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パリジェンヌが異国で毅然と教えてくれた事

今でこそそんな熱はないが、「自分探し」という名の熱に侵されていた若い頃に、私は日本から遠く離れた異国の地で、それに熱中していた事があった。日本では得られない経験を積みたい・・・そう思った私はフランス語漬けの日々を当時送っていた。若さ故のエピソードである。

大学時代に勉強はしていたけれど、フランス語の学習は辛いものがあった。何せ日本語とフランス語は「全く違う世界の言語」に感じられたからだ。同級生の中でブラジルやコロンビア・ベネズエラ(当時のベネズエラは裕福な国だった。社会主義の独裁政権になって南米でも唯一の最貧国になったが)出身の子は、一緒に学んでいても私の遥か先を進んでいる。何せ彼等の母語であるポルトガル語やスペイン語は、フランス語と同じ「ラテン語」。アドバンテージがあるのも無理はない。歴史的経緯も踏まえれば英単語の7割程度は、フランス語からの借用なので「英語が分かれば」という淡くて甘い期待もあったが、無残に消えていった。とどのつまりは「一歩一歩、地道にやるしかない」と悟ったのだ。

We have to learn the hard way. (苦労して覚えるんだ)

フランス語の授業では一切、英語での質問を先生は受け付けない。実に「愛国的」と言うか「意固地」と言うか。メモを取り板書を書き写して、日本から持参した仏和辞典で意味を調べ、休憩時間にクラスメートに英語で質問をして・・・の毎日。

そんな中、先生の中にパリ出身の小柄な女性が居た。いつも小綺麗なファッションで、ブランド品を身に付けている訳でなし、化粧も同世代の日本女性に比べれば派手ではない。フランス人女性は日本女性に比べてアンダーステイトメントだと感じた。

そんな彼女の授業で「イスラム教」の話が飛び出した。折しもアメリカでは9・11の大きな爪痕の後、世界中を巻き込んで中東の国をグチャグチャにしていた。生徒の中にはアメリカ人も居て、クラスの雰囲気が「イスラム教=邪悪な存在」のようになりつつあった。人間の心理とは得てして、「知らぬものは時に恐ろしく感じるもの」かもしれない。

教室の雰囲気を感じ取った先生は、フランス語でサラリとこう語りかけた。

「世界中で最も多くのイスラム教徒がいる国は何処か御存じ?」

我々は一瞬、ポカンとしてしまった。ヒソヒソ声で色々な国を列挙し始めた。イラク?イラン?エジプト?サウジアラビア?頭の中でアラビアやペルシャの国を並べてみても、世界一の人口が居るとはとても思えない。

するとその先生はピシャリとこう言った。

「皆さんはイスラムと聞いただけで、テロリストの集団だとか危ないんじゃないかと思っているかもしれないわね。世界で一番、モスリムが暮らす国はインドネシアです。そんな事情にも思いを致さずに、色眼鏡であれこれモノを言うのは感心しませんね。変に偏らずに自分の頭でしっかり考えなさい。そして世界に目を向けなさい。それが一番大事な事なんです。」

私は頭から冷水を掛けられたか、頭を強烈に殴られたような思いがした。インドネシアはフランスからは遠い。勿論、フランス社会にもイスラムの人や文化は入り込んでいるけれど(それはそれでフランスは悩みの中にある)、アジア人の私が物知らずでそんな一方的なイメージに捉えられていたのが、本当に恥ずかしくなった。

その授業から10数年が過ぎ、私はマレーシアを初めて訪れた。首都のクアラルンプールの中心部には、マスジッド・ジャメというモスクがあった。イスラム教のお寺さんだ。信仰の邪魔にならないように敷地に立ち入って、荘厳な雰囲気を感じていると、モスクのスタッフが話し掛けてくれた。私が日本人であり、観光客ではあるがイスラムを感じたいのでお邪魔したと伝えると、立派に装丁された英語版のコーランをタダで頂いた。

「日本語版があれば良かったんですけど、御免なさいね。」と。

私は丁寧に感謝して、心地好く流れて来るコーランの音に耳を傾けながら、あの先生の事を思い出した。多少は賢くなって喜んでくれるだろうか・・・と。

インドネシアには未だ行けていない。しかしきっとあの毅然としたパリジェンヌの言葉の重みを、インドネシアで身体で感じる事が出来る日も来るだろうと私は思っている。

灼熱の太陽の中、街中に響き渡るコーランの音が、妙に爽やかだった。

マレーシアから遠くフランスに思いを致した2年前の春。

#エッセイ #イスラム教 #フランス #フランス人 #フランス語 #忘れられない先生

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