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生きる意味の意味

パッケージ化された日々を少しでも変えるために
ステージを切り替えてきた

生きる意味を「生活するため」だけにしないために
予防線も張って生きてきた

社会に同化することが私にとっての「生」ではない
社会の言いなりになることが私にとっての「生」ではない

社会の中に自分はいない
自分を探すことが生きる意味なら
すなわち社会の中に生きる意味はない

だから社会から私の心は離れている
それでも社会に自分を投げ出すのは
人と出会うためだ
嫌な奴も、良い人も、すべて自分を知るためだ

時に友人と会う約束をするのも
新しい職場に身を置くのも
どんな人間に出会うかわからない決断も
自分を知ることにつながる

社会の中に自分はいないが
社会を拒絶することは
自分から目を背けていることになる

だから社会から距離を置いているとき
社会に飛び込む勇気を出すためには
理由をつけなければならない
それが
「生活のため」「生きていくため(お金を稼ぐ)」

所詮「生きていくため」なんてものは
社会に飛び込むための勇気づけの理由に過ぎない
飛び込んでしまえば「生きる(社会に飛び込む)意味」なんて
なくなってしまう

そして社会に入って見失った自分を
生きる意味という名目でまた探す

その繰り返しだ

意味がなくたって生きろ
よく言うだろ?
「生きているだけで意味がある」って

理由がなくたって生きろ
理由がなくたって生きちゃダメなんて誰が決めた?
理由がなくても生きる資格はある

私はただ生きているだけだ

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