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本能寺の変1582 目次小 上総介信長 177~228 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。日本史、信長公記、斎藤道三、足利義昭、武田信玄、上杉謙信。『光秀記』

目次小 上総介信長 177~228 

1信秀の死 177~183

2富田聖徳寺 184~194

3三好長慶の下剋上 195~198

4道三の援軍 199~204

5清洲乗取り 205~208

6道三の最期 209~219

7弟、信勝の謀叛 220~224

8兄、信広の謀叛 225~226

9斯波義銀の裏切り 227~228



目次  1~317
目次大 1~317

目次大 上総介信長 177~228 
目次中 上総介信長 177~228
目次小 上総介信長 177~228


信長と、ともにあった十五年。
永禄十一年1568~天正十年1582。
光秀を知ることは、信長を知ることである。

          ⇒ 次回へつづく 

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