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『おっとせい』

誕生日プレゼントという文化、実は非常に困る。
 
好きな人に何を贈ろうか、悩む時間は確かに至福のひと時かもしれない。でもある時を超えると重度の不安に苛まれる。何をあげたら喜ぶだろう、迷惑じゃないだろうか、私への好感度があがるだろうか…打算が入ってくるともう駄目だ。
 
私の想い人ははっきり言って捻くれてる。前向きに表現するなら、ミステリアスだ。
 
読書家、音楽は聴かない、スカッシュを好む、観劇が趣味(シュールレアリスム)、年上に不遜、未成年飲酒常習犯…さてどうしよう。
 
お酒?論外だ。本?手持ちと被ったら。スカッシュ用品?きっと愛用品がある。芝居のチケット?好みに合わなかったら。CD?音楽は聴かないって言ってるのに。服は?サイズが分からない。財布とか?まだ恋人でもないのに重過ぎる。…詩を贈るのはどうだろう?自作の詩、それなら!…冷静になり却下した。八方ふさがりだ。
 
迷った末に贈ったのは…お茶菓子の詰め合わせだった。絶対に違う。しかし無難of無難だと。血迷った私はそれを想い人の自宅に郵送した。郵便局を出て眩しい日差しを浴びた私はやっちまったとその場に項垂れた。
 
『お茶菓子ありがとう。僕は甘いものを食べないけど、母が喜んでいた』
 
アーーーッ!ほら違った!!大怪我した!!
 
『君の誕生日は、確か3月だっけ?忘れない内に贈っておく。贈ると言っても、言葉だ。金子光晴の詩『おっとせい』の抜粋
 

おいら
おっとせいのきらひなおっとせい
だが、やっぱりおっとせいはおっとせいで
ただ
「むこうむきになっている おっとせい」
 

お誕生日おめでとう』
 
 
なんだこれ?誕生日半年以上先ですけど!とはいえ、結局好きな人に貰えたら何でも嬉しいものだ。こんな見てると脳がとろけそうな詩でも、なんだか高尚に見えてくる。
 
私は彼が好きだから何を貰っても嬉しい。でも彼は、そういえば私の事好きなのだっけ?…考えないことにした私は、むこう向きになっているおっとせいだ。


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