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9才、強迫性障害の始まり

何気ない事だった。

学校の帰り道、電信柱を横切る時にサッ、と手を出して柱に触る様になっていた。

触ろうと思った時に向かいから人が歩いて来て電信柱に触れない時があった。

触れなかったな・・・と思いながら歩みを進めたが肩が急に凝った様な感覚が襲って来た。肩が重くなってしきりに落ち着きがなくなった。何だろう、変だ。と思うけど原因は分からない。何度も肩を上下に動かしたり、首を左右にゴキゴキと動かした。歩けないくらい肩が凝って不快感でいっぱいになった時、急に
電信柱が気になった。

「触りたい」

私は10メートル前の触り損ねた電信柱に走って戻った。

電信柱に触ると今までの肩の不都合が嘘の様に消えた。

「良かった」

ホッとしたこの日から私の強迫性障害が始まった。

電信柱を触らないと体に不調が現れる。そのうちに、黄色と黒の帯の様な物が巻かれている電信柱を見ると

「今日は黄色を触る」

「今日は黒を触ろう」

なんてことを考える様になりこだわりが始まった。

「今日は黒触って黄色を触ろう」

「今日は黄色→黒→黄色→黒の順番で触ろう」

「今日は黄色10回、黒10回触る」

そんなルールをどんどん作っていってしまった。

歩いてる道では無い、道路の向かい側の電信柱を見てしまい「触りたいな」なんて思ってしまったら、横断歩道がなくても渡って触らないといけなくなった。

私は、一人で帰っているわけではなかった。友達と一緒だった。

「何、してるの?早く帰ろうよ」

友達は電信柱を触りまくる私に呆れていたし、変な事をすることによって帰りが遅くなる事でイライラしていた。

私は、友達がいる前で触り損ねた電信柱を触ろうと無理に戻ることはやめた。身体中に虫が這う様な感覚が襲って来て気が狂いそうになった。友達と別れた後に急いで戻って触れなかった電信柱を一つ一つ撫でて回った。

早く、帰りたい・・・。帰ってゆっくりアニメが見たい。でも、触らずにはいられない。

そのうちに電信柱だけじゃ、収まらなくなって言った。

昼休み、友達5人でジャングルジムで談笑をしていた。ふと、20メートル先のシーソーが目に入った。二年生の女の子たちが楽しそうに遊んでいた。

「シーソーに触りたいな・・・」

そんなことが頭をよぎった。

しまった!!

でも、もう遅い肩がムズムズして重くなり虫が這い出す感覚がした。昼休みの終了のチャイムがなるまで我慢しよう・・・後、10分・・・。

私は落ち着きをなくしモゾモゾし出した。

「詩織ちゃん、大丈夫?なんか変だよ」

「おしっこ行きたいんじゃ無い?我慢してるの?」

「本当だーモゾモゾして、漏らしちゃった?」

「いや・・・違うんだけど・・・」

私はもう少しで発狂しそうな程にまで来ていた。苦しくて涙がこぼれそうになった。

我慢できない。

私は早歩きで低学年が遊んでいるシーソーに向かって行った。

シーソーに近づくと女の子達はポカンと私を見ていた。

サッ!とシーソーに触れ私はジャングルジムへと戻っていった。

肩の不調はすっかり消えてホッとしていた。

ジャングルジムの同級生もポカンと私の行動を見ていた。

後ろから女の子達の非難の声が聞こえて来た。

「何、あのお姉ちゃん!何しに来たの?」

「嫌がらせじゃない?先生に言おうよ!」

「なんかおかしかったよね?」

ヤバイ!しなきゃよかった。でも、後5分我慢できなかったよな・・・。

同級生に「詩織・・・何、今の行動?どうしたの?」

「なんかあの子達、詩織にしたの?」と質問責めにあった。

「あ・・いや、あの・・・シーソーに触りたくなって」

そう正直に答えると何故か二人に大爆笑された。

あとの3人は「ヤバイって!もうしたらダメだよ!相手は嫌な気持ちになるじゃん!」と言われた。もっともなことで自己嫌悪に落ちる。

その後も、触らなければいけないものはどんどん増えていった。



強迫性障害は2年続いたが多分、両親はこのことで苦しんでいたことは知らないと思う。親に言っても何もしてくれない、理解出来るはずがないととチック症の時に学んだ。分かってもらえるはずがないと知っていたからだろう。

とにかく私を助けてくれる人は両親・・・家族ではなかった。

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