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#生き方
死ぬことすらできない辛さ 13 〜退院当日 前編〜
進行方向と逆向きだと酔う人いますよね。
平坦な線路上でも気持ち悪くなるのに、坂や凸凹道で上下運動も加わったら拷問に近いと思いませんか?
同じことに耐えられる人って居るのかしら。
介護タクシーから降ろされて家の中へ。
やっと帰って来られました。
自室のベッド上に移動し、姿勢を整えてもらう。
あー、やっぱり我が家が一番いいわ・・・。
気持ち悪いのを抑えながらも寛ごうと思ったが、ベッドの周り
死ぬことすらできない辛さ 12 〜退院が決まった〜
在宅の相談員さんがついに朝早くから来てくれるA訪問看護事業所と吸引ができるヘルパーさんを見つけてくれた。
在住の県ではなく隣県の事業所にまで声をかけて。
ありがとうと思うよりも遅かったわねの気持ちが強い。
1か月以上待っていたのだから仕方ないでしょ。
毎朝早く来てくれ、点滴や吸引のために朝・昼・夕と1日3回の訪問。
お昼は誤嚥性肺炎を起こしやすいから食事介助と口腔ケアをしてもらいたいと思
死ぬことすらできない辛さ 4 〜発症して5年〜
発症してどれくらいかは忘れたけど、足先に力が入らなくなった。
おかげでスリッパがすぐに脱げるようになったのは覚えている。
躓きやすく転びやすいのにスリッパを履くなとのツッコミは受け付けておりません。
2〜3年もすると徐々に脚に力が入らなくなった。
壁やタンスにもたれて掴まりながら歩く。
よく転んでおり、家の中を這いずって移動することもあった。
寝室は二階にあるため、起きてお弁当や朝食の準備で
死ぬことすらできない辛さ 3 〜決意を胸に〜
結婚生活も早3年。
いつもと変わらない毎日を過ごしている。
休日は家にいることが多いけど、久しぶりに旅行に行った。
温泉旅館に泊まってゆっくりとして帰ってきた時、段差のない所で躓いた。
楽しい旅行も帰って来ると疲れが出る。
そう思って気にしなかった。
しかし、次の日も躓いた。
その次の日も
嫌な記憶が蘇って来た。
兄も同じようによく躓いていた。
医師から検査をするように言われていたの
死ぬことすらできない辛さ 2 〜複雑な結び〜
兄は相変わらずよく転んでいるけどご飯は自分で食べられている。
急激に筋力が低下する訳ではないけど、母は兄の世話をする覚悟を決めた。
医者に言われたことを忘れることは出来なかったけど、今を楽しく精一杯生きていこうと思うようにした。
お酒の飲み比べでは負け知らず。
煙草も吸った。
大きな声では言えないけど、クラブで踊った後に彼氏以外の男と楽しんだりも。
ふふふ・・・
もちろん旅行にもよく行