鍵の奥の部屋の心優しき人の話

病院に行けば沢山の科があるが、「精神科」と聞いて一般の方は、どんな印象を抱くのだろう?「神経科」「心療内科」「メンタルヘルス科」など色々と呼び名はあるけれど、やっぱりネガティヴな印象なのだろうか。

自分も発症する迄はそうだった。だから世間の印象は多少分かる。ただ時代が進むにつれて、ストレス過多な時代がずっと続いてきた。ただ他科と違って患部が見えない。大概の治療では患部はレントゲンなりCTなり内視鏡で見える。しかし精神科はそうはいかない。精神科医は「診察室での何気ない会話や患者の表情」などを察知して、どんな病気かを探っていく。或る意味では凄い仕事だなと思う。しかし精神科医も人間。このストレス過多な時代で精神科の敷居も低くなった分、外来は患者が多くなった。所謂「3分診察」で誰がどんな病気か?を探るのは容易な事ではない。私が入院したのもそこが大きかった。私を自動車に喩えるならば、メンテナンスは欠かさないものの、ずっと全体的に不調が続いている。これでは埒が明かないので、しっかり徹底的に診て貰い「どこが悪いのか?原因は何か?」を明らかにしたい・・・だからこそ自発的に私は入院したのだ。

入院してみれば精神科の領域が広い事が分かる。昔から多かった患者さんは精神分裂病と言われた、統合失調症。御存じない方の為に簡単に言うと「幻聴や幻覚」に悩まされ苦しめられる病気だ。入院施設は「社会隔離的役割」をずっと担って来たのは否めない。しかし今は抑うつや不眠の患者さんが爆発的に増えた。私もその1人。

入院していた時に或る患者さんと仲良くなった。髭が似合う50代のオジサン。何処にでも居そうな人で一見すると「どこが悪いの?何で入院してるの?」と言えなくもない。幻聴や幻覚に苦しめられている様子ではないし、鬱々としている様子でもない。仲良くなるにつれ御本人から話を聞いてみると具体的に分かって来た。アルコール依存症だという。よく世間では「アル中」などと言われるけれど、私には初めてそんな病気を知った。

アルコール依存症・・・「お酒さえ呑まなければ良い人なんだけど」という言葉がピッタリかもしれない。どんどん酒量が増えていって、自分でコントロール出来なくなる。生活習慣もそうだが最悪になれば、大事な家族関係すらも破綻してしまう。「私には無関係」という訳でもないようで、誰でも成り得る病気だそうな。その人曰く「抗酒剤」という薬を飲みながら、依存症なので同じ依存症に苦しむ人と繋がって、お酒の誘惑を絶つ誓いを立てるそうだ。

「随分と家族を泣かせたからね。もう泣かさないって決めたんだ。」

昔はトラック野郎だったというその人は、喫煙所で一服しながら優しく微笑んだ。病院で見た人の中で、一番穏やかな表情をしているように見えた。一服したら病棟へ戻り、朝になって病棟の施錠が解かれると、真っ先に喫煙所へ向かう・・・ジョークも言って場を和ませて、実にお茶目な人だった。

そんな人だったが一度、病院から大目玉を喰らった事がある。印象深かったので記しておきたい。その人は「病院外への外出許可」を事前に貰っていた。「自分が住む地域での断酒会(アルコール依存症の患者さんが回復する為の相互支援・自助グループ)に参加する為に自宅へ帰るから」という事だった。

「久し振りの我が家ですね。ゆっくりして下さい。」

私がそう声を掛けると、右手をサッと上げて反応した。きっと奥さんは勿論、子供さんに会えるのが楽しみなのだろう。そう思った。我が家ほど心休まる場所はない。

その日の夕方、夕食が終わり病棟の施錠がされる頃合いになると、妙にナースステーションが騒がしい。「気にしないで下さいね」とは言われたが、パニック状態になっているようにも思えた。何もない時の様子とは明らかに異なる。

あと1時間ほどで消灯時間となる頃、スタッフに付き添われてその人が戻って来た。外出する時とは真反対に大人しく、まるで借りてきた猫。

翌日、訊いてみた。「昨日はどうしたんですか?あんな遅い時間に?」

「いや、外出したのは良いけど、俺は外泊だと思ってたんだ。そしたら外出許可だから戻って来なきゃいけなくなってさ。家で寛いでいたけどスタッフが迎えに来て、連れ戻されたよ。参っちゃうよなぁ!」

成程。ナースステーションがパニックになっていたのが分かった。「脱走された!」と思われていたのかもしれない。つかの間の我が家での団欒は、途中で終了になってしまったようだ。「ウチでも酒、呑んでないのにさ。」

この方は私よりも早く退院した。「ここへ戻って来たらダメですよ!」と言う私の別れの言葉を聞きながら、面映ゆいのか照れたような顔をして、破顔一笑で病棟を後にした。

それ以来、その方と会っていない。きっと酒の誘惑に負けずに、前へ進んでおられるだろう。

俺は散々家族を泣かせた、だからもう泣かさない。

優しい人を支える原動力は、愛する家族と凛とする言葉だろう。偏見が世間にあろうとも鍵の奥の部屋にいる人は、こういう心優しく社会で傷付きまくった人達ばかりなのだ。

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