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大学生の哲学と哲学的思索

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記事一覧

ポッチャマとエンペルトって、違うじゃん

ポッチャマとエンペルトって、違うじゃん

ポケットモンスターのダイヤモンドとパール(通称ダイパ)が、「ブリリアントダイアモンド」と「シャイニングパール」としてリメイクされるという知らせに浮かれていた。アルセウスがメインであるポケモンシリーズも発売されるらしいから、6年ぶりくらいに本格的にゲームを買おうか悩んでる今日日。でも、ゲーム得意じゃないし、時間持ってかれそうだから、結局買わないかもしれないね。

選んだ最初のポケモンはナエトル。ヒコ

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賢いやつでも、真面目な人間でもなくサーモグラフィーみたいなバカでいたい

賢いやつでも、真面目な人間でもなくサーモグラフィーみたいなバカでいたい

熱にうかされる。という言葉がどうも気になるようになった。それは何故か、最近見るところ、学ぶところ、読むところで何故か共通しているようなもの。夢について本を読んでいる。哲学の授業を受けている。もしくは、人間の生そのものについて考えている時か。或いは作品を作る人の言語化できない部分について触れている時とか。

不思議なことがあるのだなと、最近思うようになった切欠でもあるのだが、全く関係の無い様な分野の

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過程の中の...

過程の中の...

終わり良ければ総て良し、といったか。なら、この生が良しとされることはありえないことになる。終わりという終わり、或いは始まりという始まりは、十全な、完全なる、唯一無二の、真の終わりや始まりではなく、ただ過程に中に布置されているだけの虚構なのではないか。

今ワタシは生きている。いつの間にか生まれて、いつの間にか自意識が反射的に芽生えていて、いつの間にか死に向かっている。人間は、いやあらゆるものは、生

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生きることと、誠実でいようとすることの両立が難しいと知る:INFJの意想

生きることと、誠実でいようとすることの両立が難しいと知る:INFJの意想

ちょくちょく「INFJ」の(ワタシが思う)特徴について書いた記事にスキをもらうので、そのたびにこんなこと書いたっけなぁと見返すこともあります。そこにですね、「生きることと、誠実でいようとすることの両立が難しいと知る」ということが書いてあったんですね。これつまりどういうことかというと、人間と言う生物が生きることは、どうあっても正当化することが難しいということを言おうとしたんです。必要以上に消費するし

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アイツが「バイキンマン」だ

アイツが「バイキンマン」だ

ワタシたちは、アイツを見れば「バイキンマン」だといいます。拳でぶっ飛ばして、聞こえてくるは「ハヒフヘホ」。ワタシたちは、その光景に慣れ、疑うことをついつい放棄してしまうことも少なくないでしょう。なぜ彼が「バイキンマン」なのでしょう。彼がバイキンマンそのものであるということよりも、彼が「バイキンマン」であることによって、ワタシたち側が「バイキンマンではない」存在という非対称性に酔いしれていることも、

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アンパンマン=バイキンマン 説

アンパンマン=バイキンマン 説

ふと思ったことです。

アンパンマンは、お腹が減った子供達に、自分の顔をちぎって、アンパンを食べさせてくれます。そうです。毎回毎回、毎度毎度、来し方行く末、未来永劫、「アンパン」です。お腹が減った時にアンパンしか食べさせてないのとしたら、それこそ子供が虫歯になるんじゃないとか、自分っていつからこんなにひねくれてしまったのかと自分でも思うほど、突拍子も無いことを考えるようになったのだと思います。でも

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記号ではなく、個人そのひとを

記号ではなく、個人そのひとを

相変わらず、ワタシは人間を記号として固定してしまっている。そう気づく。「生きていれば、いいことがある。だから死ぬな。」そういう人間は、その人間を「死にたくてたまらないほどツライ」という風に一般記号化する。その人自身をみているのではなくて、「死にたいほとツライ人」という記号だけしか認識できていないのではないかと。

ワタシもこういうことをする。いやもしかすれば、そのようなことしか成していないかもしれ

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生み出せ空白: find your good wants

生み出せ空白: find your good wants

「マツコの知らない世界」という番組を勉強をしながら観て居る。マツコ・デラックスさんの知らない分野を、その分野に非ッ常に詳しい方々が、マツコさんに対して紹介していくという番組の趣旨は、番組をみたことがある方であれば、周知のことだと思います。

この「マツコの知らない世界」という番組からは、学ぶことが多いです。それは知らない分野の知識についても言える事でありますが、それだけではありません。番組のタイト

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欠如と情報への欲望

「欠如」という言葉が、頭に残っている。これは、千葉雅也さんの「メイキング・オブ・勉強の哲学」に出てくる言葉でもあるが、2020年の10月くらいから気になっていた言葉、「空白」と似ている言葉でもある。そしてまた、東浩紀さんの「弱いつながり 検索ワードを探す旅」にも、これは「欠如」という考えに通ずるものがあるのではないかというものを見つけた。この記事では、それらがどのような関係に位置づけられうるのか、

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自分は何者であるか...なのだろうか?

自分は何者であるか...なのだろうか?

自分は何者か、と。ありきたりにしては、どうも頭にひっついて剥がれないこの疑問は、いつワタシの気にすることになったのかをあまり思い出せない。

他の人のnoteを見ていると、相変わらずというか、自分は「何者か」と問うているものがある。おそらくいつの時代にも、いや、もしかすれば自分が何者かを気にすることなんて、実はこの時代に特有なことなのかもしれない。その対自化という欲望や希求がもしや特殊なものだとい

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コミュ障は悪いって決まったわけじゃないぜ

コミュ障は悪いって決まったわけじゃないぜ

コミュ障について、以前ほんの少し書きました。池田理知子さんの著書「日常から考えるコミュニケーション学」を参考に、じゃあ本当のコミュ障とはなんぞや!というよく分からない持論を繰り広げていたのですが、「コミュ障」というのは、仮にそのような性質を備えていたとしても、「悪い」とは言えないと思います。しかし、来し方行く末、「良い」とも言い切ることも出来ません。

ただやはり、いろいろ思う所もあります。

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「『他者』について」への批判:2

「『他者』について」への批判:2

「『他者』についてへの批判」、二回目になりますよ。

「偶然性」を尊重するという意図で書いたつもりが、逆にその「他者」の「偶然性」を否定し、打ち消してしまう

という問題点について、なぜそのような事が起こるのかについて詳しく書くぜ。

もう一度確認しておきて〜んだが、理解されないということによって達成される、未知としての「他者」だ。未知であり、理解されないものでもあり、触れられもしないものでもある

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「『他者』について」への批判

以前、「「他者」について」という記事を書きました。しかしながら、まだ考える余地があるというか、やはり偏っていて、穿った考えかたも入っていたかもしれないかなと思えるので、批判的に「「他者」について」を見ていきたいと思います。

この記事の、他者に対する考えというのは、傷つくことを究極的に避けるために、ある種の暴力を回避するために、考えたものです。つまりは、これは究極的(不可能)なものなので、あくまで

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「キャッチボール」を考える

「キャッチボール」という言葉が、何故か気になった。それがなんとなく素敵な言葉に思えたからだ。

「キャッチボール」をしよう。

誰かがそう言い出したのかは分からないが、少なからぬ人が使ったことのある言葉であるとも惟う。「キャッチボールをする」という言葉が、ある意味では不思議だ。

というのも、「キャッチボール」という行動には、必ずボールを投げるという行動が含まれているのであって、純粋に「ボール」を

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