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可能なるコモンウェルス

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主権者の一人一人が、独立・自立した権力主体=コモンウェルスであることは可能なのか、どうすれば可能となるのか。法の支配・デモクラシー・社会契約、イソノミア・タウンシップ・評議会、イ…
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2022年11月の記事一覧

可能なるコモンウェルス〈53〉

 移民開始当初から新世界アメリカにおいて培われてきた、「自由であるがゆえに平等な、個人相互による無支配の盟約=社会契約」が、当のアメリカ社会そのものの形態が次第に定まってきたのにつれて、あたかもそれに反動するかのように形骸化されつつあった。そのことへの危機感を他の誰よりも強く意識していたのが、独立革命=建国事業の主要メンバーであり、後には合州国第三代大統領にまでなったトマス・ジェファーソンその人な

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可能なるコモンウェルス〈54〉

 革命と建国の一大事業を経て、アメリカは「国家としての形態と体裁」を整えつつあった。そのアメリカ「合衆国としての統治形態」とは、「アメリカという国家を頂点として、その下に続く州や郡や市などといった、一定の区切られた領域にもとづいてそれぞれ設定される」ところとなった。「国家は上から下へと作っていくもの」という認識は、「旧世界」のそれと何ら変わりのないものであり、彼らの「政治的想像力」は、その旧さの範

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可能なるコモンウェルス〈55〉

 アレントによれば、ジェファーソンは「憲法そのものの中に、世代の交代期間にほぼ相当する『所定の期間ごとにそれを修正する』規定を設けるよう提案」(※1)していたのだという。
「…彼が規定したかったことは、アメリカ革命のコースに伴って展開された活動の過程全体の正確なくり返しであった。…」(※2)
 こういった言葉を「表面的に」見ると、まるで共産主義の「永続革命(Permanent Revolution

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可能なるコモンウェルス〈56〉

 ジェファーソンは、自身の唱える「反復革命」論の根拠として、その形式を規定する理念としてあるところの「人間固有の権利」に、「反乱と革命の権利」をも含めた。
 ところでこの、「反乱と革命の権利、およびその自由」という観念を、いささか狭量とも言えるような、経験論的・功利的かつ固定的な感性をもって「真に受けてしまっている」ことにより、現在のアメリカ社会において最も悩ましく人々を苦しめているところの、いわ

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可能なるコモンウェルス〈57〉

 「支配と暴政に対する反乱と革命を、人間固有の権利として、一定に制度化すること」を企図したジェファーソンは、まず「所定の期間ごとに憲法を修正することによる、革命過程の正確な再現」を構想する。「過去の」革命過程において、彼自身を含む当の革命世代がその身をもってくぐり抜けてきたさまざまな経験を、その革命の後に新しく生まれてくる世代の人々が、この革命過程の正確な再現を通じ自らのものとして実体験することで

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可能なるコモンウェルス〈58〉

 ジェファーソンは「急進的な共和主義者」として知られた人物である。なおかつ彼が強く敵視していたのは、徹頭徹尾「専制主義」に対してであった。「神授の権利」によってその座を得た絶対君主であれ、あるいは曲がりなりにも「民主的な手続き」を経て選ばれた独裁者であれ、いや、それがたとえ「何者でもない者」であったとしても、とにかく「特定の者が権力を一手に独占すること」それ自体が、彼にはどうにも我慢がならなかった

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可能なるコモンウェルス〈59〉

 あらためて確認しておくと、ジェファーソンは「極めて先鋭的な共和主義者」であったと、まずは言うことができるだろう。そしてそれは、民主主義(デモクラシー)に「支配(クラシー)」を見出してしまうほどの先鋭さだったわけである。彼の他の「革命の父」たちが、「一人の支配ではなく万人の支配を作り出すことができれば、それはそれで十分なのではないのか?」と考えていたところを、むしろそのこと自体に危機は潜んでいるの

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可能なるコモンウェルス〈60〉

 新世界アメリカにおける「特異な政治経験の、その現実的果実」とは、大陸移植草創期からすでにはじまっていた、人々の自発的・主体的な意志にもとづいて構築された自治政治体、すなわち「タウンシップ」において何よりもまず見出される。独立革命を経ることで、そのような「自発性・主体性」はむしろ、住民自治の現実的局面からは失われていきつつあったのだが、ジェファーソンはそれを、「区制(ウォード・システム)」という形

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可能なるコモンウェルス〈61〉

 人民自身による統治の運動そのもの=全てが、当の「全ての人民に見られていること」によって、その統治運動に参加する全人民の活動そのもの=全てが、人民自身による政治体、すなわち「共和国」として見出されることとなる。
 この「共和国」は、けっして人民による「政治的運動=活動の結果」などではなく、むしろ「現在もなお続く運動=活動そのもの=全て」であることから、「その結果が、ある特定の世代のみに独占される」

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可能なるコモンウェルス〈62〉

 ジェファーソンは「共和政体」を原理的に、すなわち「日常的」に回復させることで、新国家アメリカに芽生えつつあった「専制への危機」を回避しようと考えた。そしてその手段として彼は、植民当初から各地の人々の間で「自然発生的」に構築されていた政治体を念頭に、「区=基本的共和国(タウンシップ=ウォード=エレメンタリー・リパブリック)」の導入を企図したわけであった。
「…ジェファーソンによれば、『郡を区に再分

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可能なるコモンウェルス〈63〉

 入植以来の「現実的な政治経験」からタウンシップなる画期的な住民自治組織を成立せしめた歴史的事実が、アメリカ独立革命という「全く新しい政治経験」(※1)を、どれほど勇気づけ下支えするものとなっていたか、たしかに図りしえないものがあると言えるだろう。
 一方で、むしろ「そこにはいかなる支配も所有も成立してはいなかった」という、ある一側面からの認識が、このかつてなかった画期的政治経験の、その正当性を根

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可能なるコモンウェルス〈64〉

 アメリカ新大陸への移民入植が開始された当初から、各地に散らばった人々の間で「自然発生的、かつ同時多発的に」構築されていった、住民自身の手による政治体、それが「タウンシップ」であった。「移動=遊動の自由」と、それに担保された住民間における「平等」が特徴的であったその政治体の「内部」においては、たしかに支配も所有も生じえなかったものだったのかもしれない。
 しかし、反面その「外部」に対しては、はたし

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可能なるコモンウェルス〈65〉

 入植以来アメリカ新大陸各地へとそれぞれ散っていった移民たちが、その地においてそれぞれ「自発的かつ個別的」に形成されていった各種の政治体、すなわち郡区(タウンシップ)・地方(プロヴィンス)・郡(カウンティ)・市(シティ)。これらの人間集団は、たしかに成り立ちとしてはその具体的な土地と人々によってそれぞれ全く異なる背景を持っていたにもかかわらず、一方ではあたかも互いに申し合わせたかのように、それぞれ

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可能なるコモンウェルス〈66〉

 「コモンウェルス」という政治的観念は、「何者でもなく何も持たない個人」同士が、それぞれの自己保存欲求を「互いに共通の(コモン)=利益(ウェルス)」として承認し合い、各々の意志と主体性にもとづいた合意の上で、上記の共通した目的を追求するために形成された政治体であるというように、ひとまずは「社会契約説」の議論を前提として一般に捉えられているものだと考えておいていいだろう。ただし、ここで留意しておくべ

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