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わたしの転職体験 その3 あざとかわいく米国ベンチャーに転職 事業企画への道 鉄鋼会社研究所のLSI開発職から米国ベンチャーのLSI開発職へ出向·米国駐在~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

文系の方も理系頭の中身を覗いて見て下さい。(笑)

【経緯】
 大学を卒業して希望していた鉄鋼会社に入社しました。専攻していた表面物理学を活かせる研究部門に配属でした。そこでのんびり論文ドクター位取ってから総合企画部、そして役員狙いかなぁとぽんやり考えていたのでした。

 しかし社内結婚を期に一気に人生が動きました。

 夫婦同部署不可もあり、研究(コストセンター)から事業部門(プロフィットセンター)へ希望通りの転職。

 そこで3年間、商品を企画して自ら開発し、事業部のマーケティングの方と海外企業との提携を模索していました。

 時はバブル。多角化を収斂(しゅうれん)して最先端の巨大成長市場である半導体事業への参入が決定されました。そのコアメンバーに抜擢。この時も総合企画部希望を出し続けていました。願いは叶えるもの。会社の未来の中核事業への転職でした。

 どんどん希望に近づいて行く。

【製造所の所長にアピールが功奏】
 半年の研修後、秘密工場に転勤になり、提携先の基礎技術の習得と次世代技術の開発を担当していました。
 総合企画部への転職希望は掲げ続け、それに見合うように仲間を集め、所長秘書に毎週早朝会議室を確保してもらい半導体事業の自主的な検討会を立上げていました。狙い通り早起きの所長の目に止まったようでした。

 あざといかわいい奴(と思われたい)

 日米半導体摩擦への配慮から国内企業の買収は諦め、北米の最先端高速半導体ベンチャーと台湾大手の企業との提携が決定されていました。そして私は所長の推薦で、内定していた先輩を押しのける形で北米のベンチャーに入って技術移管と技術開発を担当することになりました。

【欲しいものは欲しいと】
 運と勘としつこさの人生、欲しいものは欲しいと言って行動した方が勝ちってところでしょうか。

【シリコンバレーに】
 米国カリフォルニア州のシリコンバレーの最先端半導体ベンチャーに転職となりました。形式上はH1Bビサで、社内的には海外駐在員。現地駐在事務所にも定期的に出社していました。
 大学の担当教官はスタンフォードにいた人で、論文も当たり前のように英語で書く世界に居たことが活きました。カリフォルニアの習慣がスッと身につき、業務もストレス無く進められました。家族も1ヶ月後には呼び寄せられ感動的なアメリカ暮らしが始まったのでした。

蛇足
 車好きですので、駐在員の特権を活かして遠慮なくフォードの高級車を夫婦用に2台購入しました。
①リンカーンタウンカー
②サンダーバードスーパークーペ
当時、北米にレクサスが初めて投入されていました。LS400です。試乗しましたが、愛車トヨタクレスタと余り変わらず広々感はリンカーンが圧倒的でした。しかもフォードがレクサスを研究し尽くして熟成した新作V8エンジンはとても振動が少なかったのです。信頼性向上も劇的進化を遂げていました。今でも日本に持ち帰って乗っています。
サンダーバードは吾妹用で、希望通りスーパーチャージャー付マニュアルシフト(オートマチック車が殆どなのに)、しかもサンルーフ付でした。吾妹も人生の楽しみ方を知っていました。(笑)


超蛇足
 電子デバイス事業部の駐在員はアメ車は信頼性に乏しいと避けて日本車や欧州車に乗って居ました。私だけ会社が保有していた米国の鉄鋼会社のお得意様であるフォード車、しかも高級鋼板を惜しみなく使った大型車を2台買いました。鉄鋼事業部の方には喜んて頂けました。www
 単にしなやかな乗り心地で、静かで広い車が好きだっただけで、決してあざとかわいい奴を志向したわけでは有りません。www

超超蛇足
 あざとかわいくアピールが功奏し、私が所長の推薦で内定していた先輩を押しのける形で北米のベンチャーに行ったとばっちりで、ご近所に住んでいた先輩のご家庭に一波乱起こしてしまいました。

 ごめんなさいm(_ _)m。

 宜しければこちらもお楽しみ下さい。



 

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