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夢が叶う、ふわふわの世界へ🐰

夢が叶うって、なんなのでしょうか。

新年早々から、しかも夢の話だというのに夢もロマンもキラキラ感もない言いかたをしてしまうのですが

「夢が叶う」って「不快が取り除かれる」ということの裏返しだとおもうのです。


自分を取り巻いている不快要素から解き放たれた先に広がっている「なんか軽くてすっきりしている世界」。

その「軽やかに生きられる体感」を得た状態のことを、私たちは『夢の叶った後の世界』と認識するのだとおもいます。


「不快要素」とは、つまり「自分への制限」と言い換えてもいいでしょう。

目に見える現象としての「不快要素」と、目には見えない無意識下での「自分への制限」。

この二つは相互に作用し合って存在しているのですが、「不快要素」も「自分への制限」も、どちらにしても、これらはあまりに私たちの思考や日常生活を侵食しすぎています。


不快や制限がもたらす痛みに私たちは慣れすぎてしまっているし、本来持っている自分の自然なエネルギーをぎゅっと縮こまらせる痛みにも、私たちは慣れすぎてしまいました。

そして本来の自然な『自分の中にある柔らかな光』を解放し、内外の世界と調和し溶け合いながら生きる そのやりかたを、私たちは忘れ去って(封印して)しまっているのです。


私たちは、不快や制限を手放すことに、とても臆病になっています。

心身の封印を解き自由になることをとても恐れているし、自分自身と調和し世界との調和を思い出すことを、とても恐れている。


それでも私たちは、「自由の喜び」を意識の奥の奥のほうで ちゃんと覚えているから、怖がりながらも夢(不快や制限の取り除かれた後の世界)に思いを馳せるのでしょう。

自由の喜びに目覚めてしまったら(思い出してしまったら)、もう「不快や制限が当たり前」の世界へは後戻りができません。

だからこそ私たちは自由を思い出すことを恐れ、自分を制限する痛みに敏感になることに罪悪感を抱き、そして喜びで生きることに畏れを抱くのでしょう。



「夢を叶える」とは、「制限を手放す恐れを越える」こと。

それ以上でもそれ以下でもありません。


特定の具体的な何かを成し遂げること・設定した目標を達成することを「夢を叶える」と定義する人もいると思います。(三次元の世界ではむしろそっちのほうが多数派かな)

でも、私たちが「夢を叶える」という言葉を使うときに望んでいるものの本質って、特定の具体的な何かというよりも それを手に入れたときの「精神状態」のほうですよね。


私たちは、自分で自分を好きになりたいから夢を叶えたいと望むし

自分で自分を認めたいから、自分がここにいていいんだという実感が欲しいから、自分の人生に満足したいから、

だから何かを成し遂げたり、設定した目標を達成したり、他者からの賞賛を浴びることを願うのでしょう。


自分の手で誰かを幸せにしてあげたいと望むのも、その誰かの笑顔を通して自分のことを好きになりたいから。

自分がここに存在していいのだという許可の裏付けが欲しいから。

自分を愛する理由が欲しいから。自分を認めるに値するだけのじゅうぶんな根拠が欲しいから。



そうやって自分の願いを分解して見ていくと、特定の何かを成し遂げること・掲げた目標を達成すること・誰かを幸せにすること・他人に賞賛されること…

そういう工程を全部すっ飛ばしたって「夢」なんて簡単に叶えられる、そんなふうに思えてきませんか。


だって抽象は具体を包括するから。


「夢を叶えたい」という願いの本質・核の部分が「自分と仲良くなりたい」とか「安心して生きたい」であるのなら、今この瞬間にその精神状態になることは一瞬でできますよね。

自分と仲良くなるため・安心を感じるために、小難しい条件を設けさえしなければ。

「自分と仲良くなるため・自分を認めるためにいちいち条件を設けない」という意志さえ、しっかりと持つことができれば。


夢を叶えるって、そういうことだとおもうんです。


逆にいうと、自分との調和のために細かい条件を必要としない世界(無条件で自分と調和しようとする世界)に生きると、

三次元世界の多くの大人が定義するような「(具体のほうの)夢」が勝手に生成されて勝手に叶っていくという『人生のフロー状態』になっていくんですよね。

私たち人間って、本来は本能的に常に何かを希求している「ちいさな欲の集合体」だから。

思考であれこれ考えなくとも、「願っては、叶える」のサイクルを繰り返すのが、私たちの命の自然な姿なのです。



無条件でふわふわ自分と調和して生きることで、夢なんて勝手に生まれて勝手に叶っていく。

その一つ一つはもしかしたら「夢」と名のつくような大きなものではないのかもしれませんが、

その「一つ一つのちいさな欲や願望が勝手に生まれて勝手に叶う」を小さく小さく繰り返しているうちに、

引きで見たときには『夢を叶えながら生きてるわたし』に「あれ?なってるじゃん、ウケる」と思える自分に結果的になっているという、そんなおはなし。


以上、新年の書き初めnoteは、多次元的『夢が叶う』のつくりかたをお届けしました🍽🎀


………


2023年、夢が叶うふわふわの世界へ。

競争の痛みから解き放たれ、『協奏・共創』の喜びの世界へ。

自分と調和し世界と調和するふわふわの世界で、共にカラフルな夢を描き、すてきなハーモニーを奏でてまいりましょう。


2023年があなた様とわたし様にとりまして、ふわふわ優しくて可愛くてあったかくて美しくて麗しい、最高にもふもふすべすべぷるぷるな宝物の一年となりますように。

新年の訪れと共に、夢が叶うふわふわの世界への扉が『あけましておめでとうございます』🎊💗


本年もどうぞよろしくお願いいたします🐰🐰



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