可能なるコモンウェルス〈59〉

 あらためて確認しておくと、ジェファーソンは「極めて先鋭的な共和主義者」であったと、まずは言うことができるだろう。そしてそれは、民主主義(デモクラシー)に「支配(クラシー)」を見出してしまうほどの先鋭さだったわけである。彼の他の「革命の父」たちが、「一人の支配ではなく万人の支配を作り出すことができれば、それはそれで十分なのではないのか?」と考えていたところを、むしろそのこと自体に危機は潜んでいるのだというように、ジェファーソンは見なしていたわけなのであった。そしてそのような危機が「現実に進展していってしまう」ことを彼は深く危惧し、なおかつそのことに強く異議を申し立てていたのである。
「…(…ジェファーソンが…)共和政にとって致命的に危険だと考えていたことは、憲法が人民に、共和主義者となり、市民として活動する機会を与えないでおいて、市民に全権力を与えたことであった。…」(※1)
「…危険は、全権力が、人民に私人としての資格において与えられている一方で、市民としての資格における人民のための空間が確立されていないという点にあった。…」(※2)
「…ジェファーソンは、人民に投票箱以上の公的空間を与えず、選挙日以外に自分たちの声を公的に表明する機会も与えないでおきながら、同時に、彼らに公的権力の共有をゆるすということがいかに危険なことであるかについて、少なくとも、予感はもっていた。…」(※3)
「…(…共和政政体において…)腐敗は、社会の真中から、人民自身から生じてくる(…中略…)。腐敗は、私的利害が公的領域を侵すばあいに起るのであり、上からではなく下から発生するのである。共和政の腐敗が人民をも無疵のままにしておかないのは、まさに共和政が原理的に支配者と被支配者の古い二分法を除去したからである。他の統治形態においては、支配者あるいは支配階級だけが腐敗し、したがって実際、『潔白な』人びとが最初の被害者となり、ある日、恐ろしいけれども必要な反乱に立ちあがるのである。ところが(…中略…)支配者と被支配者の裂け目が接近しているところでは、公的なものと私的なものを区別する境界線があいまいとなり、最終的には消滅するかもしれない。…」(※4)
 「アメリカ合衆国」が、「一人の支配から万人の支配をもって、その自らの革命と建国の事業は完成したものと見なしえた」のは、彼ら革命指導者たち自身がまさしく、「君臨すれども統治せず」と標榜する立憲君主国家イギリスを相手に戦っていたからだと言える。そしてたしかにその結果として、「アメリカ人民」はイギリス国王から、「アメリカにおける支配の全権を引き継いだ」わけである。すなわちそれは、「支配の形態をもまた、同時に引き継いだことになる」わけなのだ、いわば「支配すれども統治せぬ者」として。
 よってアメリカにおける「統治の全権」は、人民から「支配の全権を委任されているところの、人民の代表者」に、そのまま丸ごと引き渡されることとなる。そして人民は、「彼らの代表者」を選出する選挙のとき以外には、「支配者として、公的には」その姿を現わすことがない。ゆえに彼ら人民は、「権力者として、その公的な立場の正当性の是非を問われる」ということもない。もし本当に「権力の腐敗が、人民社会の真中から生じてきた」としても、それに対する「反乱の危険もない」ことから、人民自身その「我が身の腐敗を押し留めうるもの」も何一つとして、持ち合わせるということがない。
 これは、全くもって「共和的ではない」のだ、とジェファーソンは考えた。むしろそれは「万人の専制」に他ならない、腐敗を押し留め暴政を斥けるには、必ず「その是非を公的に問う機会」がなければならない、「共和政体」とはこのような機会を、「公的に保障する原理」に他ならないのだ、と。

 たしかに「アメリカ合衆国」は、その成立の一方の契機でもあった「権益の保持と権力の維持」については、憲法の制定をもって一定の成果を見出すことができたのだろう。しかしもう一方の契機については、どうだろうか?それはそもそも、旧世界の政治的関係の押しつけ、言い換えれば「旧世界の支配関係の押しつけに対する反発として、まずあったものではなかったのか?そしてそこには、「新世界での現実的な政治経験」が、人々の共通意識を裏打ちするものとして、存在していたはずではなかったのか?人民自身の「統治への参加」は、何もそれを「原則」として考えられているようなものではなく、「そもそも、ありとあらゆることを自分たち自身で何とかするしかなかった」という、「現実の経験に根ざした意識」に他ならなかったのだ。
 新世界アメリカにおける入植以来の「政治」とは、当の入植者人民自身が、自分たちに降りかかる現実に対して、絶えず自分たち自身の力で対応し続けなければならないという、その「日常の中」にあったものだった。つまり人民にとって、政治とは「日常そのもの」だったのである。しかし、革命後に設立された「アメリカ連邦政府」に権力が一元化されるにしたがって、その「政治的日常性」は、人民たち自身から遠ざかるばかりとなってしまい、代わりにアメリカ合衆国において「人民=国民という表象」はただ、「権力の源泉として、実態権力の口実に利用されるだけ」のものになってしまっているようでさえあった。

〈つづく〉

◎引用・参照
※1 アレント「革命について」志水速雄訳
※2 アレント「革命について」志水速雄訳
※3 アレント「革命について」志水速雄訳
※4 アレント「革命について」志水速雄訳

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