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毎日が同じように感じられるあなたに、なんだかつまらないと思う貴方に、何もかもが埋まって…

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毎日が同じように感じられるあなたに、なんだかつまらないと思う貴方に、何もかもが埋まっていると感じるアナタに、この文章を宛てて、贈ります。

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  • 雑多雑多思索録(大学生編)

  • 「本」について

  • 大学生の哲学と哲学的思索

  • 創造的表現

    創造的表現です。一時的表現です。新しい力能の為のものです。

  • 大学生の観光学

    大学生が、観光・観光学について、大体は警告の土台の視点から書いているノートの端くれにありそうなメモの衆です。

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イマジン/ワタシ自身からの距離を

鼻に違和感を感じて、目がパッチリして目を覚ます。鼻血が垂れそうになるのを手で拭い、手についた血を目視。それを今日の起きる合図とすることにした。それに、起きる前の夢でも、たくさん変なものをみた。 深夜の暖かい光に照らされる廃工場にあつまる奇怪な、何か。何かが、何かを罵倒している。言語化しようとメモにとどめておこうとしたが、それらが何だったのかは覚えていない。 また別のシーンに移ったかと思えば、サブマシンガンのMP7やARのAK-47をもって戦場を駆けている。なんでや。 或いは

    • あぁ、出来んわ

      ヨルシカの「ノーチラス」を聴いていると、泣いている。鼻水を袖でふいて、涙を服の腹の部分でぬぐった。曲聴いて泣く人は性欲つよいとか、浮気するとかいうらしいが、嘘です。はい。 🔄 「お前ってさ。全部中途半端だよなw」 そう言われた気がした。誰かに、というよりかは、いつ言われてもオカシクはない自分自身を発見した、に近い。やっと20年生きてこれて、何かに熱中したことはと言われても、「呼吸か惰眠です」くらいしか言いようがない。何か熱中していても、それを冷え冷えの目で見る誰かがいる

      • 分からない続ける

        分かる、というのは、一種の思いこみと言う意見があった。どこかで学んだ気がするが、その出所が曖昧なことにはご勘弁。 分かんないよと言ったって、そりゃそれが人の世の常ではないのですか?  何もかもが、時間順序的に繰り広げられる言葉というものの中に当てはまるような、素直な子どもの同じ顔をしてこっちを向いてくれると思ったら、それはそれは大間違いッす。 言葉で表現できないために、言葉以外のもので表現する。 それだけ、ということもありえる。言葉は確かに情報でありますけれども、情報

        • 対自化的即自化の何方つかず

          何かを目指すこと。それはある種の現在の自分自身の否定のようにも思える。殻を破り、新たな自分へと変化する。それは自分から脱却し、しかしながら再び自分へと戻って来るということでもある。とはいうものの、前者の自分と後者の自分が同じであるというわけではなく、むしろ全くの別物であると考えることも出来るだろう。時間に影響されずにある、「自分である」という意識は、信用していいものなのか。 宙づり、とも言える。 何かを目指すという意味で、未来の、或いは可能性としての「自分」に向き合おうと

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        イマジン/ワタシ自身からの距離を

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        記事

          病的に読書する

          大学生の時にしておくべきだったことの一例として、読書が挙げられることは珍しいことではないと思う。でもそれはおそらく、読書を中々していない人が想像するなんとなくよさげなものとしての読書であって、実際に読書をして大学生活を送った人の言い分ではない気がする。現にワタシは、本を読んでいるけど、今のところ大学生の時にしておけばよかったことには入らない。 というのも、読書が病的に思えるからだ。大学から2~3週間に一度のペースで延々と本を借りては読んでいる。それをだいぶ続けているけれど、

          病的に読書する

          CHANCE OF RAIN

          Bon chance! 英語ではcrossed-fingerで表現できるような、「幸運を!」という訳になる言葉だが、一度くらいしか使ったことのないこのフランス語の一部に、何故か惹かれた。「chance」は、要は「確率」「運」で、「chance of rain」は、要は「降水確率」ということになる。「Chances are that ~」という表現も確かあったから、「chance」は、不確定要素についての言及ということになると思う。 「chance of sun」という言葉

          見る

          夢を見た。 とても自己中心的な印象を覚えたけれど、どんな夢を見たのかについては、憶測の域を出ることが無いというか、何も分からない。 夢を見た。 この頭で。 夢を見た。実際に目にはしていないのに。 なぜ夢を見た。 なぜ 「夢を見た」 という風にいうのでしょう。 ワタシはずっと目を閉じていて、瞼の裏しか見えていないのに。瞼の裏に夢が映写されているわけでもない。 なぜ目で見ていないのに、「見た」なんて口にするの。もしかすれば、「見る」という行為には、目という器官が必ずしも重要で

          悟ってるんじゃなくて、半ばそれは諦念なんやないの

          家族に誘われて、「シン・エヴァンゲリオン」を見にシアターへ足を運ぶ。もう色々考察があったり、映画特典が転売されてたり、流石人気の作品だなぁ(?)と。一種の宗教とも言えるくらいの何か。ワタシは映画だけを見ていた人間なので、よく分からないこともあるけれど、映画を見終わった後に、何故か人生について考えてしまった。ワタシが受け取ったメッセージが、「人生」だった。 詳しい内容や考察はネット上にごっろゴロ転がっているので、そちらに任せるとして、今のぼやぼやと書いていこうと思う。 何故

          悟ってるんじゃなくて、半ばそれは諦念なんやないの

          成績はどうしようもないけど

          「世界一受けたい授業」で、「かもしれない」を持ちわせるSNSアプリケーションをダウンロードしているスマートフォンは、人間に快感を与えてくれるがゆえに、手放すことが難しいのだという授業があった。なるほどこれは、スマホゲームのガチャに似ている。絶対にレアキャラがあたるわけではない(当たり前か)。たまにレアキャラが出るから、人間はスマホゲームに依存する様になる。SNSの「イイね」が付いているかも”しれない”、或いはフォロワーが増えているかも”しれない”という、時時の報奨のようなもの

          成績はどうしようもないけど

          「本を読む」って何だろう

          高校三年生の時、文化祭も終わり、秋の匂いが聞こえ始めていたころ。まさしく受験勉強まっさかり。家はただの寝る場所。暮らす、或いは住んでいる場所ですらなく、死んだように睡眠をとる場所だった。受験勉強をするべきであるはずなのに・・・と言っていいのかは与り知るところじゃないけど、ワタシは「東大読書」という本に引っ付いていた。何故読んでいたかは分からないけれど、相当張り付いていた気がする。 本の読みかたが、少しづつ変わっていったのは、おそらくその本が原因だ。ただ字面だけを追う。ワタシ

          「本を読む」って何だろう

          「死」について

          「死」ってタイトルにつけておけば、なんとなく深淵というか深遠というか、意味深長に見えるかもしれない。まぁ、「死」について書くことには違いないんだけれども。 「死」とはなんだろう、ということは問わない。それらしく、とは、とは、とはと問うたとて、私見すらも述べないのなら、意味がなさそうに思えるから。ということで、最近頭の中にボヤぁーとしているものを、ここに吐き出すのみ。 人間が一番「死(のようなもの)」を感じるとき、それは生きようとしている時ではないか。しかしそれは生きようと

          「死」について

          注意散漫マルチウェイスティング

          本を読む時は大抵、本だけを読むということはない。イヤホンを耳に突っ込んで音楽を聴きながら、気になった箇所を書き留めるためのノートやipad。或いは、ノートパソコンを起動している時だってある。本だけを読みつづけるというのは、どうも苦手らしいというか、ながら読みをしていることの方のほうが良い事に気が付いた。 これでは、まるでワタシがスマートフォンみたいだ。バックグラウンドでは、複数のアプリケーションが起動し続け、どの機能にも素早くアクセスすることが容易。常に複数の機能と共に、そ

          注意散漫マルチウェイスティング

          what to be desired -性空説

          孟子と荀子の言うことに、とあるワタシは納得がいかない。それはもちろん一種の偏見であるし(というか意見は全て偏見であるけれど)、真理たり得ることは無いけれど、少なくとも今のワタシが信じているのは、性善説でも性悪説でもないということだ。名づけるなら、「性空説」だろうか。 人間に真の個性や本性というものがなく、悪や善と言う狭隘な属性を持ち合わせていない。しいて言うなら、本性や固定的な個性がないという特徴が存在しているといったところか。ワタシが示そうとする特徴はどんなものでも、ワタ

          what to be desired -性空説

          習った言葉をすぐ使っちゃう性

          呪術廻戦の「呪術甲子園」の回で見た、登場人物たちの紹介テロップが噴飯もので、流石芥見下々先生だなぁと思ってしまった。直接的な面白さというよりかは、よくよく考えてみると変だし思い出し笑いを誘発しそうな絶妙な塩梅だ。 ということでワタシもその絶妙紹介テロップでのように、少しだけ自己紹介。「好きな本の長さは、すばる舎出版のやつ。好きな手触りの本は、みすず書房。」 「初めてレモンジーナを飲んだ時の感想は『なんか糊みたい』。なお、糊は飲んだことありません。」 「最近やっと、レバーを他

          習った言葉をすぐ使っちゃう性

          ぼぉーッと生きさせられてんじゃねーよ

          チコちゃんに叱られるという番組で、「ぼぉーと生きてんじゃねーよ」という文言を耳にしたこともあるかもしれないが、あれはワタシにしてみれば、「ぼぉーッと生きさせられてんじゃねーよ」という風にも聞こえる。ぼぉーとしてても生きていけるということを批判されているということは、「生きる」という行動に対する行き過ぎた受動性に対して指をさされているとも思ったからだ。 「生きる」という行動に対する受動性を拡大解釈すれば、生きているどころか、ワタシは生きさせられているのではないかとも思った。何

          ぼぉーッと生きさせられてんじゃねーよ

          目標って、過程の別名じゃないかな

          バイト帰りにスーパーに寄って、新しく発売されていたウェルチのブドウジュースと、二つのおにぎりを手に取った。バックグラウンドには、Billy Joel の「We Didn't Start The Fire」が垂れ流しになっている。疲れていたはずだが、何故か耳は知らず知らずのうちに機能していたみたいだ。まぁ、目蓋みたいに”耳蓋”があるわけではないから、耳はいっつも情報に晒されなければならないのねと思うと、結構大変な役回りだなぁと。お疲れ様、耳。 ちなみに「We Didn't S

          目標って、過程の別名じゃないかな