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心のなかを言葉で伝えるーー〈現実界〉の到来を避けつつ
話しながら書くということについては、様々な事情からやめたいと思います。自分自身で意識を集中させて(または時折小声で書いている文章をなぞりながら)書いていきたいと思います。
私のブログは私の病理に関する記述が中心でしたが、自分自身、このところ良いニュースもあり、少し精神的に落ち着くことができました。
自分自身、解離の問題について書いてきたけれど、同時に問題視していたのは、統合失調症系の症状も生じ
私に対する精神的注釈
自分なりに自分の今の症状について考察することが出てきたので書いていきたいと思います。
自分は「眼差しとしての私」と「存在者としての私」について柴山雅俊さんの議論に対して参照を行ったけれども、そこで大事なのはその2つは交代しうるということだった。
私はその両方が交代しうるということを念頭に置いて、どちらにしても「存在者」としての立場からベタに言葉を書いていくべきなのかなと思った(つまり、自分がベタ
心の問題の再考(2)ーー「ありのままの私」と「外」・「内」の感覚
人間の思考において、「表の領域」と「裏の領域」を作ることによって見えてくるものはあるのかもしれない。だけど、自己一致することが求められる職業であるカウンセラーでは例えば、おそらく「表」と「裏」を作ってはいけないのではないだろうか。
私自身、「表の自分」と「裏の自分」というのを作ってしまいがちになってしまうけれども、理想は「ありのままの私」で24時間動き、24時間できれば応答可能な状態になることが
手紙にはならないが紙の餞別
私は自分の文章を書く時にすごく苦労している。私は最近読んだ本のなかで、日常会話能力と思考言語能力が区別されているのを知った(児玉克順 『世界でいちばんやさしい 教養の教科書 〔人文・社会の教養〕』 Gakken、2023)。
「こんにちは、いい天気だね!!」と呼びかけるのが日常会話能力(あるいは本にある言葉をそのまま引くと「上記のような語彙を使って会話する能力」(同書、86頁)で、「人の普遍的な
言葉に関する感触、それからサイコティック・プロセス、また読んだ自己啓発の本について
自分が文章を書くということはどれほど自明なことなのでしょうか。
以前は、自分は文章を書くことに苦労などしていなかったと思います。
文章を書くことに苦労することが多くなったのは、精神疾患の症状が出てきてからだと思っています。
精神疾患の症状についても、次の手帳の更新では、精神障害者保健福祉手帳2級になるかもしれないです。診断名が「統合失調症」と「解離性障害」です。
それに加えて、その診断書には、「離
書いていることを最高速ですると
書くという行為について、前回のnoteについては確かに考えてから書いていたのですが、それだと私自身、頭の中で考えた文章を書くということになってしまい、自然さが失われてしまうのではないかという気がしたので、私自身今回のnoteでは自然に筆を動かすことにします(実際にはタイピングですが)。前回のnoteについては次に挙げられます。
私はこのところ、自分に関することで、昔の自分の行いについて反省するこ
役割演技かありのままの自分か
ありのままの自分を出してしまっては不味いのではないか。ありのままの自分を出してしまっては不味いことを自分は知っている。自分は二重化された存在を生きているからだ。その二重化された言語を書き取るということを少ししてみたい。
私は自分のことを次のように書けます。ここで工夫して二重化された方の言葉を取り消し線で表現します。
私は次のように書く。私はある意味でトランスジェンダーだ。私はもっとしたいことがあ
first langageとsecond langageみたいになっていると言うのがいちばん良いのか。
firstは男性です。secondが女性ないし無性。
僕の状態をポジティブワードで言うならジェンダーフルイド(Gender Fluid)ないし病名では特定不能の解離性障害です。