最終的に病気が判明し、何故か安心した話。(精神科)

「我々としては最大でも3か月迄しか、面倒は看れませんよ」と言われた精神科病棟には、結果として2か月間、御世話になった。今にして思えば「自動車みたいな巨大な機械が修理に出されていた」程の感覚でしかないが、自分から入院した癖に、比較的に症状が落ち着いたら「もう自分は大丈夫です!タクシーを呼んで下さい!帰る!」と散々勝手を言い、駄々をこねて看護師を困らせたり、まぁ申し訳ない事ばっかりだったと思う。あの時に御世話になった病棟の看護師さんには、唯々感謝しかない。お恥ずかしい限りだが、入院しているのだからあの時の私は正気でなかったよなぁと、振り返っても自分の話だが冷静に思う。その2か月の間に、私の精神的な面を精密に24時間体制で精神医学のプロに、徹底的にチェックして貰えたのは、本当に有難かった。普通ならば3分か5分診療で、診察は終わってしまうのだから。

結局、私に付いた最終診断名は「双極性障害」なのだが、不思議な話かもしれないが今の主治医からは他科の医者のように、「あなたの病名は〇〇ですよ」と宣告された訳ではない。今もそんなシーンがあったかは記憶にないし、未だに言われた事はない。但し第三者機関に対して診断書を作成して貰う際には、そう書かれてある上に、私が欠かさず飲んでいる薬の適応症はそれである。世間では「気分安定薬」と言われる薬である。

私としてはショックでも何でもなく、私を蝕む正体不明の病がやっと分かってホッとしたのが、率直な所であった。つまり、「正体不明の何か」に悩まれる事はもうなく、「敵の正体」がハッキリした以上、その対策を練れば怖くないと感じたのだ。でも意外性もあった。一昔前には「躁鬱病」と呼ばれた病気である。一番最初に思い浮かんだのは「ドクトルシリーズ」を書いた故・北杜夫だった。歌人で精神科医だった斎藤茂吉の次男であり、自身も精神科医でもあり、兄上は「モタ先生」として有名だった作家で精神科医の故・斎藤茂太氏・・・そんな家庭環境を持つ物書きの日常は、どこか破天荒。しかし私にはそんな気質はない。ジェットコースターのように気分が高揚し、株を買い漁って作家仲間に借金の打診をするエピソードを聞くと、全く無関係に思わざるを得なかった。でも精神医学のプロである主治医は、2か月の入院の末にこの結論を導き出した。私は精神科のプロではない。その「海千山千の精神医学のプロ」に対して「自分の調子が良い悪い」と、あれこれ伝える患者としての側である。

しかし躁鬱に関して「もう1つのタイプ」があるらしい。ハッピーな躁があるとすれば、アンハッピーで不機嫌な躁、火山で噴き出すマグマのように、じっとしていられない突き上げる不機嫌な高揚感・・・癇癪持ちのように些細な事にイライラし怒鳴り散らして喧嘩っ早い。私はアンハッピーな躁をずっと持ち歩いているのに、ようやく気付いた。楽しく本を読みながら、ドクトル先生とは違う世界に居ると思っていたのだが、やっぱり同じカテゴリーに私も居たのだ。

躁鬱の患者が怒っているとする。その怒り自体は支離滅裂ではなく、内容も理解出来るけれど、その「怒りやすさ」「怒りの程度」「攻撃性」が異常なのだ・・・

私の中に内在する困ったちゃんは、これである。占い師ではないがピタリと言い当てられたような気がした。

そしてもう1つ、言い当てられた事がある。

「躁鬱気質の人は気分屋である」

という事だ。その通り、私は自分でも認める程の「気分屋」だ。こればかりは直そうと思っても、なかなか直らない。しかしこの点では主治医から、ハッキリと伝えられた一言があった。

「これは病気だと自分で思わないで、体質だと思って下さい。」

病気じゃなくて体質なんだ・・・そう言われて更に身体は楽になった。

最初に精神科を受診して10年余、最初に飲んでいたのはパキシルという薬だったが、薬を抗うつ剤に変えても、全く症状は変わらず逆に悪化するばかり。

今は気分安定薬を飲んでいる。大荒れだった波はピタリと止み、静かになった。鍵穴と鍵がピタリと合ったような感覚だった。詳しい事は分からないが、薬が合うという事は、私の病巣を薬がちゃんと叩いているのだろう。

退院の日は予告なくやって来た。緊急に入る患者さんと入れ替わる形で、私は自宅へ帰された。「主治医からの退院の一声」に私が戸惑う中、スタッフは全てを心得ているかのように、私の荷物を1つにまとめていった。

退院してからは、気分屋の私は「デイケア」とやらへ通う事になった。

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