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【名刺がわりの10作品】

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【roots】 ・宮崎駿 ・星新一 ・太宰治「正義と微笑」「斜陽」 ・茨木のり子「自分の感受性くらい」「倚りかからず」 ・谷川俊太郎「二十億光年の孤独」「生きる」 ・福沢諭吉「学… もっと読む
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銀座の街を、パパと歩く。

銀座の街を、パパと歩く。

『あんたなんか、生まなきゃよかった』

9歳の誕生日の、あの日の衝撃が、ずっと頭の何処かにあった。

誕生日プレゼントの包装紙を開けると、そこには一冊の本が入っていた。本のタイトルよりも先に目に入ってきたのは、その帯に書かれていた言葉。

【あんたなんか、生まなきゃよかった】

ロサンゼルスで過ごした19の夏が、味気のなくなったガムみたく、いつまでも、吐き出すタイミングを見失っている。

たったひ

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つまり、あなたと一緒にいたい。

つまり、あなたと一緒にいたい。

真夜中のデニーズで、レモンパフェを食べながら背徳に敬礼している。

上の部分はあんなに美味しかったのに、下にいくにつれてバニラアイスに浸りきった甘ったるいフレンチトーストしか出てこなくなって飽きた。
「ミニパフェにしといたらよかったな。」なんて、都合がいいか。自分で選んだくせして後悔してるところがまるでダメだ。

『奥の方まで全部好きかは、奥底までちゃんと知ろうとしない限り分からない。』

そんな

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人生、最初で最後のライブを終えた。

人生、最初で最後のライブを終えた。

人生で初めて、都内のライブハウスのステージで、歌を歌いました。

もう終わり。20代最後にこんな経験ができて本当に良かった、もう心残りは何もないや。またステージに立ちたいとも、もう思わない。全部置いてきた。そう、思いました。

◇◇◇

自分の歌なんか大嫌いだったのに、すごく厄介だったのは、歌を歌うことが、大好きだったことです。

「どうしてメメちゃんはメメちゃんの声に生まれたのかな」

ライブに

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生きているということ いま生きているということ

生きているということ いま生きているということ

人が死んでいくのを隣でみる機会。

もうすでに死んでいる人の第一発見者になる機会。

ついこの間まで他愛のない会話をしていた人が、亡くなったという報告を受ける機会。

血縁者の代わりに人を看取る機会。

大切な人の死を泣き叫ぶ家族と共に過ごす機会。

そんな様々な死の機会に、日常的にふれる4年間を過ごした。

‪幾つの人の死と私の人生が重なりあったって、慣れることが、ない。

‪まだあたたかい体も

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父さんの会社が倒産した

父さんの会社が倒産した

ダジャレじゃなくて、どうやら本当らしい。

還暦を迎えた父は、実に40年余り、今の会社に勤めてきたということになる。それなのに私は、父の仕事について実はよく知らない。昔から、聞いてもなかなか教えてくれなかった。ただ、副社長とともに会社を大きくしてきたということは、なんとなくだけど知っていた。父の給料も知らなければ役職も知らないから、それが専務だとか常務だとかの名前が付くものなのか、はたまた本部長だ

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お母さん

お母さん

私のお母さんは、ちょっとだけ生きるのがへたくそだ。

周りと関わるのがへたくそなくせに、ひとりが嫌いだ。ほんとは甘えん坊でいじっぱりで万人に愛されたいのに、上手に愛情表現ができていない。世間体ばかり気にするし、喜び方もなんか大袈裟だし、話は3倍くらいに盛って話す。中でも特に苦手なのは親戚付き合いで、兄弟のお嫁さんとかと全然仲良くなれていないのが見ていてわかる。LINEとかで気軽に連絡とってる昔の友

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百億年の歴史が今も体に流れてる

百億年の歴史が今も体に流れてる

「あんた、この漫画を知ってるか」

発売日当日に、秘書が売店で買ってきた連載雑誌を開いて問いかけてきた。本人を目の前にして言うのも申し訳なかったが、私は本当に、その漫画をタイトル以外に何も知らなかった。1話たりとも読んだ事がなく、申し訳なさを感じるくらいだった。それを正直に伝えると、その人は笑った。目は少し寂しそうだったので、心が痛んだ。

そんな私を察してか「あなたいくつ?説明しなければならない

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バカでかい友の背中

バカでかい友の背中

小学生の頃、私の学年は少し変わっていた。
どう変わっていたかと言われれば言葉に表すのは難しい。だけど大人になった今、各々の活躍ぶりを見ればそれなりに変わっていたあの頃も不思議ではないような気さえする。突拍子もないアイディアや他の人が思いつきもしない考え方というものは、少しくらい変わった人から生まれることが多い。

音楽ライターになったアイツはずっと喧嘩越しだった。すれ違うたびに「バカ!」と言ってき

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負けるな、先生。

負けるな、先生。

あの頃の小学校の担任の先生と、同い年になった。

久しぶりに実家に帰ったら、廊下の壁に、私が小学生の頃に描いた絵がそのまま飾られていて、そのことを思い出した。

「図書館から"挿絵の一切ない小説"を借りてきて、そこに出てくる登場人物や風景を想像で描いてみよ」という課題が出た時のものだ。ロードオブメジャーの心絵が私の中で爆発的ヒットを遂げていた時に読んだ、主人公たちが野球に打ち込む小説を選んで描いた

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memento mori

memento mori

私が人生で1番最初に、「死ぬ」ということを現実として意識したのは、同じ県内に住む同い年くらいの男の子が、拘束型心筋症を患い、心臓移植のために渡米する募金活動を見た時でした。

小学校にあがるかあがらないか、それくらいの年頃だったある年の春、地元の花まつりで、その募金活動をしているのを見ました。

父から「ソフトクリームなんかを買ってきていいよ」と渡されていたお小遣いを、迷うことなくすべてその募金箱

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