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#毎日note
迷った末の意思決定は、迷わなかった時より強い
日々色んな選択と決断を繰り返している。迷うことは絶えない。
できることなら迷わない方が良い、迷わず選択できるならそれが良いと思っていた。
けれど、案外迷うことも悪くないのかもしれない。
振り返ってみると、過去に迷った末の決断が今の自分を形作っている。
一切の迷いなく決めたことももちろんあったけれど、迷わなかった選択よりも、迷って迷って迷い抜いた選択はその後、力強い意思決定になっている。
つまらないかも?読者はあなたではありません。
noteの連続投稿を始めて200日以上が過ぎた。
「さて、何を書こうか。」
noteを書いている人なら一度は、いや度々思うことだと思う。
私は日課のようにそう思っている。
200日中160日くらいはそう思っていたかもしれない。
そして誰もが思う「何を書こう」よりは頻度は低いかもしれないが、時々こんなことを思わないだろうか。
「この話、別に全然面白くないな。やめようか。」
何度”私は面白お
自信がない時ほど、書いてしまえばいい。
あまり読まれてなく、反応も少ないnoteを見ると、ちょっとざわざわした気持ち、しゅんとした気持ちになる。
「ああ、何が良くなかったのかなあ…」と、ふと考えてしまう。
*
タイトルがよくなかったかも。
書き出しがよくなかったかも。
表現がわかりづらかったかも。
共感できるような内容じゃなかったかも。
ダメだったかもしれない箇所をあれこれと探してしまう。
そうやってダメなところを探していると
自己否定も美しさも一緒
矛盾することばが自分を作っているなぁと思うこと、ありませんか。
他人には「世界で唯一のあなたはそのままで素敵だ」と本気で言い、一方で「どうして周りの人と私はこんなに違うのだろう」とため息をつく。
たった一人でも行動することで少しずつ世界は変わるんだ!と思う一方で、私一人がやったところで誰にも気付かれないし、雨の街中で踏みつけられているちらしのようにそこに在ることがむしろ邪魔になるんじゃないか、
きちんと悲しむために。
「こんなの、癌に比べれば大したものじゃないよ。死ぬわけじゃないんだから、平気。すぐに元気になれるよ」
身体を壊して実家に戻った私に、最初に母が言った言葉だった。最寄り駅から実家までの車の中で、その言葉をかみしめながら、ただ悲しくて仕方がなかった。
〇
母は昔から「もっと大変な人はいるから」と言う人だった。
別に、母だけじゃない。世の中の多くの人が、「私より苦しい人はいるから、こんなこと