「自分を受け入れる」ということ。

私は精神的な障害というか病を背負っている。だからと言って湿っぽい話もしたくはないし、同情されたいとも思わないので、徒然なるままに淡々と書こうと思う。

発病というのだろうか、初めて病がやって来たのは約20年前。新社会人の時のストレスが引き金だった。誰しもがストレスは持っているし、それを上手にコントロール出来れば良かったのだろうが、私は結果としてそれに失敗。サラリーマン生活にも失敗。どんどん病をこじらせてボロボロになり、最終的には実家へ戻って、地元の精神科病棟へ自ら助けを求めて飛び込んだ。

今は治療が功を奏して病が確定し、薬がピタッと合ったようで(それでも体調の波はあるが)、毎月1度の通院で済んでいる。

退院後はデイケアにも通ったし、障害者の就労支援施設にも御世話になった。コミュケーションの取り方から病との接し方まで、色々な事をあれこれ学んだのだが、その中でも私1人では気付けなかった事があるのに気が付いた。それは・・・

「自分の病を受容する事」

簡単に言えば「自分の病を受け入れる事」、もっと広げて言うならば「自分を受け入れる事」、これをする事で私自身が随分楽になった気がするのだ。

自分の心の中で良い面でも悪い面でも「葛藤」する事がある。それ自体は全く悪い話ではないのだが、「葛藤」が「執着」に変わっていくと、随分と苦しい思いをする。

何故、自分だけが・・・?

ポジティブなら結構なのだが、この「葛藤」がネガティブになった時ほど、勝手に他者と比べて凹んだりして、身体も心もドンドン悪化していく。私の場合は長年葛藤し執着して、その度に体調に翻弄されていたのだが、色々な思いをプラスマイナス問わずに受け入れようと思ってから、徐々にではあるが落ち着いてきた感じがする。

それは私の周りにふと目をやった時、同じように社会で散々傷付いて病院に助けを求めてやって来た人達を見て、私が気付かされた事であるような気がする。

この現代社会では「お互いに傷付ける事で誰かと繋がろう」とする人も居る。精神科で出会った患者さんは私も含めて、そんな人たちだ。

自分の病気の事、もっと深く言えば自分自身をあるがままに受け入れる事。勿論、それが決して楽な作業ではない事は、私自身が身に沁みて痛感しているのだが、それこそが自分が変われる、或いは変わろうとする最初の一歩だと私は信じている。

自戒を込めて言うと、それが出来るなら我々人間はもっと楽に生きられるのに・・・と過去を振り返りつつ、ふと思うのだが。

#生きる #精神科   #うつ #双極性障害 #エッセイ

#一人じゃ気づけなかったこと

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