思い出のエピソード、感謝していることや伝えたい気持ちなど。おじいちゃんおばあちゃんへ、手紙を書くようにnoteを書いてみませんか?
介助初心者の私はトイレから出てくる時の母のリアクションがいつも気がかりだ。最近つくづく思うことがある。食べること・寝ること・排泄することがいかに大切かと言うことだ。 それがうまく機能している時は、母の体調は万全なのだ。 その三つ項目を私は毎日母に聞いている。ここ最近、全て問題ないと言うことは少ない。母の健康は万全ではないのだ。 昨日の朝、母の様子を見に行くと、排泄物に血液が出ていて慌ててしまった。 とにかく病院に連れていかなければと、私が診ていただいている循環器科の先
私の大好きなおばあちゃん。79歳。 元気で活力に満ちている。私よりキラキラしてる。 子どもの頃から1人で泊まりに行くのが好きで とにかくゴロゴロしてぼーっとテレビを観ながら2人でツッコミを入れる。美味しいご飯をご馳走になって大人になってからは一緒にお酒を飲みながら夜遅くまでお話しする。「すごいねぇ頑張ってるねぇ」と、どんな私でも肯定してくれるのが嬉しい。 元気なおばあちゃん 友達みたいに仲良しなおばあちゃん。長生きしていつまでも一緒にいたいな、なんて考えると鼻の奥がツンと
敬老の日に思う、「幸福実感」を高めるヒント こんにちは!今日は敬老の日ですね。😊 敬老の日という特別な日だからこそ、幸せな老後を迎えるための「幸福実感」について考えてみたいと思います。 「幸せって、なんだっけ、何だっけ。ポン酢醤油のある家さ!」 このフレーズ、明石家さんまさんが歌っていた懐かしいCMを覚えていますか? あのユーモアたっぷりのCMソングは、まさに幸せの本質を軽やかに表現していたように思います。 でも、「幸せ」って一体なんでしょう? 人それぞれ、幸せの
日頃は日々生活するのが精一杯で「家族のつながり」についてじっくり考えることはほとんどありません。しかし都会に住む妹が帰省したタイミングで私は「家族」について考えました。 家族のスタイルは親子関係で様々だと思います。離れていても繋がっている家族もいれば、近くにいてもバラバラな家族もいます。 私たち一家を見てみても、青年時代と熟年になってからでは家族の関係性が大きく変わっています。 大人になるまでは両親の庇護のもとに大きな愛に包まれて、親を中心に家族の繋がりがありました。
もし150歳まで生きられるとしたら? こんにちは、やらぽんです! 今日はちょっとワクワクする話題をお届けします。 「私たち人間は150歳まで生きられるかも?」 という未来のお話です。 えっ、150歳まで生きられるの? って驚く人が多いと思うけど・・・・・・え? タイトルで読んだから、驚かない?? まぁ、そうでしょうね。 タイトルの話はなんだかSFみたいですが 実は科学の進歩がこの夢に近づいています。 2021年に発表された研究によると 人間の寿命の上限は120歳から
今日は母が送ってきてくれていたいつ送ってくれたか分からない🤐大量ダンボールの整理をやっていま~す👩 森本家そこそこ見てる人は知ってるかもしれない💧 うち貧乏のくせに🤐物はいっぱいあるのでw何も送らなくていいですよと言ってはいるんですが、うまく意味が伝わらない(゜∀゜)💦 うちでまいたらどうなるんだろうw申し訳程度にこれだけは飾った。 さて続きをしてきたいと思います。
温泉好きだった母が4年半前から温泉に行かなくなった。それまではほとんど毎日出かけて、お昼を食べて、気心が知れた人と会話をして帰宅するのが日課だった。 その頃母は90歳だったがすこぶる元気だった。 ところがコロナ禍になり、母の日課はそこでピリオドを打った。 温泉通いは、母にとって様々な効果があったと思う。コロナ禍で母の体力は一気に落ちた。 温泉に通うことで母は社会や人と繋がっていたのだ。コミュニケーションによる心の癒しが重要だった。 コロナ禍の数年間は定年退職した私とブログ
5月ごろ、祖母が緊急入院したという記事を書いた。 ずっと脚が痛いと言っていて、整形外科でレントゲンを撮ったけれどなんの問題もないということで、マッサージとか整骨とか鍼灸とか、いろいろ試したけれど効果はなし。そこで、神経に異変があるのかも? と考え、専門の病院を教えてあげたところ、診察と同時に緊急入院が決まった。 MRIで見たところ、腰のあたりがめちゃくちゃになっていることがわかった。神経が飛び出て、たぶん、それで脚に痛みがあると錯覚しているのだろう、と。 まさか
今日は家族で母が好きだったスーパー銭湯に行きました⭐母がとっても喜んでいたのが良かったです🩷 愛媛県松山市は晴れ☀ 👵ばあばの一言 「娘たちに優しくしてもらって良かったです。🩷次女が一生懸命に靴を探してくれて嬉しかったです⭐甥っ子は興居島に渡って楽しんだようです。☺️」
中秋の名月を3歳の子供と見て 「あそこにウサギさんがいるんだよー」なんて話をしながら、 ふと祖母の顔が浮かびました。 別にこれといって「月」に関する思い出があるわけではないけれど、 空を見上げて、物思いにふけてしまいました。 どうやらうつ病を患っていたらしい、亡き祖母への後悔です。 まずは私の家庭からお話しますが、 田舎に住む私たち家族は、両親と私、妹が住む家と、祖父母が住む離れが、一つの土地に建っていました。 私の家庭は、少なくとも私から見た限り、仲が悪いというこ
Nice to see you again 【無料】いつも、コメントやスキを頂きまして、ありがとうございます。 特に、コメントして頂けると励みになります。 わたしは、、、 生まれた時には、祖父1人 祖母2人でした 高校入学時は、祖父1人 社会人になる時には、祖父母いなかった 初給料で、何かをプレゼントしたり、食事したりできなかったことが残念です 敬老の日は、祖父母を思い出す日です 生きていたら、何歳だろうか? 敬老の日 敬老の日と言えば、9月15日のイメ
9月15日に、帰省した妹と甥と一緒に市内のレストランに出掛けた。店内には家族連れがたくさん来ていた。三連休の中日だったので予約をしておいてよかった。「敬老の日」を祝うための家族連れで満席だった。入り口で何組も待っていた。 その店が満席だったのはメニューが豊富で子供からお年寄りまで幅広い年代の人が食事出来ること。そしてテーブル席がたくさんあり、足が不自由なお年寄りでも入店しやすいからだ。 私は高齢の母を連れて食事に出掛ける時に、いつも悩んでいる。シルバーカーを使っている母に
敬老の日なので祖父母の思い出を。 母方の祖父は七蔵(しちぞう。七番目に生まれたらしい) 祖母はキン。雷の凄い日に生まれたらしい。 じいちゃんは草食動物のようにおとなしい人だった。ほとんど声を出さず、いつも座ってテレビの野球観戦をしていた。 キンと結婚して、私の母含む三人の子供が小さい頃、家が家事になりじいちゃんは大火傷を負った。 何故だか忘れたけれど、家族に被害はなかった。 その為に、じいちゃんは仕事をやめてキンばあちゃんが代わりに会社で働くことになったらしい。 「行かな
先日、施設に入所して1カ月以上たつ義母に会いに行ってきた。 秋冬物の着替えを持ってくるよう、ケアマネさんから、夫の電話に通達があってのことだった。 義姉や、義母の姉妹などが面会に行ったらしいが、私たち夫婦は、義母が入所して一度も顔をみせに行かなかった。 私たちはお互い予想をしていた。 義母は、私たちのことを覚えているだろうか。 家にいた頃は、一緒に住んでいる私たちのことを、別の人と見立てることもある位に、認知症は進んでいた。 私は、夫のことは覚えているけど、私のこ
今日は母の体調が今一つで心配しました⭐母か元気でないと全てがスムーズに進みません。夕方には良くなりました☺️ 愛媛県松山市は晴れ☀ 👵ばあばの一言 「明日東京の娘と孫が帰ってきます⭐私は本当に楽しみです☺️きっとエネルギーがたっぷり出てくると思っています🩷待ち遠しいです」
明日9月16日は「敬老の日」です。我が家には69歳と94歳の老人が二人がいます。娘の私は毎日94歳の母の姿を見ながら生活しているので自分が老人だと言うことを忘れそうになります。 有りがたいことに今のところ母の頭はとてもクリアです。 負けず嫌いで自立心が旺盛な母はその精神が日常生活の老いを遅れさせているような気がします。 母は病院にかかるのが嫌で長年「自分の体は自分で守る」をもっとうに生活してきました。困ったもので体調が悪くなっても決して病院には行きません。 母の健康状態
こんにちは。ご機嫌いかがでしょうか。 べぼです🍎 さて、今日は敬老の日ですね。 私には祖父、祖母がもういないので、 今年73歳になる母のことを書いてみたいと思います👵 母は……そうですね、頑固ですね(笑) それでもって幼いところがあります。 なので、一度怒らせると結構面倒くさいため 怒らせないために気遣っています。 もちろん、優しいところもたくさんありますし、 日常生活で助けられている部分もたくさんあります! 一緒に住んでいるので、 愚痴を聞かされることもよくあり
時間というのは、私たちにとって最も貴重な資産ですよね。 でも、その時間を健康に過ごせることって、もっと大切だと思いませんか? では、もし「健康寿命」が1年延びるとしたら、その価値にあなたはどれくらいの価格を付けますか? 少し考えてみてほしいのですが、健康寿命が1年延びた場合、その1年間は病気やケガの心配が減り、もっと自由に生活を楽しむことができますよね。 家族と過ごす時間、趣味に没頭する時間、あるいは新しいことに挑戦する時間もすべて健康なカラダでいるからこそ、そういった
今日もとっても暑かったです❤️かつての職場でお世話になった方が亡くなられたことを知り友人たちと手を合わせに行きました✡️ 愛媛県松山市は晴れ☀ 👵ばあばの一言 「今日は娘が留守だったのでのんびりしていました⭐夕方からは俳句の選句をしたのでエネルギーをたっぷり使いました。」
離れている家族との再会は嬉しいものです。愛媛にいる私と母は老々生活。二人の平均年齢は81.5歳です。 そこに東京に住む妹と甥っ子が加わると平均年齢が61.7歳になり、一気に若返って、話す内容も明るくなります。 若者がいると言う事は本当に素晴らしいと思います。若者がいるだけで会話が明るくなるのです。若者からエネルギーがもらえるからです。 何が好きで、どんなことに感動し、何を考え、将来は何をしたいと思っているのか。私は叔母として彼の将来が楽しみで仕方がありません。だから根掘り
本日はそう、敬老の日。 ということで愛しの祖父母へ花を贈りました。 いつも沢山の話を聞いてもらったり反対に聞かせてもらったり。 親とはまた違うような形で愛をもらってます🎁 些細なこと… 例えば、帰って来たら「おかえり」を言ってくれるところ。 好みのお菓子をお裾分けしてくれるところ。 どんな話でも最後まで聞いてくれるところ。 密かな優しさが私を支えてくれていて… 家族って本当に温かいもの。 今はまだ恩返しできることは見当たらないので こうした記念日や行事を大切に感謝を伝
明治生まれの祖母がおかしくなったのは、両親が定年後、大分に帰ってきた頃からです。 それまで、一人で、家の事をこなしてきて気が張った生活をしていたのがプツンと切れたのか 家の事を何もしなくなり、ボーっとする事が増えていったのです。 80歳前でした。 1985年ごろで、まだ、今の様な介護の仕組みがなくて、ヘルパーさんもいないし、地域包括支援センターなんてありませんでした。 症状としては、よくあるパターンで、「お金が無くなった❗️」と騒ぎだしたんです。 その次に、「泥棒が入ったか
敬老の日のこと。 二女ももこの演奏会 今年の敬老の日は、自分のおじいちゃん・おばあちゃんではなく、地域の敬老会に参加して、吹奏楽部で演奏を披露したももこ。 小さなホールで開かれた演奏会には、たくさんのおじいちゃん・おばあちゃんが来てくれて、ほんわかあったかな会になりました。 吹奏楽部の登場に拍手! 元気いっぱいなおじいちゃんたちは、ほぼ、ももこの通う中学校の出身なんだとか。さすが地元の敬老会です。 吹奏楽部が強豪なことにも触れ、来年こそは「全国へ!」とエールをいただ
母が見せてくれた写真は、何十年も前のものでセピア調だった。私が知らない女の人が、母を抱いていた。その女の人は、私にも母にも似た顔をしていた。 私、18歳。写真を見せられたのは、高校を卒業して、大学も決まってのんびりと過ごしていた春休みの昼下がりのことだった。4月から家を出てひとり暮らしが始まろうとしていた。 写真の中で、母を抱いている女性は、私の知っているおばあちゃんじゃなかった。私の知っているおばあちゃんは、くっきり二重で小顔。その女性も私も、奥二重で決して顔は小さくな
病院で薬を貰ってから よぼよぼと歩いて来たが 公園のあづまやでひと休みじゃ わしゃ、今日も暑くてふらふらじゃ おや向こうの方から犬が来るぞ なんじゃ、胴が長くて短足で ずいぶんぽっちゃりとしておる 知っとるぞ、コーギーとかいう犬じゃ 毛皮を脱げないからのぅ 犬もさぞかし暑かろう あづまやの日陰でコーギーの奴は 歩くのを拒んで座り込みおった 冷たい地面に腹這いになって 平べったくなってしまいおった 「こんにちは、今日も暑いですね~」 飼い主の若者はにこにこしておる
昨日、公開したnoteには祖父の話が入っていた。 夜になって、その祖父の命日だったことに気づいた。 物理的にもかなり遠いお墓。命日だからとお参りすることもなく、祖母も亡くなり7年くらい経つのだろうか。祖父母宅も現存しない。 祖父が亡くなったのは、祖母よりも四半世紀近く前のこと。当時としても早い死ではあったのだろうが、もっと早逝の可能性が高かった。私の記憶にあるのは、元気に暮らしていたものの、文字通り余生を過ごしていた祖父。 祖母の葬儀には、遠いとはいえ参列した。 私を見
義母と面会後、医師からのお話だった。腎臓は物凄く悪いそうで、貧血にもなるそうだ。ご飯の時全て綺麗に混ぜ、冷めると美味しくないよと言われてから食べるらしく、食べ方も忘れ、認知も進んできているからか、喜びもあまり感じられない。名前も娘と夫だけ、すんなり出てきた。 それが現実。
皆さんは【おじいちゃん】何人いますか? 私は3人います。 父方の「おじいちゃん」 母方の「じい」 そして 「ばぁばんじい」 祖父の呼び方って色々だ。 、、、、、、。 「ばぁばんじい」ってなんぞや??? そう思いますよね。分かります。 私自身、友達にも説明めんどくさくて話さないし。笑 今回はこの「ばぁばんじい」のことを書かせてもらおうと思う。 まず父方の「おじいちゃん」には会ったことがない。 私が生まれる前に亡くなっている。 父にそっくりのおじいちゃん。
2024年9月16日は「敬老の日」。 家族や親戚に日頃の感謝を伝えようと考えている方もいるのではないでしょうか。 今年の敬老の日は、感謝を伝えるだけでなく、家族で一緒に特殊詐欺対策に取り組んでみませんか?高齢者は特に、特殊詐欺のターゲットになりやすい状況です。シニアを狙う詐欺手口を知り、敬老の日をきっかけに家族で防犯に取り組みましょう。 特殊詐欺被害の約8割が高齢者連日、ニュースなどで報道されている「特殊詐欺」。警察庁の発表によると、令和5年の特殊詐欺被害額は452.6億
祖母は、姿勢がよく上品で、人を笑わすのも好きな陽気な人だった。 私が大人になってからは、2年に一度くらいしか会えなかったが、皆と一緒に食事をする時は、いつも楽しそうだった。 でも、ある時、何も食べられなくなった。 悲しいことがあったからだ。 それは親戚全員にとって悲しいことだったが、特に祖母が一番ショックを受けていたに違いないことだった。 その時ばかりは、目の焦点も合わず無表情で、顔色は悪く、やせて小さくなってしまった。 「悲しすぎて、何もする気にならない。食欲も
今日は敬老の日なので 大好きな祖父の話をしたいと思う これはまだ私が小学生の時の話だ 祖父は蕎麦が好きだ 駅前に1件だけ うどんと蕎麦を出すお店があった 私は祖父とよく蕎麦を食べに行った 真冬でも何故かザル蕎麦を頼み 最後は蕎麦湯を飲む通で粋な祖父だ 晩御飯をいつも作っていた祖母は 何故か麺類のおかずは作らなかった その時は理由は分からなかったが 今になって考えると 麺類はビールやごはんに 合わないという理由だと思われる 祖父と私は蕎麦が大好きだったが 我が家の食
94歳のイラストと俳句のコラボ作品です。 母は毎日新聞を開いて、その日イラストに描くテーマを探しています。母にとって朝は描くための情報収集の時間です。いつも新聞を読む時は気分がシャキッとしています。 休刊日は残念な表情なのでよく分かります。
シニアのおでかけについて思うこと。母方の祖父母はover70から欧州旅行にどしどし行っていました。 厳しい時代ですが親や先輩方には90歳まで私より世界を見に旅してほしい。両親にも新婚旅以来のハワイのリアルを見てほしい。もちろんビートルズを40年以上愛してきた父にはリバプールもね。
94歳のイラストと俳句のコラボ作品です。 母は杖を相棒に一生懸命歩いています。歩くことに懸命で周囲の変化を見落す時もあります。そんな時、見上げた空に鰯雲を見つけて秋の訪れを感じている。そんな光景を詠みました。 母にとって杖を頼りの散歩は季節を感じる大切な時間です。
第二次世界大戦中、父方の祖父はミクロネシアのとあるA島に派兵されていたらしい。 帰ってきてから祖母と結婚して父が生まれ、祖母が50代で亡くなったあと、周りから反対されているなか早々に再婚した祖父を許せなかった父は、祖父と絶縁した。 それから何年も経ったとき、仕事で出会った人に父は言われた。 『君によう似た男が、A島にいるんや。ポストマンの○ちゃんって呼ばれてたんやけど」 祖父は郵便局で勤めていた。祖父の名前と同じ音の○。祖父は島の人と仲良くなって皆で踊ったと話してた。
今年のGW、夫の両親の金婚式をお祝いした。とても大切な思い出。 その直後。 なんと、義母に乳がんが見つかった。 幸い、かなり早期発見で、転移もなさそうとのこと。毎年検診を受けていたからこその早期発見。検診、大事。 いくつか追加の検査を受けた後、入院し、手術することが決まった。位置的に全摘が望ましいという。女性としては大切なおっぱい。もちろん命が大事とはいえ、経験者にしか分からない寂しさや辛さがあるんだろうなあと思う。もし自分だったら、と想像して胸がチクリと痛む。 義
今日は朝からバタバタでした。歯医者さんに行くのに大忙し⭐とにかく早朝から準備をして診ていただいて良かったです❤️ 愛媛県松山市は晴れ☀ 👵ばあばの一言 「今日は外出しましたが暑さが身に染みました⭐歯の治療のために4時に目が覚めてほとんど寝ていません。でもほっとしました🩷」
おばあちゃんにプレゼントをあげたのは、 あれが最後だったと思う。 戦前・戦中・戦後、 そして、大正・昭和・平成・令和と さっそうと生き抜いている彼女。 まもなく100歳。 小さい頃、両親に変わって 祖父母が親代わりだった。 毎日いっしょに生活していたから 当たり前だったが、 ばあちゃんはなにもいらない人だった。 お誕生日に、母と一緒に 彼女の好きだった黄色の洋服をあげた。 「あら~いいわね。ありがとう。」 しかし、2日後にはこうなる。 「これね、首のところがいまい
大きなお腹と共に、車に揺られて約2時間。 父が運転する車に乗るのは、随分久しぶりな気がする。 目的地は母方の祖父がお世話になっている介護施設。 その前に一人で近くのマンションに住む祖母を迎えに行きつつ、父・母・祖母・私の4人で祖父のお見舞いに行きました。 マンションで転んでしまい、車椅子に乗る祖父。それでも、頭はハッキリしていて。ハキハキと近況を話しながら、大きなお腹に目をむけて「おめでとう」と言ってくれました。 この人が今年106歳なるというのは本当なのだろうか。
遠方に住むわたしの小さい頃からの友人が、御実家を解体処分することにしたんです。 その御実家の解体前に思い出一杯の家の中を案内してもらうと、昨日まで住んでいたかのように家財道具はそのまま。 かつての友人の部屋は、昔の儘のように趣味のレコードや本で埋め尽くされていた。 それに、床の間にはご先祖様とご家族を祀る立派な仏壇がある。 しかし、その仏壇を移設する場所もないため、友人は已む無く魂抜きをして処分することに決定。 そして、後日御実家を解体することになった。 解体開始して
筆が進むようになったのは、スマホが普及したからです。章を設けて、引用を成端に並べる筆記法はビジネス文章の勉強経験を加えて「ついでに出来る」くらい。そして筆記速度は当然パソコンのキーボードでの方が速いのですが、そこはあくまで「バカの壁、状のキーボードへの打ち込み」スマホ文章でアンドロイドのあんちゃんや、ウインドウズのうーくんが大分手伝ってくれるから使う漢字に困らないという前提を敷きます。 「大辞林こそ我が親友である」 手書き主流の頃に作家さんが言っていました。成る程、漢字書け