汝、月灯りに照らしだされ、ジャカルタの酸性雨に濡れし黒衣を纏ひて、来たる
連作:3
連作:4
汝、月灯りに照らしだされ、ジャカルタの酸性雨に濡れし黒衣を纏ひて、
来たる
INDONESIA
NORTH JAKARTA
Pantjoran Chinatown PIK
ON THE ROAD
8
18:30
そこが日本であれ、あるいは海外であれ、初めて歩く、あるいは、初めて乗り物でその道を通過するときに、わたしはいつも
〈ここを通るのは初めてだな〉という微かな認識を、ほとんど無意識下で常に抱いているような気がする
つまりそれは、これまで通ったことのない未知なる道を楽しみにしているからに他ならなくて、生きている限りは一本でも多く、知らない土地の、知らない道を歩いてみたいと強く思っている
その渇きにも似た根源的な希求が、わたしを海外へ向かわせているのか
だから今夜、三連休を利用してここジャカルタまで来たのかは、わからない
ただひたすら、これまで行ったことのない土地へ行きたいという強烈な願望をまるで熱病に浮かされるように抱いて、今を生きているということになる
ここインドネシアの首都ジャカルタの心臓部、多くの華僑たちが支配する
”PIKエリア”に来たのはもちろん今回が初めてで、ホテルの所在地程度はGoogle Mapで見て確認はしていたが、真横でハンドルを握っている
〈六か国語を操る華僑のゲイ〉の友人、Jeanが、この巨大な人工島の東西南北のどの方向に向かっているのかさえ、全く見当がつかなかった
Jeanはいった——
——”中華街の中心地へ向かっています。今夜はそこで飲茶にしましょう
まだ時間には少し早いので、ゆっくり街を流してから向かいましょう”
夜の車窓を、もちろんこれまで観たことのない景色が流れていく
”PIKエリア”の街並みの第一印象は中央ジャカルタを思わせる煌びやかな
高層ビルが通りの奥まで整然と立ち並び
その光景は16世紀のフランドル派の画家
ピーテル・ブリューゲルが描き出した
「バベルの塔」を想起させるような力強さと、だから同時に儚さのようなものが微妙に入り混じっている巨大な都市のようにわたしには感じられた
やがて神の怒りを買い、崩壊してしまうその哀れで巨大な塔は、神々の住む「天」を目指して空高く創造されたが、結局人間は大地を離れて暮らすことができなかった
それに気がつくことができなかった古代バビロニアの人々はその後滅亡したと旧約聖書の「創世記」は伝えていたはずだ
”PIKエリア”の夜の、無数の強烈なネオンサインが煌くバベルの巨大なビルの群れ
その一本奥に走った路地には、もうすでに陽が落ちているのにも関わらず
粗末な衣服を身に着けて、嬌声をあげながら裸足で元気よく駆け回る子供たちの姿があった
その車窓から垣間見えた一瞬の強烈なコントラストが、あるいは「天と地」のような錯覚をわたしに与え、だからバベルを想起させたのかもしれない
この「バベルの塔」は、他の世界中のひとびとを惹きつけてやまない芸術作品と同じく、鑑賞した者の数だけの無数の解釈が存在しているはずだが
「旧約聖書」を題材に採ったブリューゲルのこの作品は、その明らかな方向性だけは明示されていると解してよい
その通説をとるのであれば、やはり
傲慢はやがて断罪され、最後には破滅するのだろうか
という疑問を含んだ問いに落ち着くということになるはずだ
あるいは——
バベルにせよ、瓦礫にせよ、ここは——
この”PIKエリア”はもちろん中央ジャカルタでもなく、東京でも福岡でもない独特の土着した空気感があるようにわたしには感じられた
メインストリートを車で進んで行くと、なるほど、中華街の中心地に向かっているのだなということがよくわかってくる
進むにつれてあらゆる全ての密度が凝縮されるかのように高まっているように思えるからだ
それはまるで一方向にだけ向かうエネルギーが徐々に集中して高まり続け
臨界点、あるいは究極の状態を目指して進む、宇宙のように見えない何かのようでもあった
週末を繁華街で過ごそうとする人々の群れ、三人以上が乗ったバイクの一団、信号を無視して足早に通りを横切っていく若者
増えていく交通量と鳴りやまないクラクション、次第に道路は狭くなっていき、路地には無数の屋台から湯気が立ち上り、小さな通りの奥からは嬌声が弾けて聞こえてくる
次第に赤を基調とした照明を使った大小様々なネオンサインが増えていき
それもアルファベットよりも漢字を使ったものが多くなり、通りはまたさらに狭くなっていき、空調の効いた車内にいても、外界の熱気が肌で感じられるようだった
中華街は大小無数の路地が迷宮のように張り巡らされている
閉め切った車内にいても、中華料理に使われるような香辛料の匂いを嗅いだような気がした
中華街か——
車窓を流れていく景色をみながらわたしは思った
ここが”東南アジアの混沌の中心地”と呼ばれるインドネシアの
首都ジャカルタの、もうひとつの心臓部か
この国の政治や経済の進むべき明確な方向性を打ち出し
隠然たる力を持つといわれる華僑たちが支配する心臓部でもあり
臓器売買をも行う凶悪な犯罪者たちの心臓部だともいわれているはずだ
そして、中華街はわたしのここインドネシアにおける最良の友人Jeanの
心臓部でもあるのだ
わたしがみた
——中華街は間違いなく
混沌と喧騒
そして活気に満ちた世界だった
ハンドルを握っているJeanは、おそらくはもうすでに見慣れているはずの当たり前の景色をひとつひとつわたしに懇切丁寧に説明してくれた
ただしそれはJean特有というよりは、どちらかというとわたしが思い抱いているゲイ特有の辛辣なコメントを随所にまぶしてあるものだった
たとえば?
たとえば、メイン通りの洋風で落ち着いた照明が特徴なレトロなカフェは、Jeanいわく
——”外観に惑わされて入ってみたら、珈琲一杯でも残してしまうような
最低の味のお店です。だいたい、入ったカフェで珈琲を残すなんてことはありますか?まずありませんよね?珈琲をですよ?
(もう一度)珈琲をですよ?
さわまつさん、絶対に入ってはいけませんよ”
多くの人で賑わっているインドネシアの伝統料理については
——”なんでもかんでも油で揚げればいいということはないでしょう
だいたいインドネシア人はなんでも油で揚げてしまうのです
どうしてだかわかりますか?
鮮度が悪いから揚げてごまかすのです
ちょっとぼくには・・・信じられない・・・怒
さわまつさん、絶対に入ってはいけませんよ”
いかにも老舗を思わせる洋風で重厚な外観のカフェレストランについては
——”だいたいシェフの過去の経歴を大きく宣伝するようなレストランってうんざりさせられてしまいます。料理に関して大事なのは”今”ですよね?
過去にいくら美味しい料理を調理して提供していたとしても
”今”が美味しくなければ、過去の経歴になんていったいどのような意味があるのでしょう?そうは思いませんか?
ぼくにはそこが全然理解できないのです
シェフの経歴を売りに出すようなお店にはもう死んでも行きません
シェフの過去になんてぼくは一切興味がなく、それをまるで”遺産”みたいに宣伝するレストランって——
さわまつさん、ここも絶対に入ってはいけませんよ”
唯一、このJeanが評価らしい評価を下したのが、いわゆる街中華を思わせる小さな中華料理屋で、漢語表記の看板を読む限りでは、どうやらお粥を専門としているお店のようだった
——ここの・・・ちょっと日本語はわからないのですが
・・・”Marine Snail”・・・意味はわかりますか?”
Jeanはその単語だけをネイティヴを思わせる英語で発音した
「貝類」の何かを指す単語だとは理解できたが、特定の種類まではわたしにはわからなかったので、スマートフォンの翻訳ツールで検索してみると
Jeanのいわんとすることはどうやら、鮑のことのようだった
(正確には”Abalon”?)
——”ここの鮑をつかったお粥はなかなかいけますね。鮮度も高く、火の通し方もいいし、なによりSOUPがいいのです
量も少なくて、もう一品必要かなと思えるくらいで、だから商売のやりかたも上手だなと思わせます
だから三年に一度くらいはここにふらりと来て食べることはあります
さわまつさん、ここは・・・でも、まぁ今回は短い滞在でもあるし、他にもっと良いお店がありますから、行かないほうがBetterですね”
それらのJeanの辛辣極まる評価に対してわたしは
あ、あぁ・・・
とか
う、うん・・・
とか
そ、そーなんだ・・・
とか
さっ、三年に・・・一度だけ?
程度の弱々しい言葉でしか相槌を打つことしかできなかったが、同時にこうも思ったりした
Jeanは「食」に対してここまで強い情熱をもっているのだ
だから今夜これからは——
最高に美味しい料理を味わえるに違いない!!
ところでわたしは、かなり若い頃からゲイに対する執着心にも近いような興味を強く抱いていた
もちろんそれは、恋愛や性の対象としてのゲイではなく、もっというとゲイだけが持ち得るように思えるその特権的で独特の輝きを放つ感性に対して尽きない興味があったのだ
それは恐らくは、この夜にJeanが話したお店に対する辛辣な評価
と同様で、ゲイの感性の特異性の一端とは、間違いなくその拒絶性にあるように思えてならないのだ
それは簡単に言い換えれば、好きなものと嫌いなものへの線引きが凄まじいのだ
それも北極と南極ほどまでに引き離されるまでの強いもので
嫌いなものに対しては攻撃性までをも覗かせて、断絶するかのように徹底的に非難して、そこには決して曖昧なものが含まれない
それは「排他性」という単語では収まりきれない、やはり攻撃的な雰囲気を併せ持つような「拒絶性」のほうが、その性質を表わす言葉のニュアンスとしては近しいようにわたしには思える
難しいのはその拒絶性が、ときに傲慢と誤解を受ける点にあるのかもしれない
しかしそうした誤解をも恐れずに、相手に自分自身の意見を真っすぐ突き通すことができる怜悧な頭脳と、誤解を持つ者を逆に論破するような知識と経験を豊富に持ち合わせているのもゲイの特徴のひとつだと、わたしには思えてならない
そして最大の特徴は、逆に好きなものに対しては、徹底的に追及して、それも自分の人生をすべて犠牲にしてまでも追い求めることができ、それを支える強烈な自我と個性がおそらくは人生の早い段階か、あるいはこの世界に生まれ落ちた時点で目覚めているに違いないと思えるからだ
それを明確に示唆しているのが、なにより古今東西の男色の芸術家たちで、わたしが知っている限りでも
絵画では、「最後の晩餐」のレオナルド・ダ・ヴィンチ
音楽では、指揮者のレナード・バーンスタイン(バイセクシャル説あり)
文豪では、「失われた時を求めて」のマルセル・プルースト
服飾では、「CHANEL」のメインデザイナーを長きに渡って務めた”皇帝”
カール・ラガー・フェルド(所説あり)がゲイであったと広く伝えられている
かれらの拒絶性についてまではわからないが、それはきっとあったはずだ
彼らはそれぞれの分野で疑いようの余地なく世界の頂点を究め、伝説化された巨人たちで、おそらくはわたしたちでは辿り着くことが終には不可能な世界の景色をみて開拓した、だから孤高の存在でもあるはずだ
もちろん全てのゲイが孤高の芸術家であるということを言いたいのではない
ただ、間違いなくその「孤高」へと通ずる独特の世界観と美意識、そして強烈な自我だけはもっているに違いないと
隣のツンデレ小僧の悪たれ口を聞いているときに、ふとそう思ったのだ
NORTH JAKARTA
Pantjoran Chinatown PIK
ON THE ROAD
9
18:45
やがて雨が降り始めた
Jeanの運転する車内にいたので気がつかなかったのだが、もしも外にいたらもっと早くに、この雨の気配に気がついていたのかもしれない
ここインドネシアの雨は、まるで短時間のあいだに急激に湿度が上昇して臨界点にまで達すると、それに気がつき空を見上げた瞬間に最初はポツポツと雨が落ちてきて、そのあとはほとんど一気に間を置かずに弾丸のような激しい雨に変化するのだ
それは地表にいる者に何かの罰を与えるような激しさを孕み、ほとんど予告なく突然<銃撃>してくる
先だってロイター通信がその通信網を使って全世界に伝えたところによると、不名誉なことにここジャカルタは世界最悪の大気汚染の都市に選出されている
根拠となる数値を公表したのは、スイスにある大気汚染の調査機関に依るもので、それによるとここジャカルタの汚染された空気は深刻な健康被害を時間をかけて誘発させるもので
ある統計によればジャカルタ市民の呼吸器系の疾患による死者は近年急上昇しているらしい
だからこの街に降り注ぐ雨は——
NORTH JAKARTA
Pantjoran Chinatown PIK
ON THE ROAD
10
19:00
”ここではまだその話しはしたくないのです”
一時間ほど前に、Jean Mespladeはホテルのロビーで確かにわたしにそういった
それはサングラスの奥に隠された、パンパンに泣き腫らした目元をわたしが認めたときで、問わず聞いたところによるとJeanのボーイフレンドとの別れがかれの心を引き裂いてしまい、その心の奥底の複雑な地下水脈のような水路がその痛みを地表にまで押し出して溢れだし、涙を現出させたのだ
だからたしかに大勢のひとびとが行き交う巨大なホテルのロビーでする話ではないようにも思える
ではどこでならいいのだろう
しかしわたしに焦りはなかった
これから何かを打ち明けたい者は、いずれ必ず向こうから語りかけてくるはずだ
こちらとすればただじっと待つだけでいい
だが——
先刻より降り始めた大雨が引き金となって状況を変えた
急に降り出した雨に、通りを行き交うひとびとが一斉に走り始め
そのときわたしたちは信号待ちの車列の先頭にいて、目の前の青信号の横断歩道を一気に駆け抜けていく群れの先頭には、明らかなゲイのカップルをみてとれたのだ
二人とも短パンの上にシャツを羽織っただけの軽装で、お互いが弾けるような笑顔で、がっちりと手を握りあってわたしたちの目の前を足早に横切っていったのだ
その光景は少なくともこのわたしにとっては驚きだった
かつて暮らしたヨーロッパではそうした光景はよくみかけ、ゲイのカップルを受け入れる社会全体の素地と柔軟性および多様性は間違いなくあったが、この国は基本的に保守的なイスラム教徒の国なのだ
Semaranではそうした光景はみたことがなく、短期滞在の中央ジャカルタでもみかけることは一切なかった
華僑たちが支配するここ”PIKエリア"はやはり、そうした意味においても
異国に在りながらも、どこか独立した風土をもつ異質の都市なのかもしれない
わたしとJeanはその光景を、まるで無声映画か、あるいは間抜けなコメディのように、静かに、お互いに言葉をかけあうのでもなく、走り抜けていくゲイのカップルを視線で左から右へ追うようにただぼんやりとみていた
やがてそのカップルは信号を渡り切った右手の小さな路地の奥へ消えていき、わたしは意識しないままも左の運転席のJeanのほうを向くと、右の助手席側に顔を向けていたかれと目が合い、お互いに無言のまま二秒間ほど見つめ合った
そろそろ歌ってもらおうか
やがてJeanは、世にも悲しい恋物語を歌い始めた
Jeanの悲しい恋物語を、わたしは隣の助手席で、ときに車窓を流れていく激しい酸性雨に濡れた大都市の夜景を見ながらも、一言も口を挟まずに聞いていた
そして恋物語のおそらくはまだ冒頭の、そのある時点までで
まず以下のような感想を持った
この男は一体全体、どのようにしてここまで高度で実用的な日本語を身に着けたのだろうか
Jeanはほとんど独学で日本語を身に着けたとは本人から聞いている
通常、かれのご家族とのあいだでは中国語の普通語で会話しているらしく、頭の中で何かを考える際も、だから同様に普通語が最もストレスがないと以前いっていた
本人は〈漢字が読めるので日本語はそこまで難しくありません〉とわたしに語っていたが、それにしても全ての華僑が、だから、簡単に日本語を使えるとは到底思えない
日本語は世界的にみても、最も複雑な言語なのだ
簡単に説明するとアルファベットのみの英語に対して
〈ひらがな〉、〈カタカナ〉、〈漢字〉、〈和製英語〉
の大別して四種類の言語体系が入り乱れ、それらが複雑に錯綜するようにして構成されるのが普段わたしたちが当たり前に使っている言語なのだ
外国人に優しいはずがない
そしてJeanが語ってくれた悲しい恋物語には、随所に、まるで句読点を挟み込むかのように”わかりますよね?”が意識的に組み込まれていた
それはJeanの苦しんでいる生の肉声をまるで無視するかのような側面は間違いなくあったが、直接聞いていると、しかし、かれの日本語の技術は、間違いなく素晴らしいという感想が先に芽生えたのだ
わたしは普段、自己啓発やビジネス文書の類などはつまらないので
(20代の頃は何冊か読んだ)一切読まないが、しかしこのJeanが駆使した日本語の口語調の技術は
もしかしたら次世代への革新的な技術なのかも知れないと思ったりもした
——”だからぼくは、そうした誤解を与えるようなことはもうしないで欲しいと、もう何度も彼にはいっていたのです。
わかりますよね?
彼は「わかった」といつもぼくに言うのですが、でも全然わかっていないのです。わかりますよね?
だから、彼のSNSの投稿で他の男と一緒にいるところを投稿しないで欲しいとぼくは何度もお願いしたのですが彼は止めないばかりか、まるで挑発するように・・・わかりますよね?
そして、ぼくにはもうそれが耐え難くなってきて・・・わかりますよね?
彼とは付き合ってまだ1年くらいなのですが・・・
わかりますよね?
だから、ぼくは昨夜に、彼に電話をかけて、もう別れたいと伝えて一方的に電話を切ったのです
さわまつさん、わかってくれますよね?”
話し相手に対して、まるで追認を求めるようなこの”わかりますよね?”は、実際に聞いてみると、相手から集中力を求められているように思えて、だからそれだけ集中して深く耳を澄ませてしまうのだ
自身が強く語りたいことに対して句読点のタイミングで相手に追認を求める
素晴らしい!!
この技術はわたしもSemarangに戻って同僚のインドネシア人相手に早速使わせてもらうことにしようか
そして一瞬、火花のようにわたしの脳裏に薔薇色の未来が垣間見えた
六ヶ国語を操るこのJeanの語学習得術と、わかりますよね?
の技術を中心に、Jeanからさらにその仕組みと詳細を聞き出し、わたしが文章をおこして日本で出版するのだ
タイトルは一冊目が
”〈六ヶ国語を操る華僑のゲイ〉が伝える語学習得術”
その続編は
”〈六ヶ国語を操る華僑のゲイ〉の高等会話術”でもなんでもいい
本を売るためのいわゆる「帯」の惹句には
”今、ジャカルタが熱い!!”
とかなんとか、適当な文句を並べ、次回の帰国時に東京の出版社をドサ廻りすれば、一社くらいは話を聞いてくれるのかもしれない
そしてわたしには十冊だけは売り切る”販売戦略”の自信もあった
わたしの親愛なるフォロワーの
Ryeさん、レインさん、gingamomさん、chiro_sumyさん、makilinさん、
湯美さん、きのこみやさん、森野しゑにさん、Shokoさん、のんてりさん
の十傑(順不同)だけはご購入して頂けるに違いない
”やれやれ・・・仕方ないわ。お付き合いで一冊だけ買いましょう”
と申し出てくれるはずだ
いや、しかしたったの十冊ならばもちろん大赤字で——
さきほど垣間見えた薔薇色の未来が、一瞬にして枯れ落ちていくのがはっきりと見えた
そして、このJeanには申し訳なかったが、わたしが次に持ちえた感想はこうだった
一体今はどこを(車で)走っているのだろうか?
目の前のフロントガラスは分厚い雨のカーテン
わたしが座っている助手席側から見える右手の風景は、漆黒の海だった
雨が音も立てずに暗い海に降り注いでいる
どこかの海岸線を走っているのは間違いなかった
わたしはここ”PIKエリア”に来たのは初めてで、もちろん土地勘は一切ない
しかしここが中華街ではないことは明白だった
おそらくは、この人工島の東側の海岸、いや、湾岸ラインを走っているのだろう
暗い海の先に雨でぼんやりと滲む、数キロ先のスカルノ・ハッタ国際空港の灯りが見えていたからだ
なぜそこが空港なのかの検討がついたのは、夜空を舞う無数の飛行機がまるで沈んでいくかのように空港の常夜灯に向かって次々と下降を始めていたからだ
スカルノ空港は東南アジアでも最大規模の、いわゆる”HUB空港”なのだ
世界中から旅客機が押し寄せてくる
Jeanが語り始めた話は、上記はまだ一部で、長編小説でいうならばまだ
<序章>の部分であったが、わかりますよね?とわたしに追認を求めたときは、常にわたしの方を向いていたということもある
その前は中華街のレストランを舌鋒鋭くこきおろしていた経緯もある
こいつまさか——
話に夢中になりすぎて・・・
そしてダッシュボード・パネルが表示していた時間もいささか気になってはいた
なぜならばJeanいわく
”今夜は19:00に香港の飲茶レストランに予約をいれています”
だったはずだ
だがもうすでに19:00は過ぎている
しかしせっかくJeanが歌い始めたので、何となくその話しの腰を折ってしまうのは忍びないと思ってわたしは黙っていた
わたしの沈黙を、まるで同意の印と受け取ったJeanは、いよいよここから本格的に物語が始まるといった感じで、座っていたシートのお尻の位置をややずらし、やや語気を強めてさらに語り始めようとしたときに、Jeanのスマートフォンが鳴りはじめた
鳴りはじめたスマートフォンにお互い気がついたとき、わたしとJeanの脳波は人種の国境の壁を越えて一致していたに違いない
なんとなくタイミング的に、Jeanの彼がかけてきたに違いないと思えたのだ
Jeanに許しを請う、泣きの電話だ
しかしダッシュボードのホルダーに立てかけられていたスマートフォンの表示窓には、漢字表記の名前が暗闇から浮かび上がるようにくっきりと表示されていて、Jeanはそれを見、普通語と思しき中国語で小さく何かを呟いたあと、わたしに向かって今度は日本語でこういった
——”さわまつさん、ぼくの友人からの電話です。ちょっとでてもいいですか?”
その声には微かな苛立ちが含まれているようにもわたしには感じられた
その苛立ちはもちろん、これから本格的に語り始める恋物語の腰を、電話で邪魔された苛立ちに違いなかった
わたしは、もちろん、と答えるとJeanはスマートフォンを馴れた手つきで操作し、Bluetoothで接続されているに違いない車内のスピーカーから、予想に反して艶のある、ソプラノを思わせる若い女性の声が流れ始めた
Jeanの車内に搭載された高性能のスピーカーの音は、素晴らしくクリアだった
相手の背後の、人や車の往来の音までがきれいに聞こえてきて、全体に雨音も混じっていた
Jeanとその女性は、後に本人に訊いたところによるとやはり普通語での会話で、わたしにはまったく理解できなかったが、ふたりの通話越しの間にはかなり親しいと思わせる親密な雰囲気が立ち込めていた
相手の女性の息はやや乱れているようにわたしには聞こえ、おそらくは突然降り始めた雨に慌てて通りを駆け、どこかの軒下でこの電話をかけているようにも思えた
そう——
——この女性が”D”
〈黒いノースリーヴの"D”〉
簡単に説明すると、Jeanの幼馴染のやはり華僑で、日本語を含めた
<四ヶ国語を操る華僑の女性>だ
彼との破局が近づいていたJeanが
まるでSOSを打つかのように事前に”D”に発信していて
彼女が休暇先のバリ島から戻った直後のこの夜、心配した”D”がJeanにコンタクトをとってきたのだ
この日、これから深夜まで続いた中華街の食事の席には
この”D”も駆けつけて合流し、三人で中華式の小さな丸テーブルを囲んだ
彼女は雨にうっすらと塗れた長い黒髪と黒いノースリーヴを纏って、酸性雨の細かな雨粒を縫うようにしてわたしたちの前に現れるのだ
その食事の席の終盤で、”D”はJeanのある特定の性質を差して正確にこういった
”怪物”
だと
それは確かにJean Mespladeのある性質を鋭く言い当てていたが、それを聞いてわたしは同時にこうも思った
——”そして、このDも間違いなく怪物に違いない”
もちろん、若く、美しいの”D”の容姿を怪物だといいたいのではない
”D”——
Diana Halimのその強烈で鮮烈な光を放つ個性を怪物だといいたいのだ
——そして次回で、この長い連作の本編の幕がようやく上がり
同時に幕が落ちることになる
NEXT
2023年9月17日(日) 日本時間AM:7:00
連作:5
猛毒の雨が降り注ぐジャカルタの中華街、そこに集いし怪物たちとの晩餐会
この連作へと続く
前日譚
連作:1
連作:2
連作:3
連作:5
連作:6
連作:7〈完結編〉
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