精神科病院に入院してみた話①

「倉田さぁ~ん!御飯ですよ!」

ウトウトしかかっていた。でも看護師さんの言葉にふと我に返る。・・ここは我が家じゃないんだ。目の前には御飯、焼き鮭、モヤシの和え物、味噌汁の御膳が運ばれて来た。食欲はあまり無い。でも子供時分からの性分からか全て頂く。病院食にしては美味しいのだが、あまり美味さや有難みは感じられない。否、感じる余裕すらない。

「私、何したら良いんですかね?」

御膳を運んで来た看護師さんに訊いてみた。すると・・・

「何をしたらって言われてもねぇ。ただゆっくりしてたら良いんですよ。」

そうなんだ。ここは病院なんだ。家事をしなくても仕事に追われる事もないんだ。尤も部屋の中にはTVは無いし、携帯電話は自宅に置いて来ているので、連絡の仕様がない。

部屋にTVがないと聞いて???と思った方もいらっしゃるだろう。大概の病室にはTVがあるから。退屈だと思えばイヤフォンをTVに差し込んで、放送を愉しむ事も出来る。しかしここにはそれが無い。

ここは精神科専門病院の病棟。出来るだけ外部の騒音を排除すべく、TVも無ければ携帯電話の持込も禁止されている。「●●さん!何回言ったら分かるの!携帯は持込禁止って言ってるでしょ!」こんな声もたくさん目にしたし、耳にしたものだ。

ハッキリ言って私は新社会人の生活に挫折した。「超氷河期世代」として慣れぬ革靴と、リクルートスーツに身を固め、片っ端から履歴書を送りまくり、会社説明会に顔を出した。しかし非情なもので採用の枠は狭く、自分の親しい大学の先輩に至っては、就職口を見付けられぬままに大学を出てしまっては「圧倒的不利」になるからと、1年、卒業を延期したケースもあった。私も100社近くを受験して、内定を唯一貰ったその会社に意気揚々と入社したが、途中で「重度のうつ状態」に陥って結果、会社を辞めざるを得なくなった。東京から実家への「都落ち」、私の自尊心はズタズタに切り裂かれた。今でこそ「うつへ対する理解」はあれど、私の時代は「精神論」が幅を利かせていた。つまり「うつになる=お前の根性が軟弱=気合で治る=自己責任」という論理が堂々とまかり通っていた。こう言われてしまえば本人は非常に辛い立場に置かれる。当時の上司などは・・・

「あぁ、そりゃ知恵熱みたいなもんだね。」

と私の体調を一笑に付した。今でもそんな風潮があるのかもしれないが。

兎に角、巡り巡って時間も流れて、精神科病棟へ入院という事になったのだ。人生には「様々な潮目」があると思うし、良い事もあれば悪い事もあるのは、誰しもがそうだろう。

我が人生にとって初めての入院、それは窓枠に格子が付いた部屋で過ごす事だった。いつ退院するか分からない、患部が見えていないからどうして良いか分からない。

「人生のどん底」に居るような気がした。身体は鉛が入ったように動けない。動きたくない。兎に角、眠り続けるしかなかった。否、ただ眠りたかったのだ。ガチャガチャしている世間から、一線を退いた静かな場所で単純に黙々と。

最早、疲れ果てていたのかもしれない。勿論、同時に生き詰まったのだが。

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