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本能寺の変1582 第101話 13上総介信長 4道三の援軍 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

第101話 13上総介信長 4道三の援軍 

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今川勢が尾張に侵入した。

 天文二十三年(1554)
 正月。

 今川義元が攻勢に出た。
 狙いは、緒川城(愛知県知多郡東浦町緒川)。
 水野信元である。 

今川勢は、村木に砦を構えた。

 その北方、半里(2km)ほど。
 知多郡村木に、付城を築き、兵を入れた(同東浦町大字森岡字取手
 八劔神社付近)。
 信長と信元の間に、「楔(くさび)」を打ち込んだ。
 来援ルートを、遮断する作戦である。

  村木の取出攻めらるゝの事

  一、さる程に、駿河衆、岡崎に在陣侯て、
    鴫(しぎ)原*の山岡構へ、
    攻め干し、乗取り、
    岡崎より持ちつゞけ、
    是れを根城にして、

    小河の水野金吾構へ差し向かひ、

    村木と云ふ所、駿河より丈夫に取出を相構へ、
    駿河衆、楯籠り侯。

    並びに、寺本*の城も、
    人質出だし、駿河へ荷担仕り、御敵に罷りなり。
    小河への通路を取切り候。

     *鴫原 重原城 同知立市上重原町本郷
     *寺本 同知多市八幡町字堀之内 津島神社付近

信長は、水野信元を救援しようとした。

 しかし、兵力不足。
 守備兵を残す余力がなかった。

  御後巻として、織田上総介信長御発足たるべきの旨侯。

 信元は、徳川家康の伯父。
 母の兄である。
 生年不詳。

 天正三年1575。
 武田に通じたとの嫌疑により、自害。

 これについては、後述する。 

那古野城が、清洲織田氏に襲われる恐れがあった。

 隙を見せれば、そこを衝かれる。

  併(しか)しながら、
  御敵、清洲より、定めて(必ず)、御留守に、那古野へ取懸け、
  町を放火させ侯ては如何と、おぼしめし、

信長は、道三に援軍を頼んだ。

 他に、道はない。

  信長の御舅にて侯斎藤山城道三かたへ、
  番手の人数を一勢、乞ひに、遣はされ侯。

道三は、快諾した。

 即決、即断。
 直ちに、援軍を送った。
 大将は、安藤守就。

  道三かたより、
  正月十八日、那古屋留守居として、
  安東伊賀守大将にて、人数千計り、
  田宮・甲山・安斎・熊沢・物取新五、此れ等を相加へ、

  (道三は)見及ぶ様体、日々注進候へ、と申し付け(命じて)、

道三の援軍が到着した。

 美濃勢は、那古野城の近くに陣取った。

 同事に(同軍勢は)、正月廿日、尾州へ着き越し候ひき。
 居城那古野近所、志賀・田幡両郷*に陣取りをかせられ、

 廿日に、陣取り御見舞として、信長、御出で、安東伊賀に一礼仰せられ、


  *志賀 愛知県名古屋市北区志賀本通 
  *田幡 同名古屋市北区田幡

林秀貞、離脱。

 ところが、出陣間際になって、林秀貞が異議を申し立てた。
 秀貞は、一長(筆頭家老)。
 直前の離脱であった。 

  翌日、御出陣侯はんのところ、
  一長(おとな)の林新五郎・其の弟美作守(みまさかのかみ)兄弟、
  不足を申し立て、
  林与力、あらご(荒子*)の前田与十郎城へ罷り退き侯。

   *荒子 同名古屋市中川区荒子町

信長は、このことを忘れない。

 信長は、誇り高い男だった。
 これでは、面目丸潰れ。
 なれど、戦の前。
 信長は、堪えた。 

  御家老の衆、いかゞ御座侯はんと申し侯へども、
  左候へども苦しからざるの由、上総介仰せられ侯て、御働き。

 その上、執念深い。
 これについては、後述する。

信長は、熱田へ向かった。

 この日は、熱田泊。  

  其の日は、ものかはと云ふ御馬にめし、
  正月廿一日、あつたに御泊り、

信長は、荒海を押し渡って、緒川に到着した。

 事は、急を要した。
 強風吹き荒れる中、渡海を決行。
 熱田より、知多半島西岸へ。 

  廿二日、以外の大風に候。
  御渡海なるまじきと、主水(かこ)、檝(かじ)取りの者、申し上げ候。

  
  昔の渡辺・福島(大阪)にて、
  (義経と梶原景時が)逆櫓(さかろ)を争ふ時の風も、是れ程こそ侯はめ。
  是非において、御渡海あるべきの間、舟を出だし侯へと、
  無理に、廿里(誤り)計りの所、只半時計りに御着岸。

  其の日は、野陣を懸けさせられ、

 信長自身は、その日のうちに、緒川城に入った。
 水野信元に会い、状況を確認。

  直ちに、小川へ御出で、水野下野守に御参会候て、
  爰許(ここもと)の様子、能々きかせられ、小川に御泊り。

                          (『信長公記』)


 ⇒ 次へつづく 第102話 13上総介信長 4道三の援軍 



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