#HSP
いのちの真ん中にあった大切なものについて。(自分を愛せないのは自分のせいじゃないよって話)
自分という存在に自信が持てない。
自分は ただそこにいるだけでは誰かに迷惑がかかる存在だ。
何か人や社会の役に立ち 価値を生産しなければ、私は生きていることが許されないと思う。
程度の差こそあれ、こういう思いって私たちの『生きる観』みたいなものの根底にあると思うんです。
皆がこういう信仰を持っているからこそ日本の社会が回っているのだし、この謙虚な国民性によって秩序が保たれ、私たちは便利で安
愛と真実は、自然の中に。
ちょっと前にバジルの種をまいたんですよ
んでね、数日経って、ちっちゃくてかわいいぃ芽が生えてきたのね。
植物を種から育てたりするの ほとんど初めてなんだけど
うれしくって、あまりのかわいさといとおしさに泣けてきて、
神様だ……
って思ったんです。
神様って、かわいいんだよね。
特定の宗教を信仰していない日本人が漠然と抱く神様像って、西洋人のオッサンとかおじいさんなことが多いと思うんだけ
「ふつう」の圧に負けないで。
生まれつきの気質や体質。
後天的に身に付いてしまった癖。
これまで歩んできた人生のストーリー。
などなどなど。
私たちって、自分の持ついろーんなものを、勝手にコンプレックスに感じて悩みやすいよね。
現代人って、人と自分を比べては一喜一憂したりするオモシロくて愛くるしい生き物だから。
自分と他とを比べようと思ったら、いくらでも比べられちゃうような環境も整ってるしね。
(名カバーすぎて泣
内なる神秘に手をあわせる。
みなさま。初詣にはもう行かれましたでしょうか。
すでに行かれたかたも、まだだよというかたも、行かぬぞというかたもいらっしゃると思いますが……
本日は、誠に僭越ながら、初詣に並ぶ開運アクションとしてみなさまにおすすめしたいことありまして、謎の使命感とともにPCに向かっておりますわたくしでございます。
わたくしが新年にぜひともおすすめしたいのは、初詣ならぬ……
自分詣⛩️✨
でござります。
夢が叶う、ふわふわの世界へ🐰
夢が叶うって、なんなのでしょうか。
新年早々から、しかも夢の話だというのに夢もロマンもキラキラ感もない言いかたをしてしまうのですが
「夢が叶う」って「不快が取り除かれる」ということの裏返しだとおもうのです。
自分を取り巻いている不快要素から解き放たれた先に広がっている「なんか軽くてすっきりしている世界」。
その「軽やかに生きられる体感」を得た状態のことを、私たちは『夢の叶った後の世界』と認
新世界に寄せて。自分の中の『奇跡』にめざめる。
近年、スピリチュアル界隈でもビジネスその他の界隈においても、やたらと「二極化が進んでいる」とかそういう言葉を目にする(耳にする)ことが多くなったように思います。
この「二極化」って結局なんなんですかねということを説明しようと考えたとき、私はこう思ったんです。
【 「他人軸で生きている人」と「自分軸で生きようとしている人」とが、交われないようになってきている⠀】
ということなのだろうなと。(こ
喜怒哀楽、いのちの全てを味わい尽くす。
なんか最近、どうもヘンなんですよね。
そのへんに座ってたり近所をふらふらしていると、見知らぬ子どもが近づいてきて、なぜかこの謎の大人のわたしに、大事にしているのであろう宝物を見せてくれるということがちょいちょい起こるんです。
仲良しのぬいぐるみさんとか、車や新幹線のフィギュアとかピカチュウとか、小さなポーチに入ったきらきらした何かとか。
(野良犬かなにかだと思われてるのかな…?🐕)
だい
『自分軸の時代』がはじまるよ。
「置かれた場所で咲きなさい」という言葉はあまりに有名ですが、この言葉のもととなっている 同タイトルの渡辺和子さんの本を読んだことは、皆さんおありでしょうか。
私はもう何年も前にやっていた楽天ROOM(というSNS)で素敵なフォロワーさんがおすすめされていて読んだことがあるのですが
十年一昔とか五年一昔とはよく言ったもので、最近では「置かれた場所で咲く努力をすることで道がひらける」というよりは
わたしとふたりぼっちになる時間。
何日か前のnoteの記事のなかで月経について書いたばかりなのですが、話したそばからPMS(生理前の体調・メンタルのゆらぎ)による “ほぼうつ” 状態で少しの間ベッドから動けなくなっておりました。
誰が最初に言ってくれたのかわからないけれど、生理痛だったり生理前の症状というものは、「この周期中(どれだけ自分のことを見てあげられていたか)の通知表である」というのは本当によく言ったもので、
この期間
いってらっしゃい。いつでもここに、戻っておいで。
わたしたちの住む場所から
見上げたずっとずっと上のほう
お空の雲を
つきぬけた先には
どんな雨にも大雪にも
影響されずに
青く澄みきった
美しい場所が存在しています。
同じように
わたしたちの内側の
ずっとずっと奥のほうにも
何ものの影響も届かない
“聖域” というものが
存在すると思うのです。
どんなに悲しい気持ちや
焦る気持ち
怒り、不安、絶望、恐怖に
心が揺れ動いたとして