精神科病院に入院してみた話③

「貴方がここでやるのは、休む事です。」

鍵の付いた部屋で言われた私は、本当にどうして良いか迷っていた。戸惑ったという方が正確かもしれない。そして入院が決まった段階で、主治医は「3か月以上は面倒を看ませんからね」と言われていた。つまり「入院生活は長くても3か月です」という意味だ。前にも書いたように「入院希望」をしたのは自分。でも患部が見えないのもあって、長期入院も覚悟していた。でも「最大で3か月」という医師の言葉に、疑いを持ったのも正直あった。何故か?・・・3か月で片付かない位に、鬱状態に苦しめられていたからだ。私だけではなく家族を含めて。私は苦しめられ追い詰められていて、家族は「私の取扱い」に疲れ果てていた。

「最大で3か月時間をくれ」、言い換えれるならそう言ったベテランの精神科医の言葉に、全てを賭けようと思ったのだった。清水の舞台から飛び下りる覚悟で。

私が抑うつを感じ始めたのは、新入社員の1年目。一端の大人なら前途洋々のスタートの時代。会社は東京タワーが良く見える港区のビル、そこから30分圏内の場所にアパートを借りて、私の社会人生活は始まった。今、考えてみればフレッシュマンとしての意気込みもあったし、気負いもあったと思う。上役から「日経新聞を毎日読め。すると経済が何か?が分かるようになる」と言われた事もあって、自宅の最寄駅のキオスクで毎朝日経新聞を買い、会社へ行く通勤ラッシュの間や、帰宅する電車内でも読み、早く現実社会に溶け込もうとしていた。

気負えば気負う程に、真面目に受け止めるのだろうか。疲れが取れなくなって来た。当たり前だが新社会人の住まい、下町の安アパートである。ユニットバスではゆっくり湯船に・・・という訳にも行かない。疲れが取れない、翌日にも持ち越してしまう。

「おかしいな」と思いつつ普通に会社へ行くのだが、疲労感は取れるどころかドンドン、雪国の大雪のように積もっていく。慢性疲労から今度は睡眠がおかしくなっていった。不眠である。あれだけ仕事でクタクタなのに、一向に眠気が来ない。寝る時間になっても目は爛爛としている。結局、睡眠の量も質もグングン低下していった。そうなると体調は総崩れになって、抑うつ感も出て来た。「会社へ行きたくない」という思いが、頭の中に充満するのだ。すると思考力や判断能力が格段に鈍って来た。注意力散漫に陥った。

自分でも「おかしい。絶対におかしい」と思い始めた。寝たら元気になる、休めば体調が回復するのに、それが全くない。でも周囲から見れば「それは単なる怠けで誰でもある事さ」と、きっと言われるに違いない。

病院へ行かねば!

咄嗟に思ったが「何科」へ行ったら良いのか、分からない。当時はネット全盛では無かったので、会社の休憩時間に本屋へ立ち寄り、健康医学のコーナーで本の内容から、どこへ行くべきかを探してみた。

それでも私は逡巡した。しかも会社が休みの日にしか、時間が取れない。もはや考える余裕すら無かったが、通勤途中にある大学病院へ行こうと考えた。大学病院なら沢山の科がある。受付なり総合案内で「何科へ行けば良いか?」を教えて貰おうと考えたのである。

土曜日の朝、私は都内の或る大学病院に居た。総合案内で自分の症状を伝えると、〇階の精神科へ行って下さいと言われた。不思議な事に記憶が曖昧なのだが、初診の段階で「重度のうつ病です」と言われて、薬を貰った事は覚えている。

入院生活もリハビリも何とかやり切って、ふと周囲を見れば20年近くの時間が過ぎていた。浦島太郎の気持ちが分かる気がした。

・・・あれから20年。当時と比べて今はかなり元気を取り戻した私だが、自分の中で住んでいたアパートのある街や、大学病院のあるエリアへは足を運ばなくなってしまった。勿論、「人生に於ける過去のお話」なのだが、後ろを振り返っても意味がないと思って。

#精神科 #入院生活 #生きる #うつ #エッセイ




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