そ・う・きょ・く・せ・い・しょ・う・が・い??

「倉田さんはうつ病じゃないですね。・・・双極性障害です。」

私が休んでいる間に主治医が見抜いた、私を長年にわたって苦しめていた本物の病巣。皆さんならば病気を宣告されて、如何思われるだろうか?正直な所を言うと、「双極性障害って何?」という疑問もあったが、取り敢えずは長年の懸案が払拭されて安心した。今までは「重度のうつ病です」と言われて、抗うつ剤を飲んでいるにも関わらず、全く薬の効果が出なかったからだ。ハッキリ言って「通っている医者が藪医者か?」とも思った。うつ病の薬を飲んで症状が改善しないなら、何の意味も無かったから。だからこそ入院生活を私は選択したのだった。

「休む事が貴方の目標」と言われ、バカ正直に考えていた訳だが、私なりに調子が良くも悪くも「ありのまま」で居る状態、私の一挙手一投足をスタッフは電子カルテに書き込み、主治医はそれを医局で読みながら、本当の病名は何か?を名探偵のように、時間を掛けてゆっくり探っていてくれた訳だ。これは「3分診察」では絶対に有り得ない事でもある。

鬱々とした気持ちだけではなかった。「死にたい」と湧き出る思い、「お金がない!」と絶望してしまう思い、素人ならば「貴方の考え過ぎ」で終わってしまうのだが、ちゃんと「希死念慮」「貧困妄想」という症状だと分かった。

また不思議な事に主治医は、よく当たる占い師のような事を言い始めた。「倉田さんは学生時代に虐められた事はありましたか?」「御家族の中に同じようなメンタリティーの方はいらっしゃいますか?」どちらの質問もYESと答えたら、「ああ、やっぱり。」・・・・一体全体、どういう事だ!?

「双極性障害ってどんな病気ですか?」と訊くと、昔は「躁うつ病」と言われていた病だそうな。ここで私の頭は更に混乱した。何故か?素人なりにイメージした「躁うつ病」のプロトタイプに、私も範疇に含まれるなんて予想だにしなかったからだ。

例えば・・・私が好きな作家に北杜夫が居る。「マンボウシリーズ」はよく読んでいた。北杜夫自身は作家である前に精神科医でもあり、躁うつ病患者でもあったから、彼のハチャメチャな日常は読者として、興味深く拝読していた。躁になれば友人や出版社から多額の借り入れをして、株につぎ込んだかと思えば、鬱が襲って来て大人しくなる。「異様で極端な二面性を持つ病気」だと感じた。まさか自分がその病だとは思ってもみなかった。

私は一晩中眠らずに喋り続けた事もないし、家族には迷惑を掛けている自覚はあるが、借金をたくさんして大散財・・・という事もない。確かに鬱には苦しんでいるのだけれど、北杜夫のような躁の意識は自覚していない。

「倉田さん。倉田さんは一気に不機嫌な気持ちが爆発したり、急にスイッチが入って怒りが爆発する事はありませんか?」

私は正直ギクリとした。その通りだからだ。「それが貴方の躁なんです」

誰しもブチ切れる瞬間はあると思う。私もブチ切れるのだが、その怒り方が尋常ではないらしい。しかしこれは父もそうだし、祖母もそうだし、遺伝的な物だと思っていた。心の中に噴火しそうな山があって、何かの拍子にマグマが沸き上がって出てしまう・・・それは表現するのも難しいのだが、最近流行りの「アンガーマネージメント」では、到底、収まりようもない。

結局、薬は「抗うつ剤」から「気分安定薬」という薬に変わった。最初は不安定だったが「気分安定薬」が、私の身体というか「精神に指令を出す脳味噌」には効果てき面だったのだろう。次第に「沸々とマグマのように沸き立つ行き場のない不機嫌な怒り」も、様々な症状もさざ波のように静まっていった。

うつ病と躁うつ病は、全く違う病気ですと説明を受けた。確かに誰でも鬱になってしまう時代、これだけうつ病が社会に広く認知される時代だが、躁うつ病は全く違うアプローチで治療しなければならないそうな。

「貴方が認めたくないものは何ですか?それを認めれば道が開けます」

「テレフォン人生相談」のパーソナリティーである、社会学者の加藤諦三氏の言葉である。認めたくはないけれど、敵の正体が明らかになった以上は認めるしか道はない。

しかし「双極性障害」と告知された時、全身の筋肉が弛緩するような、ホッとした気持ちになったのは覚えている。「正体不明」な症状、私の身体に悪さをする敵がやっと分かったからだ。

ああ、自分で腹を括って入院して良かったのだ・・・と。

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