佐藤 誠也 Seiya Sato

ひっそりと社会で生きていたい変わり者。1978年生。

佐藤 誠也 Seiya Sato

ひっそりと社会で生きていたい変わり者。1978年生。

記事一覧

最終的に病気が判明し、何故か安心した話。(精神科)

「我々としては最大でも3か月迄しか、面倒は看れませんよ」と言われた精神科病棟には、結果として2か月間、御世話になった。今にして思えば「自動車みたいな巨大な機械が修…

「平服でお越し下さい」という案内に戸惑う中年男

「就職したらば、祝儀不祝儀の服は用意しておくように。」 こう書いていたのは、向田邦子の随筆だった。向田邦子の御父上からの言葉である。年相応に誰しもが、祝儀不祝儀…

夜明けの精神科病棟で茶話会を試みる

この大量消費社会の中、消耗品はその役割を終えると買い替えの対象となる。衣服も家電も自動車も然りだろう。 でも身体の場合はそうはいかない。「心」ならば余計にである…

精神科病院に入院してみた話③

「貴方がここでやるのは、休む事です。」 鍵の付いた部屋で言われた私は、本当にどうして良いか迷っていた。戸惑ったという方が正確かもしれない。そして入院が決まった段…

「自分を受け入れる」ということ。

私は精神的な障害というか病を背負っている。だからと言って湿っぽい話もしたくはないし、同情されたいとも思わないので、徒然なるままに淡々と書こうと思う。 発病という…

パリジェンヌが異国で毅然と教えてくれた事

今でこそそんな熱はないが、「自分探し」という名の熱に侵されていた若い頃に、私は日本から遠く離れた異国の地で、それに熱中していた事があった。日本では得られない経験…

ミャンマーに着くや否やビックリした話。

夕暮れのバンコクから1時間あまりでヤンゴン・ミンガラドン国際空港に着陸した。もうすっかり日が暮れていた。涙は乾いていた。他の乗客と共にボーディングブリッジからタ…

「我が家の戦後」がやっと終わった話①

今、NHKの朝ドラでは「昭和を代表する作曲家」の戦争時代の話が放送されているらしい。私はTVを観ないのだがネット等で反応は見聞きする。 我が家も実は「戦没者遺族」だ…

「気分屋的に生きれば気分は安定する」と諭された話

入院した末に双極性障害だと診断されて私は心底、ホッとした。病名が分かった以上、服薬を欠かさずに守っていれば、散々悩まされていた症状は、少なからず安定するだろうと…

そ・う・きょ・く・せ・い・しょ・う・が・い??

「倉田さんはうつ病じゃないですね。・・・双極性障害です。」 私が休んでいる間に主治医が見抜いた、私を長年にわたって苦しめていた本物の病巣。皆さんならば病気を宣告…

「休む事」を「鍵のかかった部屋」で改めて考えてみた話

窓の外には山が見える。でもここは旅館ではない。窓には格子が付いている。2月だと言うのに温かい毛布がある訳でもなく、洋服で調整してセーターを着込んでいる。御丁寧に…

鍵の奥の部屋の心優しき人の話

病院に行けば沢山の科があるが、「精神科」と聞いて一般の方は、どんな印象を抱くのだろう?「神経科」「心療内科」「メンタルヘルス科」など色々と呼び名はあるけれど、や…

入ってきて人生と叫び、出ていって死と叫ぶ。

精神科病棟の話を続けようと思って、あれこれと頭の中で考えていたら、或る有名な若手俳優の訃報が飛び込んで来た。色々と物申す御仁もいらっしゃるだろう。色々と物申すの…

精神科病院に入院してみた話②

他科での入院と違って精神科での入院は、簡単に言って3つのパターンがある。任意入院、医療保護入院、措置入院だ。私の場合は「任意入院」だった。もはや自宅に居てもどう…

精神科病院に入院してみた話①

「倉田さぁ~ん!御飯ですよ!」 ウトウトしかかっていた。でも看護師さんの言葉にふと我に返る。・・ここは我が家じゃないんだ。目の前には御飯、焼き鮭、モヤシの和え物…

「自分探し」をそれなりに考えてみる

カナダの西海岸、バンクーバーという街がある。太平洋を隔てて遥か向こう側には、この日本がある。その近郊のバーナビーという町で、暮らしていた事があった。バンクーバー…

最終的に病気が判明し、何故か安心した話。(精神科)

「我々としては最大でも3か月迄しか、面倒は看れませんよ」と言われた精神科病棟には、結果として2か月間、御世話になった。今にして思えば「自動車みたいな巨大な機械が修理に出されていた」程の感覚でしかないが、自分から入院した癖に、比較的に症状が落ち着いたら「もう自分は大丈夫です!タクシーを呼んで下さい!帰る!」と散々勝手を言い、駄々をこねて看護師を困らせたり、まぁ申し訳ない事ばっかりだったと思う。あの時

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「平服でお越し下さい」という案内に戸惑う中年男

「就職したらば、祝儀不祝儀の服は用意しておくように。」

こう書いていたのは、向田邦子の随筆だった。向田邦子の御父上からの言葉である。年相応に誰しもが、祝儀不祝儀を経験していくものだ。それだけ大人になったという証拠でもあるのだろう。したがって冠婚葬祭の場での振る舞いは、或る程度、濃淡の差はあっても皆が知っている。

つい最近、お付き合いのある組織の御偉方が鬼籍に入られ、落ち着いたタイミングで偲ぶ会

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夜明けの精神科病棟で茶話会を試みる

この大量消費社会の中、消耗品はその役割を終えると買い替えの対象となる。衣服も家電も自動車も然りだろう。

でも身体の場合はそうはいかない。「心」ならば余計にである。自分で飛び込んだ海だ。沈むなら沈むだろうし、浮き上がれるのならきっと浮き上がれるだろう。そう思って精神科病棟の海に、自分から飛び込んだ。自死も出来なかったし、運命がドン底ならばこれ以上は落ちる事はないと思ったから。

病棟の朝は早い。7

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精神科病院に入院してみた話③

「貴方がここでやるのは、休む事です。」

鍵の付いた部屋で言われた私は、本当にどうして良いか迷っていた。戸惑ったという方が正確かもしれない。そして入院が決まった段階で、主治医は「3か月以上は面倒を看ませんからね」と言われていた。つまり「入院生活は長くても3か月です」という意味だ。前にも書いたように「入院希望」をしたのは自分。でも患部が見えないのもあって、長期入院も覚悟していた。でも「最大で3か月」

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「自分を受け入れる」ということ。

私は精神的な障害というか病を背負っている。だからと言って湿っぽい話もしたくはないし、同情されたいとも思わないので、徒然なるままに淡々と書こうと思う。

発病というのだろうか、初めて病がやって来たのは約20年前。新社会人の時のストレスが引き金だった。誰しもがストレスは持っているし、それを上手にコントロール出来れば良かったのだろうが、私は結果としてそれに失敗。サラリーマン生活にも失敗。どんどん病をこじ

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パリジェンヌが異国で毅然と教えてくれた事

パリジェンヌが異国で毅然と教えてくれた事

今でこそそんな熱はないが、「自分探し」という名の熱に侵されていた若い頃に、私は日本から遠く離れた異国の地で、それに熱中していた事があった。日本では得られない経験を積みたい・・・そう思った私はフランス語漬けの日々を当時送っていた。若さ故のエピソードである。

大学時代に勉強はしていたけれど、フランス語の学習は辛いものがあった。何せ日本語とフランス語は「全く違う世界の言語」に感じられたからだ。同級生の

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ミャンマーに着くや否やビックリした話。

ミャンマーに着くや否やビックリした話。

夕暮れのバンコクから1時間あまりでヤンゴン・ミンガラドン国際空港に着陸した。もうすっかり日が暮れていた。涙は乾いていた。他の乗客と共にボーディングブリッジからターミナルビルへ進む。入国審査場では「ミャンマー人と外国人その他」にカウンターが分けられるのだが、日本語を話す大学生位の若者の一行がミャンマー人用の列に並んで係員に咎められていた。見ていて微笑ましい。外国人用の列に並んでカウンターでパスポート

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「我が家の戦後」がやっと終わった話①

今、NHKの朝ドラでは「昭和を代表する作曲家」の戦争時代の話が放送されているらしい。私はTVを観ないのだがネット等で反応は見聞きする。

我が家も実は「戦没者遺族」だ。御先祖様の遺影の中に「軍服姿の若者」が居る。実際に会った事はない。何故ならその若者は日本の遥か彼方で散華してしまったからだ。遺影の中には「当事者の家族」が並んでいる。しかしながら生前、私がその事について全く本人達から聞いた覚えがない

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「気分屋的に生きれば気分は安定する」と諭された話

入院した末に双極性障害だと診断されて私は心底、ホッとした。病名が分かった以上、服薬を欠かさずに守っていれば、散々悩まされていた症状は、少なからず安定するだろうと思ったからだ。実際に「私の躁の部分」、気分が矢鱈にハッピーになってテンションが爆上がりし、不眠不休になって喋り続けたり、お金を借りまくって使いまくる形ではなく、心の中ではいつも不快で不機嫌で、まるで活火山をいつも持っているような・・・「どの

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そ・う・きょ・く・せ・い・しょ・う・が・い??

「倉田さんはうつ病じゃないですね。・・・双極性障害です。」

私が休んでいる間に主治医が見抜いた、私を長年にわたって苦しめていた本物の病巣。皆さんならば病気を宣告されて、如何思われるだろうか?正直な所を言うと、「双極性障害って何?」という疑問もあったが、取り敢えずは長年の懸案が払拭されて安心した。今までは「重度のうつ病です」と言われて、抗うつ剤を飲んでいるにも関わらず、全く薬の効果が出なかったから

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「休む事」を「鍵のかかった部屋」で改めて考えてみた話

窓の外には山が見える。でもここは旅館ではない。窓には格子が付いている。2月だと言うのに温かい毛布がある訳でもなく、洋服で調整してセーターを着込んでいる。御丁寧にここは夜の10時が消灯時間。冷え冷えする部屋だ。

「倉田さんの目標はしっかり休息する事です。」

そう主治医から言われてしまい、禅問答のようでただ、困惑するしかなかった。枕元の私の名札には「睡眠チェックシート」と「入院目標」とやらが書き込

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鍵の奥の部屋の心優しき人の話

病院に行けば沢山の科があるが、「精神科」と聞いて一般の方は、どんな印象を抱くのだろう?「神経科」「心療内科」「メンタルヘルス科」など色々と呼び名はあるけれど、やっぱりネガティヴな印象なのだろうか。

自分も発症する迄はそうだった。だから世間の印象は多少分かる。ただ時代が進むにつれて、ストレス過多な時代がずっと続いてきた。ただ他科と違って患部が見えない。大概の治療では患部はレントゲンなりCTなり内視

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入ってきて人生と叫び、出ていって死と叫ぶ。

精神科病棟の話を続けようと思って、あれこれと頭の中で考えていたら、或る有名な若手俳優の訃報が飛び込んで来た。色々と物申す御仁もいらっしゃるだろう。色々と物申すのは勝手ではあるが、一端に物申すにも礼儀作法は守らねばならないし、同時に品位をも欠いてはならないと思う。

誰しもが「自分の人生に嫌気が差す事」は絶対にある。人生が順風満帆では決して無いし、むしろ「苦労が絶えない人生」が多かったりする。勿論、

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精神科病院に入院してみた話②

他科での入院と違って精神科での入院は、簡単に言って3つのパターンがある。任意入院、医療保護入院、措置入院だ。私の場合は「任意入院」だった。もはや自宅に居てもどうしようもない、家族も私の扱いに疲れてしまってどうしようもなかった。横になって死ぬ事ばかりを考えていた。ここまで行けば何処に居ようがドン詰まっている。追い詰められた私も家族も、切る最終カードは「入院治療」しかないと、入院出来る精神科病院を紹介

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精神科病院に入院してみた話①

「倉田さぁ~ん!御飯ですよ!」

ウトウトしかかっていた。でも看護師さんの言葉にふと我に返る。・・ここは我が家じゃないんだ。目の前には御飯、焼き鮭、モヤシの和え物、味噌汁の御膳が運ばれて来た。食欲はあまり無い。でも子供時分からの性分からか全て頂く。病院食にしては美味しいのだが、あまり美味さや有難みは感じられない。否、感じる余裕すらない。

「私、何したら良いんですかね?」

御膳を運んで来た看護師

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「自分探し」をそれなりに考えてみる

カナダの西海岸、バンクーバーという街がある。太平洋を隔てて遥か向こう側には、この日本がある。その近郊のバーナビーという町で、暮らしていた事があった。バンクーバーという街は魅力的だが不思議な街で、半分以上は「アジアに浸かっているような街」だった。実際に香港からの移民が多くて「ホンクーバー」とも言われていたし、バンクーバーの中心街には韓国や日本の食材屋やスーパーがあった。今はなくなったそうだが日本の本

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