞めました

私は祖母に「誰にでも優しく接しなさい」と言われて育った。


祖母は私に優しくなかった。いつも命令口調で反論すると「子供が大人に意見するなんて生意気だ」と言って叩かれた。


優しさが無い祖母に「優しくある」事を望まれた。


それって祖母自身に都合が良い人間として、育て上げたかっただけじゃないかと思う。


その事に気づいたのは2年前。それまで私は”優しい人”で通っていた。

と、思っていたのは自分だけ。

優しくいなければいけないと言う呪縛により私はみんなにとって”都合のいい人”になっていた。


たとえ都合のいい人であったとしても、相手が私にとっても都合のいい人間だったらフィフティーフィフティーの関係でバランスが取れている。

私は相手の都合に合わせるだけの便利屋に過ぎなかった。

私が大きな負担を背負う事になる。それはとてもキツい事だった。時間もお金も心の余裕も制限がある。それらを相手は容赦無く奪っていく。


そうである様に祖母に教えられ、そうであることが当たり前だった私は自分のことは後回しで周りの人間を優先し疲労困憊で生きてきた。


そんな都合のいい人間を見ると、その便利さを求めまた人が集まってくる。

「あなたは優しい人だね」

と言ってじゃあ、私も・・・と時間を奪っていく。


奪われ続ける私を見て真の”優しい人達”は顔をしかめる。


「どうして言いなりになるの?断ればいいじゃない」


断る術は、幼い頃に排除された。断る権限があるなんて思っても無い時期が本当にあった。


私に優しさをくれ理解しようとしてくれる人たちも居たが周りに翻弄される事を止めない私を見てみんな理解に出来ずに離れていった。


自分をいじめる相手にまで優しくしているのだ。それって異常な事だったのだと今なら分かる。


時間には限りがある。


大切な時間や心を共有させる相手は、選ばなくてはならない。

意地悪してくる人間に優しくしていたら、自分を大切に思ってくれる相手と付き合う時間が無くなってしまう。


私は最初の「優しい人間になれ」と言ったモデルが悪すぎた。


心から信頼し、優しく包み込んでくれる様なおばあちゃんに「誰にでも優しくありなさい」と言われていたらきっと違う解釈になっていただろう。


そんなおばあちゃんだったなら、孫を傷つける人間を決して許さない。

自分を守ることの大切さを教えてくれたと思う。


自分を傷つけようとする相手には立ち向かう事が大切だ。

私はもう子供じゃ無い。
”大人”に傷つけられて怯むことしか出来なかった未熟な私では無くなった。


つい1ヶ月前、約束を破り嘘で塗り固めた話をぶつけて来た人がいた。

私は怒りを持って反撃をした。

私の人生には必要無いどころか有害な人間だ。


そう判断して行動に移した。


私の人生から、”私を傷付ける人間” がひとり居なくなった。


居心地の良い世界に一歩前進したと思っている。




#おじいちゃんおばあちゃんへ









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