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雑文

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ジャンルレスな雑談記事
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#日記

黄緑色の若い竹の芽が、

黄緑色の若い竹の芽が、

家のすぐ近くの林に、針葉樹に混じって大きなユズリハの木があった。

東側の窓からは真正面にそれが見えるので、毎朝窓を開けると、ユズリハの名前のとおりに葉っぱが生え替わっていく様や、枝に鳥がとまったりしているのを、ぼんやり眺めていた。

ある日、

町内のお爺さんが、突然そのユズリハを切った。根元からバッサリとやった。
思わず、

「ええっ、どうしたんですか!?」

と問いただす。

お爺さんの主張

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「お父さん、オモチャのお城のようなあれは何?」(ある海岸の物語)

「お父さん、オモチャのお城のようなあれは何?」(ある海岸の物語)

子どもの無知の無邪気さ。大人になって思い返すと、あ~なんてことを言ったんだろうと恥ずかしくなる。そんなことって、ないですか。ええ。私はあります。

小学生の時です。
家族でドライブに行きました。運転は父、私が助手席、母と姉が後ろに乗っていたはずです。

今思い出してみるとあれは海沿いの道、秋田市方面から国道7号線を走っていたので、象潟の海にでも行ったのでしょうか。

岩城を過ぎ、

本荘に入り、

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「君は僕より先に死んじゃダメです。」って言われたことがあって…

「君は僕より先に死んじゃダメです。」って言われたことがあって…

ジョアオ・マリオ・グリロ監督『アジアの瞳』を見ていました。あちこち探し回ってやっと見つけたDVDなのです。
天正遣欧少年使節であり、後に禁教令下の長崎で殉教した中浦ジュリアンの物語をベーシックに、現代の長崎を訪れたEU文化官の女性の目を通して見た、キリスト教弾圧という加害とその後の原爆被害。そのようにして不寛容を繰り返すこの世界。原爆という悲惨な出来事そのものを忘れたかのような日本の変容ぶりが忘却

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笹の葉の股に蝸牛─ご近所六景。

笹の葉の股に蝸牛─ご近所六景。

ご近所六景。
(ある日のご近所をぐるりひとまわりして見られた景色)

テッセンに鳥居

この垣根のあるお宅は以前から空き家になっていて、それでも庭の花々はひとりでによく咲いている。
垣根に伸びたテッセンの写真を撮っても構わないかどうか、尋ねようにも誰もいないのだが、この、道に飛び出してちょうど顔の高さで咲いている一輪が、「まぁ、どうぞ」と言ってくれたような気が、しないでもなかった。

垣根の奥には

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なんとも微妙な感じで夢枕に立った祖父。

なんとも微妙な感じで夢枕に立った祖父。

数年前ですが、母の姉が敗血症で緊急入院した時のことです。
(K伯母はその後、無事回復して退院しましたのでご安心ください)

すでに病院に来ていた母から連絡を受けて駆けつけると、K伯母は何時間か前にICUに入ったきり、処置と検査が続いていました。悶々と時間をやり過ごした後で現れた担当医師は、どうやら敗血症である、と言いました。
この病院にはその治療のための最先端設備があります、まずは様子を見ていきま

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たどたどしいオペレーターの声は、吉本新喜劇の花紀京によく似ていました。

たどたどしいオペレーターの声は、吉本新喜劇の花紀京によく似ていました。

新聞の歌壇コーナーに電話越しに聞いた方言の短歌が載っていました。

〈どこだろう?間違い電話のあたたかな方言が耳に残る冬の日〉友常甘酢

電話口の方言、いいものですよね。そう言えば私にも思い出がありました。あれは何年前だったでしょう、確か春も終わりの頃でした。

あるメンバーズカードの問い合わせで電話をしたときのこと。

「この電話は今後のサービス向上に役立てるため録音されます」

というアナウン

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亡父の元カノの話を聞きました…母からです。

亡父の元カノの話を聞きました…母からです。

亡父の元カノの話を聞きました……母からです。
どういうシチュエーションかとお思いかもしれませんが、つい最近の事です。

父方の親戚が遠くへ引っ越す事になり、ちょっとしたフェアウェルパーティをしました。引っ越しのセンチメンタルとお酒の勢いも手伝ってか、その親戚が言い出しました。「そう言えばRちゃん、今どうしてるんだかな~」。
Rちゃんとは誰かと聞くと、父が昔付き合っていた人だと言って笑いました。

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思いがけず再会した高校時代のK先生から…

思いがけず再会した高校時代のK先生から…

先日思いがけず久しぶりにお会いした高校時代のK先生から、電話をいただいた。再会時に撮った写真を送ってくださるというのでアドレスをお知らせした。

先生には当時から、どことなく学生運動の雰囲気があって、教室で話す時も、熱が入ってくると体制批判も厭わずまるで演説が始まるかのようだった。授業内容も、カリキュラム通りにやっていたものかよく分からない。以前お邪魔したことのあるアトリエは、まるで「ラ・ボエーム

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中二の時だったと思います。 (クメオ先生のこと)

中二の時だったと思います。 (クメオ先生のこと)

中二の時だったと思います。ちょうど今頃の季節でした。
放課後、帰ろうとしてふと廊下の窓から外を見ると、ぼた雪がしきりに降っていました。向こうの、葉っぱがみんな散ってしまった柿の木に、柿の実が幾つもついていました。その一つひとつ全部に、雪が積もっていました。

それを何とはなしに眺めていると、一年の時の担任だった久米夫先生、クメオが通りがかって私を呼び止めました。そして私が見ている柿の木を指さして、

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惜しみなく意識を乗せてくださいますように。

惜しみなく意識を乗せてくださいますように。

例えば茶道を思い浮かべてください。
なぜあのように細かな、ややこしい “作法” があるのでしょうか。
おもてなしの心くばり、道具を大切に扱うため……
或いは暇を持て余したお金持ちの道楽、見栄……
なのでしょうか。

古典的な型のようなものを習う時、大抵の場合、始めは何をしているのか理解できずつまらなく思うものです。そして大抵の場合、随分と後になってみて、不意に体感としての理解がやってくるのです。私

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台所に10歳の母がいました。 (人生の曖昧な秩序について)

台所に10歳の母がいました。 (人生の曖昧な秩序について)

台所で肉を焼いていました。
フライパンでジュージュー肉を焼いていると、母が出先から帰ってきました。

手が離せずにフライパンを向いたままの私の背後から、母はそのフライパンをのぞき込んで小さく「わ~」と声をあげました。

その様子がまるで、
小学生がお腹を空かせて帰ってきて、台所のお母さんのお料理を幸せそうに眺めている時の様だったのです。ほんの一瞬でしたが、そんな、まるで幼い仕草を母がしたので、私は

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