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がらくた宝物殿短編小説実験部門

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がらくた宝物殿で起こされた小説を掲載していきます。
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記事一覧

見えない! 〜着席と起立の間で

見えない! 〜着席と起立の間で

着席と起立の間で、今あなたの背中の向こうのステージを透視している。しかし見えるのはさらに前に立つ人々の背中ばかり、マイクに向かうあの方の姿は肩の草原の隙間からちらりと出たり引っ込んだりするのがかろうじてわかる程度だ。

皆が座っていたならば、客席の傾斜は見晴らしのよいステージを万人に提供してくれただろう。しかし、5列目くらいの男が立ち上がった。するとそのすぐ後ろの人は立たねば何も見えない。そこから

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或る街の断章/グッド・バイ

或る街の断章/グッド・バイ

手を挙げたとたんにタクシーが突っ込んできて、四台がとまった。一台でいいと言うと、誰がいちばん最初にとまったかで争いが起こった。

取っ組み合って漫画のように舞う土埃の合間を縫って這い出た私は、歩道に沿って先へ急いだ。赤信号の下、黄色い機械に埋め込まれた赤いボタンを押す。ずっしり重く、なにか重要なボタンのような錯覚に陥るが、押して数十秒後に信号が赤から青に変わるだけのボタン。数十秒後、街中すべての信

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寒いし不安 な夕

寒いし不安 な夕

降車駅が近づく。線路の緩やかなカーブに合わせて床が傾き、バランスが崩れた。網棚に掛けようと慌てて振り下ろした手は空をかすめ、危うく前の座席のスーツの男に突っ込みそうになる。が、すんでのところで後ろに半歩下がることで最悪の悲劇は回避することができた。これが今日起こったことの中で一番よいことかもしれない、というほどのついていない1日。

停車間近まで列車の揺れは収まりそうになかった。本に挟んである、薬

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やめます

やめます

 突然、すべてが嫌になった。そんな気がしたが、実はそれは突然ではなく、私はずっとぼんやりとすべてが嫌で、すべてが嫌だったんだということに、ようやく気がついた、というのが正確かもしれない。いや、正確じゃないかもしれないけれど、そんなことはどうだってよかった。私は、私をやめるのだから。

 すべてが嫌になった私は、嫌なことはみんなやめてやろうと決めた。すべてが嫌なのだから、すべてをやめなければならない

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小説で人を殴った

小説で人を殴った

 小説で人を殴った。小説の中でってことじゃなくて、とっさに手が出たときにちょうど本を持っていたのだ。薄いけどハードカバーの本だった、ハリー・ポッターの3分の1くらいかな。拳で殴るのと、本で殴るのと、どっちがダメージが大きかったかはわからないし、ダメージが大きかった方がよかったのか、小さかった方がよかったのかもわからない。でも、手が出るくらいムカつくことを言われたのは、確かだ。だって、実際に手は出た

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夢の発端

夢の発端

旅行のお土産を渡したいから空いている日を教えてくれ、と大学時代の友人から連絡があった。卒業してから六年、一度も連絡を取った記憶はなく、チャットの履歴を見ると最後の会話は七年前、サークルか何かの宴会の際にした「集合七時半に変更になりました」「了解~」というものだった。どこに旅行に行ったのか知らないし、旅行に行ったということ自体知らなかったし、連絡が来るまでその人がこの世にいることを思うことも思い出す

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高級料理

高級料理

キャンドルにぼんやり照らされた前菜。見慣れない食べ物が目に馴染まない照明で浮かびあがり、なにがなんだかわからなかった。とっくの昔に下げられたメニュー、特に料理の選択肢はなく出てくるものが書いてあっただけなのでお品書きと呼ぶ方がいいのだろうか、あれには「前菜」とだけ書かれていた。左から小さな塊が三つ並んでいる。紫のブヨブヨ、黄色のツヤツヤ、黒いブツブツ、どこまでが可食部なのだろう。

食べ方を参考に

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アイスブレイクの危険性

アイスブレイクの危険性

アイスブレイクとは、初対面の相手といち早く打ち解けるために行う、簡単なゲームや活動のことだ(*)。人が誰かと関わる必要が生じたとき、本格的に関わる前段として簡単なルールに基づき意思を伝え合ったり思いに耳を傾け合ったりする、そのようなコミュニケーションの前のコミュニケーションのことをアイスブレイクと呼ぶ。氷のように緊張した関係を打ち砕く(ブレイクする)からアイスブレイクである。

(*)…… 次に示

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打ち上げ

打ち上げ

ロックバンドだっていうから4人か5人くらいかと思っていたのに、でっかいバスが2台やってきて50人くらいが降りてきたんです。しかも、ほとんど誰も楽器を持っていない。全員降りて、係が点呼をとっている隙に見える楽器を数えてみたら、ギターが5本、たったそれだけ。想像していたロックバンドより、ギターは4本多く来たし、人は45人も多く来ちゃったわけです。点呼が終わると彼らはばらばら、私の店に入ってきました。が

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一週間のサマー:犬の芸を見にいく

一週間のサマー:犬の芸を見にいく

僕は夏野さんと、建ち並ぶ家々の庭をのぞき込みながら住宅街を歩いていた。
僕は庭をのぞき込みながら時々夏野さんの顔もチラチラ見ていたのだけれど一度も目が合わなかった。きっと夏野さんは真剣に庭をのぞいているのだと思う。僕らは、犬を探していた。

**

夏休みの真ん中くらいに、夏野さんからメールが入った。僕は夏野さんのアドレスを知らなかったので、開いてみるまで夏野さんからだとわからなかったし、開いてか

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ストリート・ミュージシャン 必勝法

ストリート・ミュージシャン 必勝法

私が住んでいる街には、夜になると数メートルおきにストリート・ミュージシャンの並ぶ通りがある。何年かに一度、この通りからメジャー・シーンに打って出る人がいることから、一部でストリート・ミュージシャンの聖地と呼ばれている。

自分の歌がたくさんの人の心に届く未来を夢見て毎日たくさんの新入りが現れ、純粋な心につけ込み持っているものをみな搾り取ろうとする涸れきった大人が出入りする。警察は、夢見るミュージシ

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募金

募金

私の住んでいる町が〈住みにくい町ランキング〉で1位に選ばれてしまった。聞いたことのない出版社が主催しているうさん臭いランキングだからと気にしないように努めたが、気にはなる。ネットに出回っている記事を読んだところ、住民の声を集めて反映したランキングではなく、ライターの独断で決められたもののようだった。

住んでない奴にこの町のなにがわかるんだ、と言ってやりたい気持ちはあったが、残念なことに私の町は実

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でっけえ!

でっけえ!

快晴、無風、4月。こんな散歩日和が今後訪れようかという空模様だった。しかし、近所中のみんながそう思ってしまったらしく、大きな公園には人が溢れていた。すれ違う人々は肩と肩をぶつけ合って進んでいく。まるでピンボールだ、という表現が頭に浮かんだが、今歩いている近所中のみんなもそう思っているに違いない。

陽気に誘われまんまと出てきたことを後悔しながら、池を囲う道を1時間かけて1周した。もういいや、帰ろう

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ビールの神様

ビールの神様

ビールの神様は、ある日突然現れた。神様と出会って、僕はビールを飲めるようになった。それまでは苦いばかりで嫌いだったのに、以来おいしくてたまらなくなった。神様は飲み会の度に「あんま飲み過ぎんなよ」と僕に言う。神様は、アルコールは悪だという風潮を変えるために復活した、酒界の救世主らしい。

ビールの神様は、全然ビールに詳しくない。発泡酒を飲んで「このビールうまいな」と言うことがしばしばある。指摘すると

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