アインシュタインにも解決できなかったことを解決するのはあなたです。
戦争とは避けられないものなのか。
1932年に、20世紀最大の天才が、その世紀で最も影響力のある心理学者に手紙を書いた。
その手紙の中で、アルベルト・アインシュタインはジークムント・フロイトに、「人類を戦争の脅威から救う方法はあるか」とたずねた。
フロイトは長く詳細な返事を書いた。その中に、現代を生きる私たちに希望を与えてくれる内容は、あったのだろうか。
その頃すでに、ユダヤ人への迫害があった。
ユダヤの血をひく両者:フロイトはイギリスへ亡命、アインシュタインはイギリスなどを経てアメリカへ亡命した。
フロイトがいたウィーンにナチスが侵攻したのは1938年。彼を乗せた列車を見送るために、駅に大勢が押し寄せたという。
Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei(NSDAP)。Nazi/Nazis というのは、反対派がその党員や協力者を呼ぶ、蔑称的な呼び方だった。
1928年に12議席だった政党が、1930年には107議席、1935年には230議席に。
ポスターの文言などを見るとわかるが。10倍近い獲得数が、反ユダヤ主義をあおることだけで達成されたとは考えにくい。
国是は、とにかくヒトラーをもちあげることにあったように見える。彼が最後の頼みだ・彼が唯一の望みだというように。
第一次世界大戦に敗れ、当時の国家予算の何十年分にもあたる賠償金を要求された、ドイツ。世界は狂っている。どうやって払えというのだ。アメリカの大恐慌が波及し、600万人の失業者が街にあふれるようになった、ドイツ。これが1929年のことだ。
エーリッヒ・フロムが、ナチ党を支持した層には、権威主義的な人たちが大勢いたことを見出したそうだが。
個人的には、そんなこと大して関係ないだろうと思う。とにもかくにも、生活がつらかったのだ。将来が不安だったのだ。追いつめられれば、人の行動は変わる。
何が「パーソナリティー」だ。そんな話はクソだ。フロム、あんたは『The Art of Loving』の話をずっとしてな。(口が悪くなった。ごめん)
ホロコーストを擁護する人などいない。私ももちろん違う。そうではない。
大変恐ろしいことだ。
ある集団が他の集団から分離され、じゅうぶんに非人間化されると、あらゆる残虐行為が正当化される可能性があるのは。
フロイトは、あらゆる生物と同様に人間は、2つの同等に強力な本能につき動かされていると主張していた。
1つはエロス。創造的で統合的なもの。もう1つはタナトス。攻撃的で破壊的なもの。生の欲動と死の欲動だ。
フロイト曰く……
人間が戦争の鼓動に敏感になるのは、破壊に対する自然な情熱によるもの。
その本能が、目的を通じて創造的衝動と結びつく時。たとえば「アーリア人種の純粋さ」のために、あるいは「アッラーの同胞の栄光」のためにと、戦争が勃発する時。ダブルになった本能的満足感は、ほとんど抗いがたいものとなる。
ちなみに。アインシュタインも、これと同様の意見をもっていた。
ウィリアム・ジェームズに言わせれば、歴史とは血の海である。
祖先から生来の闘争心を受け継いでいるため、戦争の非合理と恐怖をどれだけ見せても、人間は何も変わりやしないと。
さまざまな国の予算がそう示すように。「戦争税」は、人々が躊躇せずに支払う唯一の税金であると。
たしかに、先史時代。個人間ではなく部族間の競争が、ナワバリをもつヒト科動物たちの、恐怖心・ 進取の気性・団結力を育んだ。
武装してそなえなければ自らの存続が危ぶまれることを、身に染みて知った。
人類の歴史を知れば知るほど、明るい兆しが見つからないということが見つかる。
ルワンダ虐殺については、他力本願で。家族内で殺しあうことを強要ーーなど、知ることから逃げ出したくなるような悲惨さだ。
ルワンダの総人口は、短期間に1割減少した。そのほとんどはツチ族だった。
集団にまたがる強いアイデンティティーやきずなは、共通の敵に対する復讐の中で、最も築かれてきた。
"My name is Maximus Decimus Meridius. Commander of the Armies of the North, General of the Felix Legions, and loyal servant to the true emperor, Marcus Aurelius. Father to a murdered son, husband to a murdered wife. And I will have my vengeance, in this life or the next."
傑作映画『グラディエーター』のあまりにも有名なシーンだ。
前段の例で言うならば。停戦後、フツ族の多くが国外逃亡した理由である。
敵がいれば、勝利というものがあり得る。国民の支持を得るには、死闘の感情にうったえかけるという手段がある。
私たちにも大いに関係がある話だ。あなたも、ぜひ、自問自答してほしいよ。
しかし、これだけで終わらなかったのがフロイトだった。
彼は自問自答した。
今まさに、真剣な手紙のやり取りをしているように。なぜ、私や彼は、人類から戦争をなくそうと熱心になっているのか。
(手紙のやりとりは、国際連盟の国際知的協力機関が「誰でも好きな人を選んで、今の文明で最も大切と思える問いについて意見交換をしてほしい」とアインシュタインに依頼して、はじまったものだが。そういう意味ではない)
そのような自論の私や彼さえ、悲劇的な必然として・忌まわしいが避けられない事実として戦争を受け入れていないのは、なぜなのかと。
人類に避けがたいものとして、戦争を受け入れる。そんな悲観主義は、もはや、私たちに許容できないものになっている。
もうサバンナではない。もう石器ではない。私たちの環境や状況は、「あの頃」と同じではない。それでいて、精神面だけは全く変わっていないというのは、無理がある。(主観)
フロイトは、希望の源泉を2つあげてくれた。
戦争を止めるには、破壊の本能に対する自然な解毒剤を強化するか・人間の精神を進化させて本能を完全に克服するかの、どちらかだと。
私たちは、個々に知性を高めながら、互いに愛しあわなければならない。どんな形であれ、みんなが、その方向性には協力しなければならない。
全てが自由なんてことはない。自由を謳歌したいのであればこそ、義務は存在する。
サソリがカエルに川を渡ってほしいと頼む。
カエルは刺されるのが怖くて断る。サソリはそんなことはしないと言う。水上でカエルを刺したら自分も溺れてしまうと説明する。カエルは納得し了承する。
結局サソリはカエルを刺す。どちらも水に沈んでいく。カエルが「なぜこんなことをしたのだ」とたずねると。「これが私の本性だからだ」とサソリが答える。
この話には、類似の別パターンが複数ある。
サソリが依頼したのがカメの場合。
たとえ刺すことを我慢できなくても、甲羅を貫通しないため、カメなら大丈夫だとふんだと。
率直にそう解説され、カメは思った。危険思想の持ち主だなと。他に被害者が出ないように、そんなサソリを溺れさせておいた。
「大自然が決めたことなんだ。君が甲羅で誰かを運ぶように、私も毒針で誰かを刺す」
「一体何を言っているんだ。神様の話か?」(『寄生獣』主人公のセリフとかぶせてみた)
「別の性質をもって生まれたかったが、叶わなかった。君が他者を乗せて川を渡るしか能がないように。我々はどちらもみじめだ」
「俺たちは同じじゃない。俺は夢みた姿に近く生まれたんだ。俺とお前は同じなんかじゃ……」
この作品に、今となっちゃありていだけど当時は斬新だったんでしょーーなどという感想を、知ったふうに言う者があるが。
今?当時?どんな短いスパンの話をしている。
人類史上最も天才(私はそう思っている)のアインシュタインも、どうしたらいいかわからなくて、フロイトに相談したことだ。
考古学的遺跡には、大規模な紛争の証拠や虐殺された人々の埋葬が、散在している。
約1万年前の新石器時代の道具には、明らかに、戦闘用に設計されたものが含まれている。
部族間の攻撃性は、新石器時代よりずっと昔にさかのぼるが。(正確にどのくらい昔なのかわかっていない)
チンパンジーには、群れ内での殺戮や群れ間での襲撃が、数多く記録されている。
チンパンジーと大昔の人間の、群れ内や群れ間での暴力的な攻撃による死亡率は、ほぼ同じであることが判明した。一方、致命的ではない暴力は、チンパンジーの方が大昔の人間よりもはるかに多く。100~1000倍も頻繁に発生する。
この部分に、だから〇〇というまとめ的な言葉はない。誰にもハッキリとはわからないんだ。
人口増加は指数関数的だ。
世代が進むごとに、集団内の各個体が1人以上(たとえば1.01など、ほんのわずかな割合でも)入れかわるだけで、人口は増加する。
やがて、人口はピークに達する。その後は、安定するか上下に揺れ動く。時には、激減し局所的に絶滅する。
オオカミはヘラジカの数の制限要因だ。オオカミが増えると、ヘラジカの数の増加が止まるか減少する。その逆も然り。
人間がオオカミを大量に減らしたことで、ヘラジカの数が増えても。次の要因が作用する。
その要因とは、草食動物が生息域で過食し、食料が不足することかもしれない。ヘラジカの話ではないが、人口圧力による移住などもあり得る。
何かの介入が起こらなくとも、別の何かの介入は起こるということだ。
領土の必然性は、ホモサピエンスの小規模で散在したコミュニティーに、安定性をもたらした。人口は、増加したり減少したりを繰り返し、領土内におさまっていた。
農業がはじまると、食糧が大幅に増加した。無論、人口は急速に増加した。人々は、豊富な新資源が許す限りの速さで、人口を増やした。必然的に、食糧が再び制限要因となった。
おさまりきらなくなった時(土地)、たりなくなった時(食べ物)、移住をしていたのだろう。紛争には、増えすぎた人口を減らすという目的もあったのかもしれない。
私たちの根本にあるものは、たしかに、その頃とさほど変わっていないのかもしれないな……。
私の文章に垣間見える、意気消沈具合というか、あきらめそうな感じというかが。自分でも嫌だな。
第一次・第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争などの紛争で、推定1億8700万人の命が失われた。
ガザでの累計死傷者は3万9000人とのこと。(1週間前の保健当局の報告より)
日本で言うなら、一部を例としてあげるだけでも、以下のような町の町人は全滅だ。全滅とは、今日生まれた赤ちゃんの命は明日までーーということである。セミより短い。
マクロな話。これを止めないと。いつか、あなたの赤ちゃんは出産日翌日に死ぬ。
世界が止めてくれないから。そんなことより、スポーツの祭典をするので忙しいから。
毎日、こんなニュースが更新されている。本当に毎日だ。
百年戦争の間に語られた名言に、「戦争の影の中で、愛は私たちを導く光となり得る」というのがあるらしい。
ずっと同じことは言っているんだね。なのにずっとできていないんだね。
当たり前だが。鉄砲を走ってよけろという話ではない。あんな描写がある『MATRIX』だって、そういう話ではない。リアルにおきかえて、自分の「不殺の誓い」を考える話だ。
またこの人、あきらめずにがんばろう系で〆てるよ。と思われるだろうか。
前述したように、知れば知るほど、絶望が見つかる。それをそのままサマリーしたって、現実だけを羅列したって、誰も楽しくないでしょう。
アインシュタインにも、フロイトにもできなかった。世界の誰かじゃない、次の誰かじゃない。私がやる、あなたがやることなんだ。