#秋
本を閉じてもみんなそれぞれの生活を送っていたんだ
上の記事で紹介した恩田陸『蜜蜂と遠雷』
その続編の『祝祭と予感』を読みました。
僕の求めていたものは、この続編にありました。
『蜜蜂と遠雷』も面白かったんですが、読んでいる最中の「続きをもっと読みたい」に反して、読後は「何か物足りない」という気持ちになっていたのが正直なところ。
長編なだけあって疲れたせいかもしれません。
長編をぎゅうぎゅうに一冊に押し込めていたせいかもしれません。
音
左手にもEnterキーを
こんにちは。
北陸では雪虫が舞い始めました(↑見えるかな?)
初雪の予感。
荒れた天気の日も増えてきて、雪景色が思い浮かぶようになってきました。
今日の見出し画像は、F1キーをEnterキーにしたよという話のための一枚。
僕が使っているキーボードは、LogicoolのK780というものなんですが、F1 F2 F3キーを押すことでiPadやスマホなどの機器でもこのキーボードを使えるようにな
資本主義を支えているのは神だった
『その悩み、哲学者がすでに答えを出しています』
読了したので、まとめです。
一番印象に残った内容それは、
「資本主義が神に支えられたもの」
ということ。
僕はバカなんで、資本主義っていうんだからそれはお金に支えられたものだと思っていました。
それが、神の存在で成り立っていたものと知ったとき、それまで資本主義に抱いていた違和感の正体が少しわかったような気がして、腑に落ちました。
簡単に
道元がすでに答えてた
以前、皿洗い瞑想なんて記事を書きましたが
すでに道元さんが言っていました。
日常の些事、雑事、凡事こそ、悟りに至る修行と。
人間は、あらゆる事に目的を求めすぎている。
目的を果たすための手段もまた目的になってしまっている。
それに日々追い立てられ、際限なく重ねていく日常に疲弊してしまっている。
それを断ち切るのが、坐禅。
坐禅はそれだけで完結する行為。他に目的がない。
そして、坐禅