可能なるコモンウェルス〈64〉

 アメリカ新大陸への移民入植が開始された当初から、各地に散らばった人々の間で「自然発生的、かつ同時多発的に」構築されていった、住民自身の手による政治体、それが「タウンシップ」であった。「移動=遊動の自由」と、それに担保された住民間における「平等」が特徴的であったその政治体の「内部」においては、たしかに支配も所有も生じえなかったものだったのかもしれない。
 しかし、反面その「外部」に対しては、はたしてどうだったのだろう?端的に言えば、「先住民」に対して彼らは一体どういう態度を取っただろうか?また、「奴隷」に対してはどうだったのだろうか?アメリカ新大陸に「外部からやってきた」移植住民たちは、そのような先住民や奴隷などの人々を、けっして「自分たちの内部」において見ることはしなかったのではないか?彼らのことは絶えず「自分たちの外」に置き、そこから彼らのことを「支配・所有していた」ものではなかっただろうか?

 いかなる政治体=国家であれ、「その外部」ということが見出されるときには、反面「その内部においては自己保存の意識が働く」のも、現実として避けられないことなのだろう。そして、「タウンシップ」なる政治体もやはり、そのような「現実の産物」だったのである。人々はただ、自分たちの「コモン(共通の)=ウェルス(財産・獲得物)」を守るため、そのような「集団的装置=政治体=コモンウェルス」を必要としていただけであった。ゆえにこの政治体=コモンウェルスは、その成り立ちからいってもけっして「あるべき理想的な形態」として構想されたものでも何でもないのだ。それは人々がただ「日常の中で、現にそうしていただけのこと」の延長に、まさしく「自然発生的に」生み出されたものにすぎないのである。
 ジェファーソンにしたところで、何も別に「タウンシップ」を、あたかも「神性にもとづくもの」として回復しようとしていたわけではなかったのは言うまでもないことだ。彼はただ、「アメリカに日常を取り戻したかっただけ」だったのだ。入植以来のアメリカで「現実的に経験されてきた政治」とは、「なすべき原則に従った」のでもなく、「あるべき理想として求められた」ものでもなく、ただただ「この直面している現実に対応することとして、実際的かつ日常的にしてきたこと」の積み重ねであり、その積み重ねの「結果」が、「このアメリカを、作り上げていくこととなった」のだ。ただただ、それだけのことだ。しかしまた、それはそれで「それ以上ないもの」でもあったのだ。

 「この経験」を、すなわち「歴史」を、アメリカ合衆国は捨ててしまうというのだろうか?忘れてしまうとでもいうのだろうか?ジェファーソンの危機感は、この「忘却」ということに集約されるだろう。
 そこで彼は「アメリカ国民に、自分たち自身がここに至るまで実際にしてきたことを思い出させるため」にも、「憲法の定期的修正」や「区制(ウォード・システム)の導入」などという、一見「あまりに幻想的で真面目に考えることができないかのように思われる制度」を、しかし大真面目に構想したわけなのである。それは何よりもまず、「アメリカが現実性を取り戻すため」に考えられたことなのであった。
 ここで言う「現実性」というのは、政治とは本質的に現実的かつ日常的なものとしてあらわれてくるということを意味している。そしてここで「思い出される」のは、「アメリカの経験という思い出」ではなく、「思い出となる経験が、今ここにある」ということ、それ自体なのである。つまりジェファーソンにとっての「政治的原理」とは、人々が「現に生きている今ここを経験するということ、それ自体」なのだというように考えることもできるわけなのである。

〈つづく〉

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