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#3【海外駐在した話】タイ・バンコク|2年間|2008年10月~2010年9月|タイ語を学び、様々な国の友人と出会い、猛烈に仕事をする日々

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本日は番外編、タイ・バンコクでの駐在生活のお話、その3、最終回です^^

前回までで概要編で主な出来事や、駐在が決まった時の気持ち、住まいや地域、駐在生活・仕事等はどんな感じだったのか、を綴ってきました。

今回は、楽しかったことや辛かったことと、そしてバンコク駐在を終えて思うことを綴ってみたいと思います^^


タイ・バンコクでの駐在生活~楽しい&辛い思い出編~

楽しかったこと

まずは、かけがえのない友人と出会えたこと・過ごしたことです。日本人コミュニティが広がった、ということはあまりありませんでしたが、単身だったこともあり、タイ人の同じ年代層の友人たちがいっぱいできたことは、宝だと感じています。

そして、新たな言語であるタイ語を学び、ある程度のレベルにまで向上できたこと

そして、様々な旅も楽しかったことの一つです。

タイ国内だと、北はチェンマイ、南はサムイ島やサメット島、ホアヒン等、主なリゾート地に友人や会社の社員旅行等で足を運びました。

また、タイ国外だと、旅行ではカンボジアや香港、そして出張でも、オーストラリアにシンガポール、インドネシアにマレーシアと、そこら中に飛ぶ日々を過ごし、この頃のパスポートはスタンプが満杯になりました・・。

辛かったこと

概要編でも綴った通り、2010年2月~4月頃、政治不安(赤シャツと黄シャツの内乱)で、市内にバリケード等はられ、帰宅困難になりました。住んでいたマンションに帰ることができないほどのバリケードだったので、毎回帰るのに1時間程かかる日々でした。

ある日、仕事で遅くなり寝ようとして夜中の1時半頃。突然銃声音が聞こえて、「今誰かがなくなったのかな・・」と、日本では想像もしない世界が外にあるのかと思うと胸が苦しくなり、精神的にやられました。

そして、あまりの不便さと、内乱が徐々に悪化したため、同じ市内の別マンションへ緊急お引越しをすることとなり、仕事も忙しい中必要最低限のものをスーツケースに詰め込み、お引越しをすることに・・。いつ帰宅できるかわからないから必要なものを持っていけ、とは言われるも、引っ越し先は自宅よりも狭い、普通のホテルの一室だったので、本当に足りるのか不安な中、お引越ししました・・。

4月中旬にソンクラン休みで4,5日程日本へ帰国(脱出)したのですが、その間にも、日本でも大々的な報道ニュースとして日々目にし、会う人会う人、そして家族からも「本当にバンコクに戻るの?」と聞かれ続け、自分でも、本当に戻るのか?大丈夫なのか?と思っていました。
その矢先、日本人の方が一名なくなり・・。あまりにショックなニュースに、これはさすがに上司から日本へ留まるよう指示があるかと思いきや、特になく、そのままバンコクへ帰国。。。

また、家の近くにあった最大級のショッピングセンター”セントラルワールド”もバリケードの一つとなっていたのですが、ある日そこでついにドンパチ始めたようで、最後には炎に包まれ、燃えてしまいました・・。
終結後に通りかかってみた際、”映画で見る、ゴジラが建物をバクっと食べた後”のような光景に、これが現実で起きているんだなと、若かりし27歳の春、私はバンコクで震えました。

更には、内乱は悪化し、自分の会社のバンコクオフィス自体がクローズに。そのため、シンガポールにあるオフィスへ移動する命令が下され、着の身着のまま、上司家族と共に車に乗り込み、空港、そしてシンガポールへ・・。

バタバタの中でも仕事は平常運転。
その後幸いにも一週間後には、バンコクの内乱が終結。大急ぎでバンコクへ戻ることに。政治不安も終わり、友人と会うこともできはじめ、体調も戻り、残りの駐在生活を楽しみました。

ただ、当たり前のことかもしれませんが、政治不安は人の精神をダメにすると痛感しました。日本にいると、テレビで見る世界になりがちな政治不安によるデモ行動と、それにより市民への影響。これは、自分事なんだと感じたことで、他人事になっちゃだめだとこれからも、自分へそして子供たちへ、その思いを忘れず受け継いでいきたいと思います。

なお私は、終結後に、病院に入院して胃カメラ検査をするほどでした。
ものすごく痩せて、自分でも大丈夫かなと思いました・・。

バンコク駐在を終えて想うこと

初めは前述のとおり、複雑な気持ちはありましたが(25歳の自分は心の整理をするのに未熟だったということかと思いますが)、その2年後、そして今思うことは、自分では選択しなかっただろう経験を得ることができ、人生経験が一つ豊かになったことや、危険な経験ではあるものの経験したことにより(会社に守られながらも)、命を守る大変さや命あっての仕事、等、日本では簡単には考える機会を与えられない日々を過ごしたことは、人生の糧になっているかと思います。
また、何よりもバンコクは、安くて面白い。でも、そんなことは露も知らない25歳の私は、駐在にでもならなかったら今でもバンコクとはゆかりもない人生を送っていたかと思います。

なので、「いきなりだが2週間後にはバンコクに着任、数日中に会社を辞める前任からすぐ仕事を引き継いでほしい」という、むちゃぶり辞令も、ありがたい経験だったと、今は感じています^^

ここまで読んでいただき、ありがとうございました^^
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